第十話 獣人薬膳教室
麗孝は叡秀の事業計画を引き受けてくれた。新たな提供に向けて内装の変更をし、その間に陽紗が取り寄せてくれた遊具も届いた。
準備が整ったのは、麗孝に提案してから十二日後だった。
客への案内は、やはり侑浬と侑珠の愛らしさで勝負だ。
「明日から申の刻にこれやりまーす! よかったら来てくださーい!」
「やりまーす。くださーい」
侑浬と侑珠は会計台の後ろに張った紙の前で手を振った。呼びかけに気が付いた客は張り紙をじっと見つめ、女性客が興味深そうに読み込んでいる。
「これって誰でも参加できるの? 人間みたいに難しいことはできないんだけど」
「簡単なことしかないから大丈夫です! 準備は全部うちでやるから、何も持たないで来てください! 嫌だったら途中で帰っても大丈夫です!」
「とちゅうでだいじょうぶ。ゆずとゆうりもいる」
「参加は予約制です! 希望する日があれば教えてください!」
「やりたいわ。明日は入れる? 二人」
「はい! じゃあここに名前書いてください!」
侑浬は事前に打ち合わせをして覚えた案内をした。聞いていた客が一人、また一人と集まり参加可能人数の上限に達した。
開催場所は無駄になっていた店の半分だ。長机を四個置き、一つを二名で使う。四個に向き合う形で机を一つ置き、叡秀が前に立った。
机の上に置いてあるのは、幾つかの食材と持ち運び可能な調理台だ。簡易的だが火をつけることができて、料理をすることができる。
叡秀は参加者の前に立ち、気合を入れて掛け声を上げた。
「それでは、獣人薬膳教室を始めます!」
わあっと歓声が上がった。参加できない客も、営業を終了した店内から見ている。
これが麗孝に提案した新しい提供だ。弁当の数量は増やせないが、叡秀が口を動かすだけならすぐにできる。
やることは料理指導だが、学んでもらうのは調理技術だけではない。叡秀が最も必要だと考えているのは、獣人の生態に関する知識の拡散だ。
「店で薬膳についてご質問をいただくことが増えました。薬膳は医学に基づいて作られています。皆さんは、薬膳の先にある医学へ興味を持ったんです! でも医学は難しい。だからうちでは、考えなくても栄養が摂れる『弁当』という形で提供しています。言い換えれば、献立さえ分かれば各家庭でも作れるということです」
侑浬と侑珠が参加者に紙を配る。紙には献立が書いてあり、見ながら作れば一人でも作れるようになっている。
今回書いたのは、誰でも抵抗なく食べられる簡単な料理だ。
「今月はずっと八宝粥を作ります。米に具材を入れて茹でるだけですが、材料は僕が決めました。この材料が『薬膳』と言われる理由です。薬膳は薬を使うわけじゃありません。栄養のある材料を、より栄養価が高くなるような組み合わせで作るだけなんです」
薬膳が根付かない理由の一つに、薬物を使っているという思い込みがある。
特に漢方と同一視されることが多い。医学に疎い獣人は、人間が薬漬けにしようとしてると思ってしまうことも少なくない。
だが、今日は店の薬膳を好んでくれた人が集まっている。少しずつでも広げていけば、多くの獣人に健康に良い料理だと知ってもらえるだろう。
「調理をしながら、何故その薬膳が良いか教えます。理由は全て獣人医療に基づいています。料理教室を続けていただければ、自然と獣人の生態を知ることができます」
「でも、いいの? みんなが家で作ったら売れなくなっちゃうわよ」
「いいですよ。獣人みんなが健康になる方が大事ですからね。うちでは作るのが難しい薬膳だけ買えばいいと思います」
この点は麗孝と意見が別れた。知識と技術が広まれば同じような薬膳店を始める者が出て来るだろう。まだ開店して間もないのに、敵を増やすのは好ましくない――というのが麗孝の意見だ。
だが叡秀は、他に店ができても客を取られることはないと考えている。
調理知識を得ただけでは献立を作ることはできないからだ。
薬膳を作るには、どの食材に何の栄養素があるのかを学び、総合的な栄養価の計算、食べ合わせの検討など、様々な知識が必要だ。これらは人間の知識であり、難しい思考が苦手な獣人が身に着けるには難がある。
だからこそ御膳房には人間しかいない。意図的に排除しているわけではなく、採用基準に達する獣人がいないだけだ。
人間なら薬膳店ができる者もいるだろうが、獣人は人間と溝がある。叡秀のように獣人と交流をしていた信頼と実績がない限り、店を開いたところで客は来ない。
何より、叡秀の広告に立ってくれたのは猫玲王子だ。王子を上回る説得力を持つ人間はそうそういない。
総合的に見て、競合が生まれるとしても数年は先だ。ならばその間に店舗を増やし、市場を確立し牽引する立場になろう――と麗孝は言った。
市場という難しい話は分からないが、麗孝が良しとしてくれたのなら十分だ。
叡秀は机の前に立ち客と向き合った。
「それでは始めますが、一つお願いがあります。火を使うので、お子さんはあちらで遊ばせてあげてください」
