第七話 獣人薬膳房 鍾
麗孝に引きずられて到着したのは、大通りから外れにある木造の建物だった。叡秀の自宅ほどではないが、人通りはなく木々が多い。
「ここ何? いかにも人間が嫌いそうだけど」
「見ての通り空き家だ。だが調理設備は整ってる」
麗孝は扉の鍵を開けて中へ入った。空き家だが清掃はされていて、奥には調理場がある。鍋や蒸し器、調理器具がいくつも置いてあって、いかにも料理店の造りだ。
「まさかこれって……」
「そうだ! ここで薬膳の販売をする。獣人のための薬膳店だ!」
「獣人の、薬膳………?」
「お店⁉ じえーぎょー⁉」
叡秀よりも大きな反応を見せたのは侑浬だ。侑珠もぴょんっと飛び跳ねる。
だが自営業はいうほど簡単ではない。おそらく営業するための資格や資金が必要だろう。今の叡秀が一人で担うには、未知の領域で不安がある。
「いきなり言われても困るよ。薬膳はともかく、販売も経営も無知なんだ。自営業ってそんな簡単じゃないでしょう」
「自営業じゃない。あんたらは俺が経営する店に雇用されるんだ。当然店の利益は俺の物だが、あんたらには給料を払う。勤務先が宮廷からここに代わるだけの話さ」
「え? 本当に? それはこの子の給料も出る?」
「当然。侑浬と侑珠こそ、俺が求める最大の利益だ。異種族を結びつける方法を業務として確立できれば、全国どの種族が主権でも起業できる。この店は先行投資!」
――完全な利害の一致だ。
一見すれば、麗孝は獣人を助ける『良い人間』だろう。しかしその実は、自分が成功するために獣人を利用しているだけだ。けれど結果的に獣人は長寿を手に入れる。
それだけじゃない。叡秀個人の願いも叶う。
侑浬と侑珠、三人で生活ができて収入も手に入る。解雇後の職探しをする必要がなく、店が失敗しても金銭的に損をするのは麗孝だ。叡秀は別の働き口を探せばいい。
麗孝の行動理念は友愛でも偽善でもない。自分のためだ。利害の一致は何よりもうまくいくだろう。
麗孝は握手を求めて手を伸ばしてきた。利害の一致をもたらしてくれる手だ。
叡秀は迷わず麗孝の手を握り、固い握手を交わした。
「僕としても興味がある。ぜひやらせてくれ」
「商談成立だな。俺のことは麗孝と呼んでくれ、叡秀」
「分かった。よろしく、麗孝。侑浬、侑珠。二人もよろしくってして」
「虎獣人の侑浬です! よろしくお願いします!」
「うさぎのゆず。よろしくする」
「よろしくな。この商売はお前たちが肝だ。期待してるぞ」
麗孝は侑浬と侑珠の頭を撫でた。侑浬と侑珠は期待に満ちた目をしていて、ぎゅっと叡秀にしがみつく。
「楽しみだね! きっといっぱい買いに来てくれるよ!」
「うん。そうなるように頑張ろう」
おそらく、そううまくはいかないだろう。
人間が経営しているというだけで、嫌悪する獣人は多い。まして薬膳などという馴染みのない商品は、一般的な料理店よりも信用を得る努力が多く必要だ。
それでも叡秀に不安はなかった。雲嵐の薬膳は獣人の子と蔑まれた叡秀を救ってくれた。どうすれば信用できるかは、叡秀自身が経験済みだ。
どくんと叡秀の心臓が大きな音を立てた。何かが変わったと告げている。
叡秀は変革に胸を高鳴らせ、現実的にどうするかの議論へ麗孝が舵を切った。
「そうと決まれば商品決めだ。どういう薬膳が作れるんだ?」
「材料があれば何でも。でも『獣人専用』にしたい。人間は対象外」
「対象外にする必要あるか? 人間にも売る方が儲かるんだが」
「そうしたら獣人は来なくなるよ。僕らがどう思っても、現状人間と獣人は共生が難しい。獣の毛が一本でも入ってたら苦情の嵐だ。同族のみの平穏を求める獣人は来なくなり、ただの料理屋に成り下がる。それは事業の失敗じゃないの?」
「……なるほど。あんたは胡老師とは違うようだな」
麗孝と雲嵐は利害が一致しないだろう。
雲嵐は優しい人間だ。権力を持っているから実現できることは大きいが、その実は獣人への愛情がある。愛情を与えるためなら事業の損失も良しとするだろう。利害の一致を重視する麗孝にとっては危うい取引相手となる。
雲嵐は麗孝を紹介したのではなく、麗孝に商談を断られたのかもしれない。権力を求めない者には、宮廷内の地位など何の意味もない。
だが叡秀にとって雲嵐は親代わりで、恩がある。悪く言う話は聞きたくない。これ以上は掘り下げず、話を店の経営に戻すことにした。
「ところで、ここ凄く広いけど他にも店を入れるの? 入れるなら獣人専門にした方がいいと思うよ」
「あんただけだよ。半分は弁当の販売で、半分は食堂にしようかと思ってる」
「食堂は客入らないと思うよ。獣人は店で食べるの好きじゃない」
「そうか? 街中じゃ獣人も店に入って食べるだろう」
「そうするしかないからでしょ。獣人のための持ち帰り弁当なんて、人間はやってくれないんだから。獣人は獣種ごとに固まるのが本能。慣れた場所で慣れた相手とだけで食事をしたいはずだ。だから弁当が売れたんだよ」
「そこまで徹底するものなのか。確かに閉鎖的な種族ではあるが……」
