第十二話 侑浬の同僚・莉依依、襲来

 涼成の生活指導を受け、叡秀は侑浬と侑珠の生活をどうするか考えた。

 好きに過ごすのは楽かもしれない。だが子供たち、特に侑珠の健やかな成長には規則正しい生活が必要だ。


「注目〜! 今日から、一日の予定を立てて生活します!」


 叡秀は夜のうちに作った計画表を取り出した。計画を書いた紙は両手で広げるほどに大きい。侑浬と侑珠は揃って首を傾げた。


「これなに?」

「侑珠が健康に成長するための時間割だよ。何刻に何をするかを決めたんだ」


 開店までは湯浴みや食事をする。特に何も考えずのんびりしていたが、その時間を有効に使うことにした。


「まず、基本的に人間態で生活をしよう。疲れたらお昼寝をする」

「にんげんでおひるね?」

「お昼寝は兎でいいよ。起きてる時だけ人間ね。僕は卯の刻に起きて薬膳作りを始める。侑浬と侑珠はもう少しゆっくりで、辰の刻に起きて湯浴みをしよう。で、次が重要。湯浴みの後には喋る練習をする」


 涼成が教えてくれた通り、意識的に喋る時間を作ることにした。

 叡秀は絵巻物を一つ取り出し広げた。取り急ぎ、陽紗の店で買ってきた子供向けの絵巻物だ。大半が絵で、文字は簡単な物しか使われていない。

 侑浬と侑珠は絵巻物を覗き込んだ。二人一緒に右から左へと首を動かし、同じ動作で目を通している。


「侑浬が声に出して読んで、侑珠は侑浬の真似をする。これで喋る練習をしよう」

「しゃべるれんしゅう」

「そう。侑浬は侑珠を最優先。店に手が足りなければ雇うから、気にしないでいい」

「薬膳教室の間はみんなと遊んでいい?」

「もちろん。侑浬と侑珠は遊ぶことが仕事だよ。でも疲れたらお昼寝をすること」

「うん! 侑珠。いっぱい遊んで、疲れたらお昼寝するんだよ」

「にんげん。あそぶ。おひるね」


 侑珠はぴんっと手を伸ばして頷いた。侑浬は絵巻物を手に取り、長椅子に座って読み始める。侑珠は侑浬の足の間にちょこんと座った。


「じゃあ読むよ。『天女の祈り』っていうお話だって。俺が読むから侑珠も同じことを言ってね。むかしむかし、やまのおくにむらがありました」

「むかしむかし、やま………やまの?」

「おくに」

「おくに」

「むらがありました」

「むらがありました」

「むらはてんにょのふしぎなちからでまもられています」

「むらはてんにょのふ、ふ……」

「ふしぎなちから」

「ふしぎなちから」


 侑浬はゆっくりと読み、侑珠は絵巻物ではなく侑浬を見て言葉を繰り返した。

 店で働く時も仲が良く和ませてくれるけれど、ぴったりと身体をくっつけてのびのびと過ごす様は一等愛らしい。

 侑珠と侑浬が絵巻物を読み終えたら食事を済ませ、開店準備のため店へ移動した。

 店に到着すると既に麗孝が来ていて、ぶつぶつと独り言を言いながら紙に何か書いている。深く考え事をしている時に声を掛けると鬱陶しがられることが多い。

 侑浬と侑珠を遊具で遊ばせると、獣化と人化を繰り返して飛び回った。やはり子供らしく元気に遊ぶ姿は愛おしく感じる。

 それだけに、かつて何があったのかをほじくり返すのは気が引けた。心配をしているからだとしても、気が重い話をさせられるのは嫌なものだ。

 遊ぶ二人を眺めながら調理に入った。不安にさせず聞き出せないか、悩みながら肉を炒める。すると、突然がしっと後ろから肩を引かれた。


