第八話 《獣人薬膳房 鍾》初日開店

 いよいよ《獣人薬膳房 鍾》が開店初日を迎えた。

 営業時間は各家庭が朝食を終え昼食の準備を始める巳の刻から、夕食の準備は終わっているであろう酉の刻までとなっている。叡秀たちの昼食と侑浬と、侑珠の昼寝時間として午の刻の終わり頃は一時的に閉店をしている。

 店の準備は叡秀が最も早く、一日が長い。

 叡秀は朝早く卯の刻から調理を始める。侑浬と侑珠はいつも通り辰の刻に起床し、この頃に麗孝もやって来る。全員で完成した料理を器に詰めて商品は完成だ。

 営業が終われば片付けをするが、麗孝は他にも仕事があるらしく、戌の刻の早いうちに帰ってしまう。侑浬と侑珠はお昼寝時間のため、起きていたら手伝う程度だ。そのため、片付けは実質叡秀が一人でやることを前提にしている。

 初日ということもあり、麗孝は朝早く来てくれた。侑浬と侑珠はいつもより早く起きて湯浴みと喋る練習を終わらせ、四人で料理を器に詰め始める。


「お弁当は二種類だよね。草食用と肉食用を一種類ずつ」

「うん。店頭には完成した状態の弁当を展示する。ぱっと分かるようにね。在庫はお客さんが入らない場所に置く」

「俺が会計台で欲しい物と数を聞いて渡す、だよね。一個銀一両」

「ちょっと高い気もするけどね」

「俺は銀二でもいいと思うけどな。御膳官が作るんだぞ?」

「宮廷とは献立も材料の質も違うよ。営業に慣れたら高い弁当を作ってもいいけど」


 料理店の弁当は、平均的に銀二両が普通だという。最初に手売りした時はありあわせだったため銅五両にしたが、今回は献立から調味料まで吟味している。何より、御膳官は調理師としては国で最も高位だ。そこらの料理店とは技術も格も違う。

