第一話 獣人の子と獣人兄弟の出会い(一)
――あの時、虎と兎の獣人兄弟を助けたのは、慈悲ではなく自己満足だった。
宮廷御膳房所属職員、御膳官の一日は打ち合わせから始まる。
主な業務は食堂で出す料理の調理だ。献立作りや仕入れ、仕込み、後片付け。地味なわりに朝から晩まで調理室にこもりきりの重労働だ。
だが華やかな仕事もある。皇族や皇族縁者の宗族、来賓へ出す料理を作ることだ。
御膳官を取りまとめる青年、
「今日、
「麗華って猫獣人の国ですよね。何で獣人のために人間の俺らが……」
御膳房で最も栄誉ある仕事だというのに、全員が憂鬱そうな顔をした。理由は言うに及ばず、獣人差別だ。涼成が言った通り、宮廷でも人間と獣人は不仲だった。
それもここ数年で悪化が加速した。原因は翠煌国の国政の転換に端を発する。
翠煌国は世界地図では北東に位置する人間主権国家だ。世界人口が十億人に対し、人口二千人に満たない小さな国だった。
だが直近五年で人口は一億人に到達し、今なお増え続けている。
人口が爆増した理由は大量の獣人移民だ。
従来人間主権国家はほぼ全てが人間で、獣人は数十名程度。それも難民などやむを得ない者で、獣人は獣人主権国家で生活をする。
獣の本能で生きる獣人は理性的な人間の生活など求めないし、不要だった。
だが翠煌国は獣人が最も欲する物を開発した。命を繋ぐ『獣人専門医療』だ。
人間と獣人は生態そのものが違うが、人間が圧倒的上位に立つのが頭脳だ。
獣人の寿命は野生動物の約二〜三倍で、平均して三十歳前後。
対して、人間の平均寿命は八十一歳。獣人よりも長寿な理由は医療の発達にあった。
考えることに特化した脳を持つ人間は、高度な知識と技術を駆使して寿命を延ばした。
しかし獣人は本来獣。野生生活が本能で、勉学や開発に適した脳の発達をしていない。
加えて、本能的に対立傾向がある人間と獣人は知識や技術を共有しない。人間の卓越した医療は人間だけの物だった。
だが翠煌国は種族による差別意識を取り払った。獣人の生存権に向き合い始めた結果、翠煌国の獣人は人間と同じ寿命を生きるようになった。
獣人は我先にと翠煌国へ移住を希望した。翠煌国は人間主権国家でありながら多獣種国家になりつつある。
だが獣人移民の増加は翠煌国内でも賛否両論があった。
「獣人増えすぎでしょ。皇太子殿下がこんなんじゃ先が思いやられるわ」
「麗華の訪問を承諾したのも殿下なんだろ? いい迷惑だよ」
獣人医療は翠煌国の国力を発展させたが、奇しくもこれが政治体制を二分した。
獣人との共生推進は皇太子
実の親子で対立し、宮廷は『皇帝派』と『皇太子派』に分かれてしまった。
人数は皇帝派が圧勝だが、幾つかの理由から皇太子派が勝利すると思われている。
まず、いずれ代替わりはする。嫌でも数年後には皇太子の方針が国政になる。
次に、肉食獣人という武力的強者を味方に付けている軍事的な強さだ。戦争になっても、銃火器を数個作るのが精いっぱいの人間では立ち向かえない。
何より大きいのが、胡家当主・雲嵐が天睿に賛同していることだった。
胡家は翠煌国医療の頂点に立つ一族で、健康の土台となる食を研究している。翠煌国の食文化は胡家の研究により発展したといっても過言ではない。
かつては一御膳官だった雲嵐も、今や御膳房を含有する御医院の頂点・御医院太医令の座にいる。
その雲嵐が獣人との共生を望んでいる。政治的立場は皇帝の重臣だが、命ともいえる食文化の側面で皇太子派に立っているのは台風の目と言っていいだろう。
そんな雲嵐の養い子である叡秀は、御膳官にとって目の上のたん瘤だった。
皇帝と皇太子がどうあれ、現場で働く一人一人の価値観が変わるわけではない。
依然として宮廷職員の間では獣人を蔑む者が多い。年嵩の職員はほぼ皇帝派で、逆らえば解雇されることも多々あった。獣人に好意的な職員も黙るしかない。
