第九話 侑浬の心(二)

 陽紗の店へ到着すると『準備中』の札が掛けられていた。

 店は陽紗の自宅に併設されている。閉店でも声を掛ければ出てきてくれるので、叡秀と涼成は経営時間は関係無く遊びに行く。今日も気にせず扉を叩いた。


「陽紗ー。いるー?」


 しばらくすると、ばたばたと走る音が聞こえてきた。かちゃかちゃと内側から鍵を開ける音がして、すぐに扉が開かれる。


「いらっしゃい。珍しいわね、こんな早くから外に出るなんて。解雇になったって聞いたけど、元気そうじゃない」

「まだ謹慎だよ。二人に新しい衣服と、絵を描く道具が欲しいんだ。子供でも使えるのある?」

「もちろんあるわよ。侑浬とお侑珠はお絵描きが好きなの?」

「薬膳の絵を描いて看板にするの! お店のお知らせも書くんだ」

「しっかりしてるわねえ。それなら良い物があるわ。中央から新商品が入ったのよ」


 陽紗に手招きされ店内に入ると、陽紗は入ってすぐの陳列台に向かった。目立つ配置がされている台には『新商品』と書かれた札が置いてある。その中から、陽紗は黒い板と白い小さな棒を手に取った。


「黒板と白墨よ。白墨は白い粉末が固まってるの。白墨で黒板に書いて、専用の布で拭くと消えるわ。何度も使える紙と墨って感じね。描いてごらんなさい」


 陽紗は侑浬と侑珠に白墨を持たせ、手を引いて黒板に線を引かせた。初めて見た物のようで、侑浬と侑珠は目をぱあっと輝かせる。


「すごーい! 侑珠! 何度もお絵かきできるんだって!」

「なんどもおえかき」

「いいね。営業中はいちいち墨なんて出してられないもんね」


 侑浬と侑珠は黒板で遊び始め、楽しそうにどんどん絵を描いていく。新しいことを学ぶ――というほどのことではないが、意欲的に挑戦する姿は頼もしくもあった。 


「普通の絵具と紙もちょうだい。この子たちの遊び道具にするから」

「お! ちゃんと教育してるじゃな~い!」

「そんな大層なことじゃないよ。ただ、色々経験させてあげたい。将来なんでもできるように」

「それなら学舎へ通わせてあげたら? 侑浬はそれくらいの年齢でしょう」

「けどこの国の教育って人間が基準じゃないか。絶対嫌だ」

「なら獣人がいる場所へ連れて行きなさいよ。いくら叡秀でも、獣人の本能からくるものは教えられないわ」


 叡秀は獣人に育てられたけれど生態は人間だ。両親と別れることになったのも生態が異なるからで、侑浬と侑珠は両親と同じ獣人。理解する努力はできるけれど、努力をしなければ同じ目線でいられない。

 今更その事実に落ち込むことはないつもりだったけれど、暗く見えたのか、陽紗が励ますように背を叩いてくれる。


「とりあえずは公園連れてくとか、そんなのでいいじゃない。獣人の友達ができれば自然にあれこれ覚えるわよ」

「そうだね。うん、そうするよ。じゃあ遊びやすい衣服ちょうだい。遊ぶ道具も」

「あんたが調理器具以外でお金使う日がくるとはね。子供用品増やしておくわ」

「有難う。あと、お揃いで赤い衣服も欲しい。侑珠の目の色」

「あら可愛い。どこにそんな良い趣味隠してたのよ」

「僕じゃなくて侑浬だよ。侑浬は利発だし感性も豊かなんだよね」


 陽紗はあれこれと子供用品を出してくれた。陳列されているのは今まで目を向けたことのない棚で、侑浬と侑珠に遊び方を説明してくれている。階段を下りて真新しい木箱を持ち出し、お揃いの赤い衣服を探している。

 ――何度も遊びに来た店なのに、地下があることを初めて知った。

 侑浬と侑珠は楽しそうだった。湯浴みの時も食事の時も楽しそうだけど、それとは違う喜びを感じているのが分かる。

 一刻ばかり陽紗と遊んだだけなのに、接客よりもずっと必要な時間に感じた。

 店を午の刻で閉店にすれば、侑浬と侑珠が遊ぶ時間を作れる。だがそれは売り上げを捨てることになり、麗孝と利害が一致しない。今麗孝に手を切られるのは困る。


「何かないかな。麗孝と利害を一致させつつ、侑浬と侑浬が友人を作って遊ぶ方法」


 利害の一致は、麗孝に相談すれば何かしら提案してくれるだろう。だが友人作りは難しい。叡秀自身、友人は涼成と陽紗しかいない。それも雲嵐のおかげだ。自発的な行動で得た友人は一人もいない。

 腕を組んで侑浬と侑珠をじっと見つめた。陽紗が選んだ赤い衣服を身に着け、動けるか確認するため獣化して店内を飛び跳ねている。

 叡秀の家は狭いし庭は平らだから、縦に運動することができない。家でできない動きが楽しいのだろう。

 飛び跳ねる侑浬と侑珠を見て、ぱんっと叡秀は手を叩いて陽紗に駆け寄った。


「陽紗! 子供の遊具ってどんなのがある⁉ 室内に置ける物!」

「何よ急に。具体的にどういう物? 絵具とか毬みたいのは色々あるけど」

「もっと身体を動かす物がいい。子供だけで遊べて、怪我はしない安全な物」

「取り寄せればあるわ。そういう凝った品は南に多いのよ。目録持ってくるわ」


 陽紗は紙の束を持ってきてくれた。様々な道具の絵と説明が書かれている。侑浬と侑珠も人化して覗き込むが、文字が読めないのでこてんと首を傾げている。

 叡秀はぱらぱらと全てに目を通すと、二枚を取り出し陽紗へ渡した。


「これとこれを二個ずつ取り寄せてくれる?」

「いいけど、前払いよ。画材と衣服も買うなら、全部で金一両にまけてあげる」

「あるある。はい、金一」


 叡秀は雑にお金を放り投げると、侑浬と侑珠を抱き上げた。


「すごく良いことを思いついたんだ。侑浬と侑珠も手伝ってくれる?」

「うん。何するの?」

「楽しいことだよ。麗孝にもお願いしなくちゃ。陽紗! 取り寄せお願いね!」


 取り寄せを頼んで目録の控えをもぎ取ると、画材と衣服を持って家へ帰った。侑浬と侑珠は絵を描いて遊び、絵具で汚れると水遊びをした。疲れたら昼寝をし、二人は思い切り遊んでいる。

 その間に、叡秀は麗孝へ相談する内容を詰めた。翌営業日、やって来た麗孝に突撃した。


「麗孝! ちょっと相談があるんだけど!」

「うおっ。何だよ。聞くから落ち受け。新しい献立か?」

「もっといいこと! 絶対に需要がある! 獣人専用事業になるかもしれない!」


 事業と告げたら、途端に麗孝は目を光らせた。友愛では動かないだろうが、今回は麗孝の心に響かせる自信がある。


「聞こうか。どんな事業だ」

「楽しい事業だよ。大人も子供も、全員が満足できるはずだ」


 叡秀は陽紗から貰った目録の控えを見せた。

 この提案が通れば、侑浬と侑珠との生活を良い方向へ一変させられる。叡秀は拳を握りしめ、麗孝へ事業提案に挑んだ。

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