第一話 獣人の子と獣人兄弟の出会い(二)
言い返しはしたが、叡秀が一番好きな仕事は狩猟給養員だった。
獣人の両親と過ごした温かい日々を思い出し、自然と鼓動が早くなる。叡秀は材料と道具を一式用意すると狩猟区域へ向かった。
狩猟専用区域が設けられた理由は、実は獣人の本能のためではない。人間と共生するための線引きだった。
無国籍の獣人は野生動物に括られるため狩猟は誰にも咎められないが、翠煌国の国籍を持つ獣人は翠煌国の法に則らなくてはいけない。
翠煌国では野生動物の殺生は罪に問われる。国民でいたければ狩猟をするな――となる。
けれど狩猟は獣の本能だ。本能を抑えるのは精神的負荷が大きく、病に倒れる獣人もいる。
人間主権国家の翠煌国では無視されてきたが、獣人国民が増えてからは無視できなくなった。せめて一区画だけで許してやろう、という妥協案が福祉狩猟だった。
叡秀も狩猟は両親との生活を思い出し、獣人と森で過ごす時間は心地良かった。獣人も叡秀の出自を知ると警戒心が下がり、色々な話をしてくれる。
「最近は眠りが浅くてさあ。朝起きて、もう眠い」
「睡眠の質を良くするしかないね。試しに
「私は疲れやすいの。ちょっと何かすればもうぐったり。何食べたらいい?」
「原因によるね。肉体の問題か精神的なものか。季節性の場合もある。一度医者に相談してみてよ。原因が分かれば適切な薬膳を用意できる。とりあえず今回は茸を使おう。疲労回復と美肌効果も」
「美肌⁉ それがいい! それにして!」
雲嵐が教えてくれた薬膳の知識は、獣人の生活改善に役立った。
食材一つ一つに効能があり、求める改善効果に適した食材を選ぶ。全て自然由来の材料で、味付けも天然食材のみ。
難しいのはどの食材を組み合わせるかだ。一緒に食べることでより高い効果を発揮したり、その逆もある。だが美味しくなければ意味がないので、味わいも重要だ。
最大の問題は獣種だ。獣種によって食べられない食材があり、最適な献立が違う。
だから叡秀は各自と話して決める。それが叡秀の作る『獣人薬膳』だった。
「下手な医者より叡秀の薬膳だな。お前さんが給養員の時はしばらく調子がいい」
「宮廷の食堂でも薬膳を出してくれよ。人間食は調味料ばっかで食えねえ」
「僕もそうしたいんだけどね。残念ながら、献立立案権はお偉方が握ってるんだ」
人間でありながら獣人の味方をする叡秀と仲良くしてくれる獣人は多い。狩猟を通じて縁は深まり、それもまた両親との生活を思い出させてくれた。
全員が狩猟に出ると食事の支度を始めた。基本的には全員一律で同じ料理だが、叡秀は可能な限り一人ずつに適した薬膳を作っている。
だがこれは少数で、全員の意向が一致してるからできる対応だ。御膳房のように、獣人を蔑む人間が主導する組織内では難しい。余裕があってもやらないだろう。
悪口ばかりが饒舌な同僚を心の中で蹴り飛ばす。うまい方法はないかと頭を捻っていると、足元の茂みががさがさと揺れた。蛇にしては揺れが大きく、人にしては姿が見えない。
小さな動物がいるのかと思い茂みをかき分けた。すると、茂みの中から何かが飛び出してきた。
「うわっ!」
叡秀の顔目掛けて飛び出てきたそれは白い毛玉のようだった。しかし毛玉には顔があり、頭には長い耳が付いている。小兎だ。
「兎? おかしいな。この辺は兎の生息地じゃないんだけど」
狩猟区域には様々な動物がいる。だが全て野生に任せているもので、国が育てて放っているわけではない。本来存在しない野生動物は出てこない。
「飼い兎にしては首輪がないね。まさか獣人? 駄目だよ。狩猟区域で獣になるなら、首輪か耳飾りを付けてないと。獲物と間違えられちゃうよ」