「閉鎖的って言い方は嫌いだな。同族で集まることを好む種族というだけで、悪いことに見えるのは人間が開放的な交流を好むからだ。本能の違いは善悪じゃない」
叡秀は足元で丸まっている侑珠を抱き上げた。いつの間にか兎の姿に戻り、すやすやと眠っている。兎は日中も眠る。何も悪いことではない。
侑浬はいつものように優しく侑珠を撫で、麗孝は躊躇うことなく頭を下げた。
「すまない。俺の考え方が間違っていた」
「人間ならそう考えるのが普通だよ。ただ僕は獣人の子だから、獣人寄りに考えられるってだけ。それより、侑浬はどう? 獣人目線の意見が欲しいな」
「一品ずつ売ってほしいと思う。欲しい物を欲しいだけ買えるの。四人家族なのに二つしか買わない人がいたんだ。俺たちって獣種ごとに食べる量が全然違うんだ」
「惣菜の単品売りか。いいかもね。栄養が偏ってる人は、必要な物だけを沢山食べた方がいい場合もある」
「あと、器は好きな物を使いたいと思う。俺は人間の器って嫌い。ちょっとだけど変な匂いするんだ。つんってする」
「けど器で販売するのが一般的だ。設置はしておいて、持ち込みも可にする方がいいだろうな。器費用が削減できてこっちも都合が良い」
「器の分もお金取るの? なら器は萵苣の葉で無料がいい。侑珠は萵苣食べるもん」
「あ、萵苣も料理の一部と考えればいいのか。凄いね侑浬。よく思いつくね」
褒めてやると侑浬は嬉しそうに微笑み、撫でてやるともっと嬉しそうな顔をした。
商売に難しい提案ができるのは、やはり隊商で販売に参加していたのだろう。
「だが惣菜にできるのか? 薬膳は組み合わせが大事だろう。客に考えられるか?」
「その問題あるんだよね。自由に選ぶだけで健康な組み合わせになる方法ないかな」
「侑浬はどんなのが分かりやすい? 子供も分かる方法が一番いい」
「栄養ごとに机を分けるのは? こっちは野菜だけ、こっちはお肉だけ。それぞれの机から買えるのは一個だけにすれば、説明しなくても叡秀の思い通りになるよ」
「それいい! 頭いいね、侑浬。本当にすごいよ」
侑浬は恥ずかしそうに、けれど嬉しそうにしてくれた。今までがどうあれ、楽しく過ごしてくれるのなら商売は悪くないかもしれない。
そんなことはさておき、麗孝は侑浬の話を書き留めていく。叡秀が侑浬と侑珠を可愛がろうが興味はないようだ。
「机の形と色を変えて配置も離そう。いいな。内装は想像が付いてきた。それじゃあ最後に最重要事項だ。店名を決めてくれ!」
麗孝はやけに興奮している。商売や経営が楽しいと思わない叡秀には、店名を考えるだけで何故興奮するのか分からない。
「麗孝の好きに決めてよ。僕は獣人の薬膳を売ってるって分かればいいよ」
「叡秀の名前を入れようよ! 叡秀のお店って分かるのがいいよ!」
「でも薬膳は誰が作っても同じだ。僕の名前なんてなくていいと思うよ」
「いや。侑浬の言う通り、識別できる固有名詞は必要だ。集客に関わってくる」
「そういうもの? じゃあ姓にしてよ。名前は恥ずかしいから」
「ならこれはどうだ」
麗孝は鞄から片手で握れるくらいの木の板を取り出した。ここまで話を記録していた紙とは違い重厚感がある。麗孝はすらすらと木の板に文字を書き、叡秀と侑浬の前に差し出した。
木の板には《獣人薬膳房 鍾》と書かれていた。
「獣人専用の薬膳を売る店という意味だ。御膳房と印象が近いから、そこらの店とは違うって雰囲気も出る。どうだ?」
「かっこいい! 俺いいと思う!」
「うん。獣人専門って分かるし、いいんじゃないかな」
「決まりだな。看板は手配しておこう。営業はいつから始められる?」
「僕は材料さえくれればすぐにでも」
「よし。それじゃあ必要な材料と分量を書き出してくれ。開始は胡老師が用意してくれることになってるが、今後は業者に納品してもらう」
「業者とはまたすごいね。書き出すからちょっと待って」
それから、叡秀と侑浬、侑珠は献立を何にするか話し合った。想像ではなく、獣人の意見を元に考えられるのは楽しかった。
麗孝は業者を集めて店の内装を整え、客へ約束した三日後には店が完成していた。
看板は艶がある木の一枚板に店名が彫ってある。きちんとした店に見えるが、宮廷のようにお高く留まった雰囲気はない。
叡秀たちは四人で看板を見上げた。店内には弁当が積んである。惣菜は六種類を並べたが、説明書きは料理名と効果効能を一つ二つ書く程度に留めた。
「食べるだけで健康になれるお店だね!」
侑浬はにっこりと微笑み、朝から人化できた侑珠もにこにこしている。
最初は思い付きだった。三人で生活できればいいと思っただけで、多くの獣人にどう働きかけるかなど考えていなかった。けれど、侑浬と侑珠が獣人に繋がる形に導き、麗孝が磨き上げてくれた。
侑浬と侑珠を拾って五日、麗孝と出会って三日。
十日足らずのうちに、叡秀の人生が大きく動き始めていた。
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