第二話 人間と薬膳と獣人兄弟(一)

 叡秀の家は一般家庭に比べると野性的だ。

 場所は街はずれで、最も賑わう中心部からも人通りの多い外門よりも遠く、国の整備が届いていないため獣道で草木は好き勝手に生えている。

 宮廷まで徒歩五刻超のため、出勤には馬車が推奨される。買い物するにも出勤するにも不便だが、自然が多い木造の小屋は両親との生活を思い出す。

 人間には不人気らしく、安価で叩き売られていたので即購入した。雲嵐に渋い顔をさせてしまったことだけは気掛かりだが、それでも良い買い物をしたと思っている。

 虎と兎の兄弟を抱いて、お情けばかりの古ぼけた木造の門をくぐり敷地に入る。


「着いたよ。ここが僕の家だ」


 家と言っても、視界は一面の草木だ。建物はまだ奥で、ここからは見えない。

 侑珠も不思議に感じたのか、首をかしげてきょろきょろと周囲を見渡している。


「うちは家より庭が広いんだ。天井と壁があるのは居間と寝室一部屋と台所。足元は床よりも土の方が多い。涼成には好評なんだけど、どうかな」


 涼成もかつては野生にいたらしい。この庭を気に入り頻繁に遊びに来るが、胡家の人々とは疎遠になりつつある。

 胡家は宮廷に近く、皆人間のため野生みのある家を好ましく思わないようだった。


「僕は獣人に育ててもらったんだ。人間の作った建物は好きになれなくてさ。化学調味料分かる? あれが気持ちの悪いんだよ」


 侑珠に伝わっているか分からないけれど、そわそわとしている。


「お兄ちゃんを寝かせてあげたいんだけど、人間の建物と庭のどっちがいいかな」


 獣人でも人里で育っている場合は人間の建物を好む場合がある。侑珠はぴょんと飛び降り草むらに飛び込んだ。ぴょこんと顔を出すと、また奥へと飛んで行く。


「庭がいいんだね。じゃあこの獣道を進んで。獣人の作った四阿がある」


 大工は獣人が多い。細かい設計と指示は人間がやるが、獣の腕力や脚力を使うと作業が圧倒的に速い。獣人国民が増えて以来、力作業は獣人の領分になりつつある。

 お互い利害が一致していて、双方不平不満もなく成立している珍しい事例だ。

 少し進むと四阿が見えてきた。侑珠はぴょんっと高く飛びあがると、嬉しそうにぴょんぴょんと駆け込んだ。

 ぐるぐると中を見回って、最終的には四阿を出て土の上にちょこんと座った。


「お兄ちゃんが休んでも大丈夫か確認してくれたの? 木の寝台より土がいい?」


 侑珠はうんうん、と頷いてくれた。言葉はなくても意思疎通はできるものだ。

 虎の少年を土の上に寝かせると、侑珠はぴょんぴょんと飛び跳ね虎の少年の顔の横にちょんと座った。


「庭の手入れは薬品を使ってない。草は兎も食べられる種類だから、食べたかったら食べていいよ。お兄ちゃんの食事は起きてからね」


 獣人と生活をする予定はなかったが、草食獣種が住みやすい庭にした。獣人に否定的な翠煌国で、苦しむ獣人がいたら置いてやりたかったからだ。

 それが今まさに役に立った。侑珠は虎の少年にくっついたまま、顔の下にある草をむしゃりと食べた。近くに水も置いてやると、嬉しそうに飲んでくれる。

 叡秀は少し離れた場所にある天井と壁のある自宅を見た。かれこれ七年間使っているが未だに愛着はない。

 人間仕様の家に背を向け、木の葉を被って虎の少年の横に寝転がった。

 ――いつぶりだろうか。自分以外の誰かと眠るのは。

 胡家に入った頃はまだ子供で、雲嵐や雲嵐の家族が抱いて眠ってくれた。

 けれど目が覚めた時、抱いてくれてる腕が両親ではないことが悲しくて、叡秀は誰かと眠るのが嫌いになった。

 この子たちにそんな思いはさせたくない。何でもしてやろうと、ひっそり誓った。


 何かが身体をくすぐって目が覚めた。目に映ったのは、眠っている兎の侑珠を抱いて不安そうな顔をしている少年だった。


「おはよう。よく眠れた? 昨日倒れちゃったんだよ。覚えてる?」


 少年は大きな目をぱちくりさせて、はっと驚き慌てて姿勢を正した。


「おはようございます! 侑珠! 起きて! おはようございますってして!」


 虎の少年は眠っている侑珠の身体を揺すった。表情は明らかに怯えていて、とんとんと侑珠の身体を叩き続ける。

 怯える姿は覚えがあった。出会ったばかりの涼成が同じような怯え方をしていた。職員であっても人間が近づけば表情を濁し、叡秀に慣れるのにも時間を要した。

 叡秀は少年の手をそっと握り、安心してもらえるように笑顔を見せる。


「駄目だよ。兎は昼も眠るんだ。生態に合った睡眠の取り方をしないと健康に悪い。起きるまで寝かせてあげよう」

「……そう、なんですか?」

「うん。一度も人化しないところを見るに、人化が苦手なんじゃないかな。思い通りに人化できるようになるまでは、獣の本能で生きた方がいいよ」

「でも、ちゃんと起きなきゃ駄目って言われたんです」

「無理して起きる方が駄目だよ。君たちの年齢は獣の本能で生きる頃だ。その経過で人化という獣人特有の本能が育つ。ちゃんと育つためには適切な睡眠」


 人間は獣の本能が理解できない。友好的であっても、努力しなければ知ることはできない。努力しても、それが当然のように身に付くわけではない。

 どうしても人間の『当然』を押し付け、世間を知らない子供は真に受けてしまう。

 少年は不思議そうに首を傾げた。きっとこれまでの養育者は、人間の価値観を押し付けていたのだろう。叡秀は地面に膝を付き、少年と目線を合わせた。


「名前を教えてくれる? 僕は鍾叡秀。人間だよ」

「虎獣人の侑浬です。こっちは弟の侑珠。兎獣人です」

「よろしくね、侑浬君。敬語は使わなくていいよ。考えながら喋るのは疲れるだろう」

「でも、ちゃんとしなきゃ駄目って言われたんです」

「そんなのは人間社会に出てからでいいよ。考えると脳が疲れて、気力と体力が削られる。そうなると本来やるべき本能的行動ができなくなっちゃうんだ」

「え、っと……」


 侑浬はまた不思議な顔をして首を傾げた。複雑な思考に長けていない獣人は、相当な努力をしなければ人間と同等の思考は身に付かない。

 人間は獣人に人間並みの行動と成果を求めるが、生態からして無理だ。それは優劣ではなく向き不向きでしかない。ましてや子供に無理を強いるなんて言語道断だ。


「ようするに、考えずにできることからやればいいんだよ。というわけで」


 叡秀は困惑している侑浬の手を握った。まだ小さな子供の手は、両親を失った時の自分を思い出す。だが侑浬の腕の中には侑珠がいる。幸せそうに眠っている様子は、かつて両親を得たときの自分のようだった。


「人里で生きる術を教えてあげる。少しずつやっていこう!」


 愛し合っている家族は一緒にいるべきだ。

 叡秀は二人を連れ、人間仕様の家に向かった。

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