人間は、野生動物と獣になった獣人を見分けられない。獣種によっては「この種類にしては大きすぎる」といった判別ができる場合もあるが、必ずしもそうではない。
獣人同士は匂いや雰囲気で分かるというが、数年野生で育っただけの叡秀には分からなかった。
万が一獣人で、うっかり狩られたら殺人事件へと発展する。ともかく保護しておこうと小兎を抱き上げたが、追うように何かが茂みから飛び出し腹に突撃してきた。
「うぐっ!」
叡秀は思い切り突き飛ばされた。激しい衝撃に負けて小兎を放り出してしまう。
一体何が起きたのか分からなかった。腹を抑えながらよろよろと体を起こすと、叡秀を突き飛ばしたのは一匹の虎だった。叡秀が両腕で抱えられるくらいの大きさだが、大人の虎というには小さい。
それでも虎だ。小兎が食べられないよう抱いてやろうと思ったが、いつの間にか小兎は虎の背にちょんと座っていた。
だがそれは妙に思えた。虎にとって小兎は獲物だ。さっさと逃げるべきだ。
小兎が寄りそう虎はふうふうと呼吸が荒く、ひどくやつれていて毛並みが悪い。
ついにへにゃりと座り込み、小兎は虎の顔の真横に飛び降りた。心配そうに頬をぺろぺろと舐めている。野生で敵対する獣には見えない。
「やっぱり獣人だよね。家族? 肉食獣人と兎獣人の混血はあまり聞かないけど」
声をかけてみたが、虎は睨みつけてくるだけだった。小兎を守ろうとしているようで、やつれた身体を震える手足で必死に起こす。
「大丈夫だよ。僕は宮廷の職員だ。困ってるなら手を貸すよ。人間になれる?」
虎は考えているようだった。信用できるか悩んでいるのかもしれない。
野生育ちの獣人から信頼を得るのは難しい。人間が嫌いだから野生を選んでいる場合が多いため、少し会話した程度では心を動かされない。
獣人同士なら良いかといえば、そうでもない。異獣種は敵対すると言っていい。草食獣にとって肉食獣は敵。下手に人数を増やせば怖がらせるだけだ。
「困ったな。あ、もしかして火が怖い? 消すからちょっと待ってね」
野生動物は火を恐れ、獣の本能が強い獣人も同じように火を恐れる。
叡秀は煮ていた粥ごと鍋を下ろし、竈に水を掛け火を消した。すると、虎はそろそろと寄ってきたが、目は竈ではなく下ろした鍋に向いている。
「もしかしてお腹空いてるの? なんだ。ちょっと待ってて」
叡秀は粥を二つ器に盛り、虎と小兎の前に差し出した。じっと見つめてはいるが、二人とも食べようとはしてくれなかった。
獣人が食事をしない理由の一つが毒を恐れている場合だ。養護施設での涼成を思い出し、叡秀は二人の目の前で同じ粥を食べて見せる。
「ほら。大丈夫だよ。それとも熱いのかな。ふうふうしてあげようか」
匙をひと掬いして、冷ますように息をかける。適温になった頃、叡秀は二人の前に匙を差し出した。
すると、虎は恐る恐るだが口に含み、ごくりと飲み込むと小兎を見て頷いた。それを合図に小兎も粥に飛びつき、もぐもぐと必死に食べる。
「やっぱりお腹空いてたんだね。でも狩猟区域ならいくらでも獲物はいるでしょう。何で空腹なんて――ええ⁉ ちょっと!」
他にも何か出してやろうと立ち上がると、同時に虎が十歳くらいの少年に変化した。獣人が人間になる『人化』だ。
少年は倒れこんだ。顔は真っ青だが身体つきはしっかりしていて、子供一人くらいは悠々と運べそうだ。
だからこそ、持ち物が一つもないのは妙だった。
獣人は獣から人間になった時、身一つで裸だ。人間の姿で裸には問題があるため、衣一つは持ち歩くのが普通だ。
体なり手足なり、どこかに巻き付けておくが、少年は何一つ身に着けていない。
