第六話 獣人薬膳の販売(二)

 昨日と同じ質素な食事だというのに、二人は嬉しそうに笑ってくれた。

 侑浬はほぐした鶏肉を侑珠に食べさせる。侑浬は自分が食べるのを忘れてしまうようで、叡秀が侑浬の口元に匙を持って行き食べさせた。


「侑浬は本当に侑珠が大好きだね」

「うん! 侑珠可愛いもん! 侑珠あーん!」

「あーん」


 侑浬が食べさせてやると、侑珠はちょびちょびと嬉しそうに食む。幸せな時間は昨日の嫌な時間を忘れさせてくれた。


「今日は何して遊ぼうか。陽紗の所なら侑珠の玩具もいっぱいあるし、森へお散歩に行ってもいい。獣人が獣態で過ごすための区画もあるんだよ」

「……それは獣人を幸せにするため? それとも閉じ込めるため?」


 侑浬は侑珠に鶏肉を食べさせながら俯いた。突如飛び出した厳しい言葉に、叡秀はぐっと言葉を飲み込んだ。

 侑浬の言う通り、『獣人のための区画』は、獣人と距離を置きたい人間が作った美しい大義名分だった。否定しない叡秀を見て察したようで、侑浬は苦笑いをした。

 けれどどういうわけか、すぐにぱっと笑顔になった。侑浬は八宝粥が入っている器を持って勢いよく立ち上がる。


「俺考えたんだ! 薬膳をお弁当にして売れないかなって!」

「え? お弁当?」

「そう! 草食と肉食で食べた方がいい食事が違うとか、寝る前はどういうのがいいとか、どうしたら人化できるかとか! そういうのを教えてあげるんだ!」

「それくらいならすぐできるよ。けど獣人は人間の食事に不信感があるだろう」

「なら俺と侑珠が売るよ! 耳と尻尾出てれば獣人って分かるもん!」


 侑浬は耳だけを虎に変えた。人化制御のできる獣人は、部分的に獣へ変態することもできる。侑珠もはっとした顔をして、椅子から降りて尻尾の生えているお尻をふりふりしてくれた。手にはしっかりと鶏肉が握られている。


「叡秀の薬膳は獣人を助けてくれた! 獣人を助ける『じえーぎょー』やろうよ!」

「もしかして、昨日の覚えてたの?」

「当たり前だよ! 俺も侑珠も、叡秀と三人でお店したいもん!」


 侑浬はぎゅっと叡秀に抱き着き、侑珠は足へしがみつくように抱きしめてくれる。

 自営業は理想論だと思っていた。ただそうできたらいいなと思っただけで、実際に店を開くなら場所が必要で商品も必要だ。従業員を雇えば給料も必要になる。

 だが侑浬の言うやり方なら、そんなに手をかけずにできるかもしれない。


「僕にできるかな……」

「叡秀にしかできないよ! 獣人を助けてくれる御膳官は、叡秀しかいないもん!」


 侑浬の強い言葉を聞いて、一瞬の間で色々な人の顔が浮かんだ。

 人身売買から逃げるために見捨てた青年はどうしただろうか。生死は分からない。

 両親は死んでしまった。人間が助けてくれれば、今も生きていたかもしれない。

 それでも叡秀は生きている。雲嵐が薬膳を与えてくれて、涼成が友になってくれた。陽紗は活力を与えてくれた。だから人間社会で生活ができるようになった。

 叡秀は運が良い。種族も性別も問わず良い縁に恵まれたが、それは人間だったからだ。育ちがどうであれ、人間だったから人間社会に入りやすかった。

 獣人なら無理だっただろう。同じ縁を持っていても、獣人というだけで受け入れてもらえない場面が多い。それが苦であることに、人間は気付きもしないだろう。


「……忘れてたよ。僕は人間で『獣人の子』だから、できることは多い」


 叡秀は知っている。獣人は、人間と共生関係が築けたら救われることを。その実は愛情ではなく、利害の一致で良いのだということも。


「やくぜんどうぞ」


 侑珠が両手を丸めて、差し出すような姿勢を取った。お弁当を渡す係をやるという意志表示だろうか。小さな体を懸命に動かす姿は愛らしい。

 そっと侑珠の頬を撫でると、すんすんと鼻をひくつかせてすり寄せてくれる。


「侑浬は賢いね。すごく良い考えだ。これなら三人でやっていける。侑珠の可愛さに釣られてくる客も多いぞ、きっと」

「兎でぴょんぴょんしても可愛いと思うよ。ね、侑珠」

「やくぜんどうぞ。ぴょんぴょんどうぞ」


 侑浬と侑珠は自信満々な笑みでお互いを抱きしめた。二人は今日も仲良しだ。

 二人がいれば、何でもできるような気がした。


 それから、叡秀はありったけの食材で薬膳を作った。陽紗の店で使い捨ての紙食器を買い、侑浬に手伝ってもらって詰めていく。侑珠は傍で昼寝を挟みながら応援してくれている。何もせずとも、いてくれるだけで癒される。