少しばかり客からどよめきが上がった。これがもう一つの狙いだ。
客層は当初麗孝が見込んだ通り、家庭で家事を担う母親がほとんどだ。長時間を料理教室に拘束されるから子供連れで参加したい――と予約の時点から希望があった。
薬膳教室を開いてもまだ空間があるので、陽紗に取り寄せてもらった遊具を設置した。遊具の前には侑浬と侑珠が立っている。
「こっちだよ! みんなで遊ぼう!」
「みんなであそぼう」
侑浬と侑珠が手を振ると、子供たちは遊具に飛びついた。これなら新規事業を見込める営業をしながら、侑浬と侑珠は獣人の友人を作り遊ぶことができる。
――叡秀も侑浬も侑珠も、麗孝にも客にも利益がある利害の一致だ。
「それじゃあ始めましょう。まずは米を水に漬けて、具を洗います。今回使うのは紅棗、龍眼肉、黒枸杞、白芷、当帰、蓮の実、薏仁。侑浬と侑珠も食べられた食材ですが、苦手だったり過敏反応を起こしたことのある食材があれば除いてください」
献立は迷ったが、最初は家庭料理の範疇にある物にした。八宝粥なら調理は簡単なので、具材の説明に重点を置くことができる。
「食材には一つ一つ効果効能があります。食べて即効果を発揮するわけではないですが、継続することで健康な体作りに繋がっていく。一つずつ説明しますが、今覚える必要はありません。お配りした紙に書いてあるので、ご自宅で読んでみてください」
資料を読んだ客の反応は様々だ。首を傾げる人が多いが、すぐに理解した人もいたようだった。理解した人は粥作りを進め、分からない人には個別に説明をする。
その間、侑浬と侑珠は参加者の三人の子供と遊んでいた。
侑浬は何の抵抗もなく初対面の子供と馴染んでいる。侑珠は人見知りをしたのか、侑浬の後ろでもじもじしていた。侑浬が間に入ってゆっくりと交流を広げていく。
遊具は二種類で、一つは大きな積み木を重ねたような階段状になっている遊具。もう一つのは、柔らかい生地の保護がされた棒で、たくさんの枠を組んでいる遊具だ。
どちらも昇り降りができるので、飛び跳ねる獣人には良い運動になっている。
麗孝は子供たちの様子を見守ってくれている。調理を眺めていた客も子供が遊ぶ姿に関心し、子供だけ一緒に遊ばせて貰えないかと麗孝に相談している母親もいた。
薬膳教室も子供を預かることも好評で、一日は充実して終わりを迎えた。
「薬膳教室、初日好調!」
「叡秀の言う通りだったな。これは別事業として起業できる。教育施設であり保育施設。指導科目を増やせば立派な教育機関になる。医療面を充実させて医療薬膳と銘打つのもいいな。獣人専用の養護施設だって夢じゃない。となると保育士が必要だな。それも獣人を採用すれば……」
麗孝は経営の話になると饒舌だ。一人でぶつぶつと呟き考えこむことが多い。
こうなると一人の世界に入るため、叡秀は侑浬と侑珠に今日の感想を訊ねた。
「どうだった? 楽しかった?」
「うん! 同じくらいの歳の子とあんなにお喋りしたの初めて!」
「ゆずとおなじ、うさぎもいた。いっしょにぴょんぴょんした」
「そっか。よかった。これからもいっぱい遊ぼうね」
翌日、麗孝は封鎖していた庭を開放した。土や砂を持ち込み、遊び場を増やしたらしい。お目付け役には、狩猟で叡秀と交流がある獣人に来てもらった。麗孝が保育施設の先行投資だと言って、報酬を支払ってくれている。
薬膳教室の見学者は、有料だが子供を遊ばせて良いとした。予想通り、利用希望者は大勢いた。新しい収入源ができたと麗孝は満足げだった。
「助かるわ。面倒見ながらだと集中できなくって。でも迷惑じゃない?」
「いいえ。侑浬と侑珠は友達がいないから、遊んでくれるのは有難いんです」
侑浬と侑珠は一日にして友人が増え、毎日遊び疲れて眠るようになった。侑珠の喋り声を聴くことも増え、二人の成長を感じられる。
自分では与えてやれない経験が充実するのは、何物にも代えがたい喜びだった。
女性客も嬉しそうに微笑み、うんうんと大きく頷いている。
「侑珠君はいっぱい喋らないとね。兎は人間態で声が出せなくなる子も多いから」
「え? そうなんですか?」
「そうよ。兎獣人は声を出すこと自体が苦手みたいよ。健康診断で習わなかった?」
「健康診断は受けてないですね。必要ですか?」
「当然よ! 特に侑浬君。虎みたいに獰猛な獣種は人間の専門医が少ないの。早いうちに見つけないとね。猫科専門は駄目よ。猫も豹も虎も一緒くたにするから」
「ふんふん……」
考えたこともなかった情報で、叡秀は腕を組んで考えこんだ。
拾った当日は涼成に診てもらったが、それ以降は何もしていない。涼成自身が獰猛と言われる獣種、獅子獣人なので良くしてくれるだろう。
これは急がなくてはと、次の定休日は涼成を訊ねることに決めた。
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