「おい! 焦げてるぞ!」

「え? あっ!」


 異臭に気付いて呼びかけてくれたのは麗孝だ。いつの間にか、考え事をする立場が入れ替わっていたようだ。

 叡秀は鍋を火から降ろし、焦げた鍋を水に浸ける。焼いていた肉は真っ黒だ。


「珍しいな、あんたがこんな失敗するなんて。悩み事なら相談にのるぞ」

「んー……」


 麗孝は商人だ。人身売買を商売として認めるわけにはいかないが、叡秀では知らない情報を持っているかもしれない。

 侑浬と侑珠が遊んでいるのを確認し、すすっと麗孝との距離を縮める。


「人身売買って知ってる? 獣人密売とか」

「人並みには。長いこと刑部が追ってるが、捕まるのは下っ端ばっかりだそうだ。親玉の尻尾が掴めないって聞いたな。何かあったのか?」

「……侑浬と侑珠、獣人密売から逃げて来た可能性があるんだ」

「はあ。あり得ない話じゃないが、確証あるのか? 本人がそう言ったのか?」

「ううん。けど危ないことがあるなら手を打っておきたいんだよ」

「手ねえ。公にするなら刑部へ相談。私的にやるなら警備員を配置ってとこだな。どっちにしても物々しくなるから、無駄に不安を煽る気はするが」

「不安にさせるのは嫌だな。刑部って何やってくれるのかな」

「市中警備の担当者が注意を払うくらいだろうな。いっそ犯人が乗り込んで来てくれりゃどうにか」

「叡秀! 叡秀っ!」


 小声で話を続けていると、遊んでいた侑浬が兎に戻った侑珠を抱いて走ってきた。

顔を青くして、侑珠を抱く腕は目に見えるほど震えている。

 怯えている姿は痛々しく、叡秀は思わず侑珠ごと侑浬を抱きしめた。


「どうしたの? 何かあった?」

「あれ、あいつ、あいつが」


 侑浬は震えながら店の出入り口を振り返る。視線の先には少女の姿があった。長い黒髪を左右でお団子にし、右腕には包帯を巻いている。目を吊り上げ叡秀を睨む顔には覚えがあった。


「あれ? 君、この前、黎獣人医院にいた子だよね」


 涼成に診てもらった時、考え事をしていた叡秀は少女にぶつかってしまった。目の前の少女は確かにあの時の少女だ。


「まさか怪我が悪くなって」

「侑浬と侑珠を返して! その子たちはうちの子よ!」

「はい?」

「違う! 知らない! お前なんか知らない!」

「何言ってるのよ侑浬! いなくなっちゃって、みんな心配してるのよ!」


 侑浬は侑珠をしっかりと強く抱き、叡秀の背に隠れて身を縮めた。

 ――人身売買隊商の奴か。

 叡秀は大人げなく少女を睨み返し、侑浬と侑珠を隠そうと手を広げる。


「帰ってくれ。本人が違うって言ってる以上、渡すわけにはいかない」

「ふざけないで! 勝手に連れて行って何言ってんのよ!」

「保護したんだよ。二人がここにいるのも自分の意志だ」

「分からないじゃない! あんたは悪人で、言わされてるだけかもしれないわ!」

「違う! 俺も侑珠も叡秀と一緒がいいんだ! お前らの所へは戻らない!」


 侑浬は叡秀の背にぴったりとくっついている。侑珠は事態を把握できていないのか、きょときょとと首を傾げている。

 さっさと追い出すか刑部へ突き出すしかない。だが現状、暴力を振るわれたわけではない。子供の喧嘩だと相手にされない可能性もある。少なくとも、今この場で犯罪の証拠がなければ逮捕はしてもらえないだろう。