「何かあって難民になったのかな。君。意識はある? 声は聞こえる?」
「ゆ、ず……」
「ゆず?」
「侑珠を、弟を育ててやって……」
少年は小兎を抱き寄せた。弟だという小兎は目に涙を浮かべながら、必死に少年の頬を舐めている。
二人の様子に、叡秀はかつての自分を思い出した。
両親は育て親を探すと言い、叡秀は養護施設へ預けられた。けれどそこに幸せはなく、今なお喪失感は埋まらない。
獣人が家族を人間に預けるのは誰も幸せにならないと叡秀は知っている。
叡秀は必死な表情をする少年の頭をそっと撫でた。
「諦めるのは死ぬ時でいい。手当てをしてもらうから街へ行こう。虎に戻れる?」
少年は小さく頷くと、ふうっと息を吐きながら虎に戻った。長い手足の人間より、抱え込める虎の方が運びやすい。
叡秀は侑珠と呼ばれた小兎を少年の背に乗せると、二人を抱き上げ街へと走った。
叡秀は全速力で街へ戻り、一軒の建物を目指して走った。
日が暮れ始めているので営業を終えたかもしれないが、それでも構わず戸を叩く。
「涼成! 診てくれ! 病人だ!」
訪ねたのは、養護施設で親しくなった黎涼成だ。
涼成は宮廷で医学を学び、見事医師免許を得た。だが諸々事情を経て、宮廷を辞め獣人専門の開業医として落ち着いている。
どんどんと扉を叩くと、少しして中から涼成が出てきた。
「どうしたんです。そんなに慌てて」
「狩猟区域で行き倒れを拾ったんだ! 虎の子は十歳くらいの男の子だ。兎の子は人化してないから分からないけど、多分獣人」
「行き倒れ? また珍しいことに遭遇しましたね。中へどうぞ」
涼成の後に付いて中へ入り、指示された通りに寝台へ寝かせてやる。
侑珠は兄の傍へ飛び降り、頬を舐めた。涼成は侑珠の邪魔をしないように、反対側から虎の触診を始めた。
体温を測り心音を聞き、一通り調べ終わると顔を上げる。
「一時的な栄養失調でしょう。虎の子は肉付きがいいので、健康に生活してたと思いますよ。ちゃんと食べれば問題ないでしょう」
「そっか! よかった。お兄ちゃん大丈夫だってさ」
侑珠はずっと兄の傍を離れず、頬を舐めてやっていた。大丈夫という言葉が伝わったかは分からないが、舐めるのを止めようとしない。
愛情を感じる光景に心は和んだが、涼成は険しい顔をしている。
「それで、どうするんですか? 孤児難民は役所に」
「僕の家に連れて帰るよ。目が覚めたら食事をさせてやらなくちゃ」
叡秀は涼成の言葉を遮り、虎の少年を抱き上げた。侑珠もぴょんと叡秀に飛びついて、兄の顔が見える位置に滑り込む。
虎の少年は弟の育て親を探している。役所へ連れて行けば、養護施設の職員が親になってくれるだろう。いや、なってしまう。
「役所へは渡さない。どうせ連中は養護施設へ放り込むだけだ」
虎の少年は叡秀が養護施設へ入った年齢と同じ頃だろう。きっと同じ思いをする。
そうなると分かっていて放っておくことなど、叡秀にはできなかった。
涼成は驚くような素振りもなく、嬉しそうにほほ笑んだ。養護施設で苦しんだのは涼成も同じだったからだろう。
「困った時は言ってください。医者が必要な時も多いでしょう」
「有難う。頼りにしてるよ」
涼成はそっと侑珠を撫でた。獣人だと分かったのだろうか、侑珠は涼成の手をぺろぺろと舐めて応えた。獣人ならではの交流は羨ましく感じられた。
叡秀は虎の少年を見つめた。この兄弟がどういう状況なのかは分からない。でもそんな真相より、虎の少年の名前を早く知りたかった。
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