 だが家庭の弁当に銀二両は高すぎる。買いやすさを重視し、銀一両に設定した。


「俺は一個銀一両だと覚えやすいから嬉しい。難しい計算は苦手なんだ」

「会計はほとんど侑浬へ任せきりになるからね。でも無理そうなら言うんだよ」


 会計は主に侑浬が行う。やはり経験があるようで、釣銭の用意や会計台の設営などを一手に引き受けてくれた。


「うん。でも侑珠がいてくれるだけで元気になるから大丈夫。ね、侑珠」

「やくぜんどうぞ」


 侑珠は弁当を差し出す動きをした。動き一つが愛らしく、麗孝も笑顔で侑珠の頭を撫でる。


「侑珠は重要だぞ。いるだけで和むのは天性の才能だ。客層の中心となる母親は特に有効だろう。集客が格段に良くなる」

「侑珠かわいいもんね! 侑珠。にこにこ笑顔でどうぞするんだよ」

「にこにこどうぞ」

「後は俺が足を引っ張らないようにしないとな。叡秀と違って、不信感を与える」

「人間だから仕方ないよ。でも侑浬と侑珠を見ててくれるだけで助かるよ」


 麗孝は表に立たず、隅に立ち必要に応じて手伝うだけにした。子供の侑浬と侑珠だけでは対応しきれないこともあるだろう。

 麗孝は申し訳なさそうに苦笑いをすると、ふいに店内を見回した。店内は広い。当初食堂にするつもりだったため、ぽっかりと空間がある。


「どうかしたの?」

「列を店内に作った方がいいかと思ってな。今日は初日だし、客が殺到するだろう」

「そんなに来る? 薬膳って一般的には馴染みがないから、遠巻きに見ると思うよ」

「それをどうにかするのが商人の腕だ。それより、薬膳はどんな物にしたんだ?」

「肉食用の献立は、肉食が摂取を忘れがちな野菜中心。五目ご飯と春巻き寿司。風味豊かなかぼちゃとれんこんの白和え。胡瓜と若布の酢の物」


 五目ご飯は、五穀米に干し椎茸、にんじん、ごぼう、ひじき、青ねぎを炊き込んだご飯だ。春巻き寿司の具は野菜だけで、芽菜に大根、黒木耳、水菜を使っている。


「草食用の献立は、草食が摂取を忘れがちなお肉も使ってる。五香牛ご飯と蒸し鶏、豚肉巻き茸。肉食用と同じ白和えと酢の物も入れてる。これを侑浬が提案してくれた、萵苣の器に入れる。そのまま食べても大丈夫」


 五香牛ご飯も炊き込みご飯だが、五穀米に五香粉で調理した牛肉を入れている。

 総じて品目が多いので手間は多いが、栄養を考えるとこれくらいは必要になった。


「おかずは全部総菜として単品売りもする。人間態で食べて欲しいけど、獣態でも消化しやすい用に作ってるよ。寝る前に食べるなら本能に従った食材を推奨、っていうのも書いてあるけど」

「俺がお会計の時に言うよ! 文字読めない人もいるから!」


 侑浬は手元に『おそうざいはできるだけ人間でたべる。獣だと消化しにくい』と書いた紙を持っている。今日のためにこれだけは覚えたけれど、忘れるといけないので書くことにした。基本的な文字も勉強して、販売に関して知識を深めたようだった。


「お客さんが慣れるまでは、丁寧に説明していこう。僕はずっと調理場で作ってなきゃいけないけど、何かあれば声かけてね――っと、外が騒がしいね。何だろう」


 開店時間まではまだ五刻はあるし、営業の準備は麗孝が万全に固めてくれた。これといって国から指導が入るようなことはないはずだ。

 叡秀が窓から外を見ると、そこには数えきれない人数の行列ができていた。店の敷地を出て、外でも多くの人が待っている。


「えっ⁉ 何で⁉ 麗孝! どうなってるの⁉」

「昨日から宣伝をしておいたんだよ。列整理、必要だったろ?」

「本当に? 人間の宣伝なんて聞くかな。麗孝はそんな有名人だったの?」

「まさか。宣伝してくれたのは彼らだよ」


 麗孝がくいっと顎で外を指すと、数名が列整理をやっていた。何やら紙を配っているようで、薬膳について話をしている。


「あの人たちは」

「あんたが薬膳店をやると教えたら、手伝わせてくれと名乗りをあげてくれたよ」


 列整理と商品紹介をしてくれている人々には見覚えがあった。彼らは、今まで叡秀の薬膳を食べ続けていた数少ない獣人だ。


「狩猟に参加してた皆……!」

「この国で薬膳の効果を理解してる奴は少ない。だがその少ない一部は、誰よりもあんた理解していた」


 叡秀は御膳官だが、宮廷で獣人のために薬膳をふるまうことはなかった。薬膳どころか、獣人専用の料理は必要性を議論されることすらなかったからだ。

 けれどたった一か所、獣人のために料理を作る機会があった。叡秀に丸投げされることの多い狩猟現場だ。参加者は皆、叡秀の薬膳を気に入ってくれていた。

 見知った獣人たちは、叡秀の視線に気付くと大手を振って駆け寄って来た。


「よお! ついに飯屋やるんだってな! 来ちまったよ!」

「いつかやってくれると思ってたよ。や、むしろ遅いか?」

「お前の薬膳がいつでも食べられるなんて最高だ。どんどん売ってどんどん店を増やしてくれ。すーぐ欲しがる奴が溢れるからな!」

「あ、俺らの分は残しておいてくれよ。手伝った分は食うからな!」


 わははは、と全員が声を上げて笑った。思いもよらなかった協力者の登場に、叡秀の胸は熱くなった。目にはじんわりと涙が浮かんでくる。


「……有難う。すごく嬉しいよ」

「おいおい、まだ終わりじゃないぜ。応援に来たのは俺らだけじゃねえ」


 ばんばんと背を叩かれ、ぐいっと肩を引き寄せられる。見知った顔の後ろから、しずしずと十八歳くらいの少年がやって来た。身に着けている衣服は、被服素人の叡秀から見ても高級品だと分かった。