 完成した弁当を袋に詰め込み外へ出ると、三人で大通りに立った。侑浬と侑珠は耳を出し、獣人であることを知らしめる。侑浬は弁当を持ち、掲げるようにして声を張り上げた。


「獣人薬膳いかがですかー! 草食獣人用と肉食獣人用のお弁当でーす!」

「やくぜんどうぞ」


 喋ることに不慣れな侑珠は、まだ大きな声が出せない。その代わり一生懸命に手を振って、耳をぴょこぴょこ動かしてくれている。侑浬よりも侑珠の方が獣の部位が大きいため、二人が揃うと非常に目を引く。

 何人かがちらちらと横目で視線を寄越して通り過ぎていくが、一組の親子連れが不思議そうな顔をして寄ってきた。母親と少女の二人連れで、少女は侑珠のように兎の耳が出ていた。年齢も同じくらいだろう。


「薬膳って何のお弁当? 専用ってどういう……?」

「薬膳は健康になる料理です! これ食べて侑珠も人化できるようになりました! 昨日までできなかったんだけど、もうできるんです!」

「人化栄養不全が治るの? どうして?」

「どうして? 理由は、えっと、えっと……」


 質問をされることは想定していなかったのか、侑浬はわたわたと慌てた。

 さすがに質疑応答は叡秀の領分だ。人間と分かれば驚かれるかもしれないので、侑浬の後ろから応えることにする。


「人化栄養不全は病気じゃないですよ。人間態を保つ栄養が足りてないんです。見たところ兎獣人のようですが、お肉を食べてないんじゃないですか?」

「そりゃあ兎だもの。肉は食べないわ」

「獣態はそれで大丈夫なんですが、人間態は動物性と植物性、両方の栄養が必要なんですよ。動物性の栄養をしっかり摂れば、無意識人化くらいはすぐできます」

「ゆずもできた」


 侑珠は耳をぴるぴるっと動かした。少女は同族相手で気が緩んだのか、侑珠が持っていた薬膳弁当をじいっと覗き込む。


「単なる栄養不足ってこと? そのお弁当を食べたらいいの?」

「ええ。でもこの弁当は一例。薬膳は栄養価が高いのでお勧めしているだけで、これじゃなくてもいいんです。草食獣人は朝昼お肉、夜野菜をお勧めします。無理なく効率よく栄養を摂取できますよ」

「そんなことがあるのかい。年寄りも赤ん坊も食べられるかい?」


 ずいっと出てきて話に入ってきたのは、犬の耳が出ている老婆だ。加齢とともに食が細くなり、人家栄養不全を起こすのは珍しくない。


「どなたでも大丈夫ですよ。赤ん坊は離乳食ですね。この辺がそうです」


 離乳食は侑珠用に作った物だ。侑珠は一般的な食事ができる年齢だが、食べ慣れていない可能性が高い。少しずつ慣れさせてからにしようと思い、離乳食も作った。

 侑珠用にとっておいた瓶から匙でひと掬いし、侑珠に食べさせてやる。侑珠は嬉しそうに頬張り、老婆は物珍しいものを見るような顔で感心した。


「小さい子も食べていいんだね。間違って肉食用を食べたらどうなるんだい?」

「どうということはないですよ。草食用は『草食獣人に必要な栄養を摂取しやすい弁当』であって、『肉食獣人が食べてはいけない弁当』ではないんです。食べる分にはただの弁当です。ただ最適な栄養価ではないというだけですね」

「ほおほお。お腹痛くなったりしないならいいね」


 老婆はもう買う気になってくれたのか、侑浬の手から弁当を一つ受け取った。じっと叡秀を見て鼻をすんすんと動かす。


「人間の匂いだね。人間が獣人のための料理を作るなんて、珍しいじゃないか」

「僕は獣人に育ててもらったんで、生活も食事も獣人寄りなんです。人間の料理も生活習慣も苦手だったんですけど、知識は役に立ちますね」

「そりゃ珍しいね。人間の知識を教えてもらえるのは助かるよ。人間は獣人を馬鹿な種族だと見下して教えてくれん」

「教えていいか、迷ってるだけの人間もいますよ。獣人は同族で固まるでしょう? 踏み込んでいいか分からないんですよ」

「へぇ? 喋るだけで踏み込むも何もないだろう」

「余計な知識で生活を乱したらどうしよう、っていう恐怖です。何が獣人に悪いのか、人間は想像するしかできない。何か教えて万が一があれば困るでしょう」

「ふうん……まあそうか……?」


 老婆は首を傾げたが、最初にやって来てくれた女性は大きく頷いていた。獣人も人それぞれだ。生きた時代によって受けた仕打ちも違っただろう。

 気が付けば周りには人が集まっていた。叡秀の話を聞いてくれたのか、皆侑浬と侑珠の持っている弁当を観察するように見つめている。


「この弁当は人間の獣人医療に基づいて作っています。異種族を理解できなくても、良い側面を協力するだけでいいと思いますよ。健康になればそれで」

「そうよね。どうせ聞いても難しい話は分からないし。お弁当食べるだけにしてくれるのは楽でいいわ。草食用を三つ欲しいわ。坊や、一ついくら?」

「いくら? 叡秀。一個いくら?」

「あ、しまった。値段まで考えてなかった。どうしようかな」


 宮廷では作った端から出していく。金で売買するという前提を忘れていて、価格設定など考えてもいなかった。最低限、食材と紙食器の費用は取り戻さなければいけないだろう。それを元に価格設定――なんて計算を即座にやるほど頭が回らず悩んでいると、こんっと隣に立っていた男に肩を突かれる。

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