 良い案は浮かばず睨みつけるしかできなかったが、苦悩している間に麗孝が一歩前へ出る。


「ここは俺の私有地で、こいつらは俺の従業員だ。これ以上騒ぐなら不法侵入と営業妨害、誘拐未遂で刑部へ通法する。逮捕されてもいいなら、どうぞ続けてくれ」


 逮捕と言われて驚いたのか、少女はたじろぎ後ずさる。罪状まで明確に告げられ、叡秀も一瞬ひるんでしまった。

 少女は悔しそうに唇を噛み締めると、再び侑浬に視線を向けた。


「絶対に連れて帰るからね」


 侑浬はびくりと震えた。少女は誘拐宣言をして走り去り、店内は静まり返った。

 侑浬は言葉もなく叡秀にしがみついている。落ち着かせようとそっと侑浬の頭を撫でたが、侑浬は縋るように飛びついてきた。


「俺は差し出してもいい! だから侑珠は、侑珠だけはここに置いてやって!」

「何言ってるの。差し出すなんてとんでもない。二人ともここいいていいんだよ」

「けど……俺は……俺はきっと………」

「落ち着いて。とりあえず、何があったのか教えてくれる? 麗孝。今日は休みにしてもいいかな。ちょっと無理だと思う」

「ああ。まだうろついてるかもしれないから家には戻るな。ここで話せ」

「そうするよ。侑浬、侑珠。奥に行こう。今日はゆっくりしていいからね」


 いつも控室として使っている部屋に入り、しばらくは何も話さずに抱きしめた。少しすると麗孝が温かいお茶を淹れ持ってきてくれたが、侑浬は俯き口を付けなかった。一方で、侑珠はくぴくぴと飲んでいる。何が起きているか、分かっていないのだろう。だが、いっそ分からない方がいいのかもしれない。

 侑浬はふにゃりと微笑む侑珠を抱きしめ、震える唇をゆっくりと開いた。


「俺と侑珠は、隊商に拾われた捨て子なんだ。侑珠は赤ちゃんの時に拾われて、俺の弟にした。血は繋がってないんだ」

「じゃあ、さっきのは同じ隊商で暮らしてた子? 名前は分かる?」

依依いーいー依依いーいー。馬車が襲われて、みんなばらばらになっちゃった」

「何で襲われたんだ? 明らかに犯罪だぞ、それは」

「分からない。でも襲ってきた奴らは『子供を奪った報復だ』って言ってた。依依は拾った子をどこかへ連れて行くんだ。代わりにお金を持って帰ってくる。それで……人身売買をする隊商がいるって聞いて……」


 侑浬の持っている茶碗の中で茶が波紋を描いた。侑浬の指先は震えていて、震えが止まらず茶碗が床に落ちる。


「きっと拾った子を売ってたんだ! 連れ戻されたら俺も侑珠も売られるんだ!」

「侑浬!」


 大きな声に驚いたのか、侑珠は飛び上がって兎に姿を変えた。ぴょんぴょんと飛び跳ね、侑浬の肩に乗る。何が起きたのかは分かってはいないだろうが、必死に侑浬の頬を舐めている。

 叡秀は力いっぱい侑浬を抱きしめ、とんとん、と繰り返し背を叩いてやった。腕の中で侑浬が泣いているのが分かる。

 人身売買への恐怖で零れる涙は、かつて見捨てた青年を思い出させた。

 叡秀は侑浬を抱きしめた。両親がしてくれたように、強く、強く抱きしめる。


「どうして最初に教えてくれなかったの? 正当に保護されるべき事件だよ」 

「でも人間は獣人を助けてくれない。喋って誰かに知られたら、連れ戻されるかもしれないって思ったんだ……」

「そっか……」


 獣人が短命な理由は犯罪にも起因する。人間ならわずかな暴力でも取り沙汰され、保護をしてもらえる。だが獣人の場合、国によって対応は大きく異なる。

 人間主権国家の場合、法は人間にのみ適用され、獣人は対象に含まれない場合がある。人間主権国家の大半が獣人は法の対象外としている。

 だが翠煌国は違う。法は全種族に適用され、保護が必要なら手を尽くす。世界的に見ても珍しいことで、外から来た侑浬が知らないのも無理はない。

 ――だが、どうしたらいいかは分からなかった。

 居場所を知られた以上、依依はまた来るだろう。ならば獣人を保護する態勢が整っている涼成か、権力を持っている雲嵐に預かってもらえないか相談はできる。だが根本的な解決にならない。

 守ってやりたいのに、涼成や雲嵐のように守れる物理的手段がない。抱きしめることしかできない自分が情けなくて歯がゆい。

 叡秀は考え込んだが、ふいに麗孝が軽く笑った。


「何を落ち込むことがあるんだ。こいつは簡単に解決できるぞ」

「へ?」


 麗孝はにやりと笑った。叡秀たちの愛情より利益を優先する麗孝の笑みは、いつも以上に頼もしく感じられた。

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