 歩き方は美しく、明らかに育ちの良いお坊ちゃまといった風だ。その証拠に、少年の後ろにはずらりと屈強な男が五名も控えている。

 だがまったく見覚えのない少年だった。叡秀を応援する人物なんて、他には雲嵐と涼成、陽紗くらいのものだ。

 首を傾げていると、少年はにこりと微笑み深く頭を下げる。


「その節は大変お世話になりました。麗華国第一王子、猫玲でございます」


 叡秀の思考が一瞬固まった。

 麗華の王子といえば、叡秀が宮廷を追放されることになった原因だ。人化栄養不全だったため、猫の姿しか見ていない。この少年は、その猫玲の人間態ということだ。

 叡秀はようやく頭が動き、麗孝に激突する勢いで後ずさる。


「え⁉ 王子⁉」

「叡秀さんがお店をやると聞いてまいりました。どうかお手伝いをさせてください」

「とんでもない! 有難いお申し出ですが、麗華国王からお叱りを受けますよ!」

「その国王に許可をもらって来ました。私共は獣人の健康を向上させる術を学びに来たのです。医療を知らない獣人でも健康でいられる術を」

「あ! 叡秀の薬膳のことだね!」

「やくぜんどうぞ!」


 笑顔で飛び跳ねたのは侑浬と侑珠だ。

 侑浬は叡秀のことを庇ってくれた。無垢な叫びは皇帝をも退かせ、その思いが雲嵐と麗華国国王をも味方に付けた。


「私の身勝手で大変なご迷惑をおかけしてしまいました。陛下のお怒りを解けたかは分かりませんが、叡秀さんの御活動は麗華一同理解しております! 薬膳を広める手伝いをさせてください!」


 猫玲はぐっと叡秀の手を握ってくれた。小さな手は痩せていて肌艶は悪い。髪もぱさついていて、装飾に見劣りする。満足に食事ができる王族でさえ、正しく栄養を摂ることができないのが獣人社会の現状だ。


「有難うございます。とても心強いです。こちらこそ、よろしくお願いいたします」

「はい! 精一杯務めさせていただきます! 皆! 宣伝に行くぞ!」


 猫玲は声を上げ、護衛の男たちを連れて店の外へと飛び出した。健康とは言えない姿だが、凛とした振る舞いは王族の威厳を感じさせた。

 想像もしない味方を得て呆然としていると、ぽんっと麗孝に肩を叩かれる。


「よくやった。王族は費用対効果が高い」

「王族を金に換算しないでくれ……」


 こんな時でも麗孝は麗孝だ。王族すら利益に繋げる心意気は頼もしい。


「さあ、開店だ! 全員気合いれてかかれ!」

「おー!」

「おっ!」


 麗孝が拳を振り上げると、侑浬と侑珠はぴょんっと飛び跳ねた。手伝いに来てくれた獣人たちも声を上げ、列整理へと走ってくれる。

 こうして《獣人薬膳房 鍾》の初日が始まった。待ちくたびれた客は口々に弁当を求め、総菜も片っ端から購入してくれる。売れる速度は想像をはるかに上回り、手が足りず麗孝も販売に参加した。人間がいることなど誰も恐れない。

 閉店は夜の食事時を迎える酉の刻を想定していたが、昼をまたぐ午の刻には完売し、早々に閉店をすることになった。麗孝はそれも想定していたのか、手早く予約を受け付けた。明日からは生産量を三倍にすることが決定して初日は終わりを迎えた。

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