叡秀の直属の上司・玖哉藍は皇帝派だが、国が決めた以上は獣人を歓迎する仕事もしなくてはいけない。ぱんぱんっと手を叩き、ぶつくさ言っている御膳官を諫めた。
「十日で帰るから我慢しろ。饗宴と食堂で担当を分ける。饗宴の指揮は俺と
「愛玩獣種なんかにぺこぺこしたくないですけどね」
「適当に猫獣人料理出せばいいわよ。どうせ味なんて分かりゃしないんだから」
「静かにしろ。最後だ。肉食獣人狩猟区域給養員を鍾叡秀」
発表されると同時に、全員から嘲笑が漏れた。
肉食獣人狩猟は皇太子天睿が二年前に新設した、獣人のための国家福祉制度だ。獣人が本能的に必要とする狩猟を補助する制度を指す。
制度の利用には国籍と専用の資格取得、納税義務を果たしていることが条件だ。完全無償を掲げていたが通らず、国営福祉でありながら利用料が必要となっている。
それでも肉食獣人から大いに感謝された。想定以上の需要に運営人員が追い付かず、宮廷全部署の職員が持ち回りで派遣される。
哉藍は投げ捨てるように、束ねられた数枚の紙を叡秀に押し付けた。
「同行はいつも通り、有期雇用の獣人職員だ。献立はこれ。細かいことは任せる」
給養員とは、狩猟中に食事を作る人員だ。狩猟は数日かけて行う場合がほとんどで、同行する獣人職員の食事も必要になるが、誇り高き人間の御膳官は皆やりたがらない。
そんな中で『胡雲嵐が育てた獣人の子』は、実に都合の良い人材だった。高い技術と獣人の感覚。これ以上ない適任者だ。
しかし、給養員は御膳官全員の持ち回りだ。叡秀だけの仕事ではない。叡秀は渡された書類に目を通すと、哉藍をじとっと睨みつけた。
「三日前にやったばっかりなんですが」
「獣は獣同士が落ち着くだろう。人間は獣の本能も味覚も分からないからな」
「獣育ちは鼻が利くよなあ。食材の良し悪しも分かって便利な奴だよ」
養護施設で向けられた困惑の視線は、宮廷に入ると明確ないじめに形を変えた。ことあるごとに獣人の子として揶揄われ、時には暴力を受けることもあった。
だが叡秀には何の嫌味にもならなかった。獣人に育てられたのは事実で、恥じても悔いてもいない。『獣人の子』という呼称は名誉だった。
けれど、何も言い返さず受け流してやるほど優しくない。
「食材の質も味も、御膳官なら判別できて当然。できない方が問題です。まさかできないんですか? あ、だから僕にやらせて未熟さを誤魔化そうと?」
「なんだと⁉ 獣人の子が偉そうなこと言うなよな!」
「僕の採用に不満があるのなら、採用を統括する吏部へどうぞ。それより献立です。これは駄目だ。狩猟は多重種混合で鼻が利く獣人もいます。科学調味料と香草は控えるって見習い研修で習ったでしょう」
言い返したが哉藍は何も答えず、代わりに並列の同僚が激しく足を踏み鳴らして叡秀を睨みつけた。
「知るか! 何で俺ら人間が狩猟に付き合わなきゃいけねえんだ!」
「そうよ。やりたきゃ言い出した皇太子殿下の仲間うちでやればいいのよ。人間の料理に毛が入ったらどうしてくれるの」
「発案は皇太子殿下でも、皇帝陛下の決がなければ国政にならない。狩猟は陛下も認めてるんですよ。御膳房は陛下へ不平ありと胡老師へ報告していいですか?」
場の全員が目を泳がせて口を閉ざした。
獣人の子と蔑まれながらも生き残れた理由は、技術と図太い性格だけではない。宮廷中から『胡老師』と崇められる雲嵐の威光だ。七光りと言われることは多い。
だがここにいるのは、御膳官になりたくてなった人々だ。なりたくてもなれない人が大勢いるのに、目的がない叡秀に腹が立つ気持ちはよく分かる。
だから叡秀は、言われた嫌味と同程度の仕返ししかしない。押し付けられた献立をひらひらと振り回して背を向けた。
「献立は僕が直します。狩猟の間は宮廷業務を離れるので、よろしくお願いします」
叡秀はぺこりと頭を下げ、舌打ちする同僚に背を向け部屋を出た。
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