第9話 追い詰めたり、追い詰められたり

 先生は本棚を調べていた。しばらくそうしていた後、本棚からいくつか本を抜き取り、その先に手を伸ばす。

 すると、本棚がドアのように奥に向かって開いた。その先に小部屋が見える。


「凄い!」

「よく見つけましたねえ!」


 俺とウィルトゥスの驚きの声が重なる。


「似た仕掛け、わたしも持っていましたから」


 先生がにっこり笑って、近くの灯りを手に小部屋に入っていく。俺とウィルトゥスも続いた。

 小部屋の中にはまた棚があった。書類が並んでいる。先生はその一つを手に取り、パラパラと捲る。


「どうやらこちらが本物のようですね。では領主様に報告……というか通告に行きましょうか」


 隠し部屋を閉じ、俺たちは執務室を後にして領主のところへ向かう。

 きらびやかな謁見の間、その中心に置かれた豪華な玉座に座っていたのは、栗色の髪をした凡庸な二十代前半の男だった。おどおどと、状況が呑み込めない様子でこちらを見ている。その隣には、モデストゥスが控えていた。


「何か見つかったとでも仰るのですかな、神殿騎士殿?」


 モデストゥスが威圧的に尋ねる。


「ええ。今保管されている帳簿がでたらめであることと、正しい帳簿が隠されていたことが分かりました」


 先生が隠されていた帳簿を見せる。


「ではモデストゥス、お前が税を着服していたのか……?」

「教団のでっち上げです! 私ではありません!」


 モデストゥスはあくまでしらを切った。領主とモデストゥスはゴタゴタと意見を言い合っている。

 そんな中、何かに弾かれたようにウィルトゥスと先生が入り口の方を見た。俺もそちらへ視線を向ける。入り口を警備していた二人の兵士がくぐもったうめき声を上げ、血しぶきを上げて倒れていった。


「逃げて下さい!」


 先生が領主たちに叫ぶ。ウィルトゥスが剣を抜き、入り口に向かって走る。

 キン、と剣がぶつかり合う音がした。そして次の瞬間には、ウィルトゥスが吹っ飛ばされていた。嘘だろ?


「強い騎士がいると聞いて来てみればお前たちか」


 黒い長剣を携えた黒ずくめの騎士風の男が床に倒れたウィルトゥスと、杖を構える先生を順繰りに見てつまらなそうに息を吐く。


「何だお前は! どこから入って来た! 衛兵たちはどうした!」


 モデストゥスが震える声で叫ぶ。黒い騎士は無感情な深緑色の瞳でモデストゥスを一瞥した。


「死んだよ」


 抑揚なくそう言って、凄い速さで領主とモデストゥスに斬りかかる。二人は動けずに、情けない悲鳴を上げるばかりだった。


「ダイヤ・シールド! いいから早く逃げて下さい! トム君は二人をお願いします!」


 先生が間に割って入る。透き通る魔法の盾が、男の剣を防いだ。

 はっと我に返った領主とモデストゥスが玉座の後ろに一目散に走る。秘密の脱出路があるようだ。

 二人を頼むって、俺も逃げろってことだよな。俺がいたって足手纏いなだけだ。俺も二人の後を追う。


「邪魔だ! アイス・ダート!」

「痛っ! 冷たっ!」


 モデストゥスが振り返り、氷の矢を放つ。俺は反射的に腕でガードする。慌てて唱えたからなのか魔力が低いのか、そんな大した威力は無かった。その間に二人が壁を開き、そして閉じた。

 俺は壁を開けようとしてみるが、壁は壁だった。秘密の脱出路は閉ざされてしまった。ここから逃げるのは無理だ。隙を見て出入り口から逃げ出さないと。でもそんな隙なんて見当たらない。


「ウェリタス、何故あんな奴らを庇う? 勇者の子孫だというだけで統治能力も無いのに君臨し、不正ばかり行う馬鹿共を?」


 あれ? コイツ、何故先生の名前を? 知り合いなのか?


「不正をしたならば、手続きに則り裁かれるべきだ。個人が勝手に罰して良い訳じゃない! マグヌス、馬鹿なことはやめるんだ!」


 先生も知ってるみたいだから、やっぱりどうやらそうらしい。


「相変わらず甘いな、お前は。同じ勇者の子孫だからと、手心を加え裁きなどしないではないか! そんな事では世界は変わらない。この世を腐敗させるだけの勇者の血など、滅べばいい!」


 黒い騎士が力を込めて剣を振り下ろす。先生が作り上げた魔法の盾が、パキンと乾いた音を立てて砕け散った。先生がカクリと膝をつく。マズい。


「勇者の血を絶やせば、世界が変わるとでも? 魔王の信奉者が奪った土地に平穏が訪れたか? マグヌス、お前のしていることは単に世界を混乱させるだけだ!」


 ウィルトゥスが炎を纏った剣を手に、黒い騎士に斬りかかる。だが余裕の表情で止められた。ウィルトゥスが物凄い速さで連続して斬りつけるけれど、黒い騎士は造作もなくそれを捌いていた。


「アース・バインド」


 先生が呪文を唱える。男の動きが止まる。それに合わせて、ウィルトゥスが踏み込み渾身の力で剣を振り下ろす。決まった、と俺が思ったその瞬間に、


「くっ……」


 とウィルトゥスのうめき声が上がった。肩口から血が流れている。それでも彼は剣を構え、黒い騎士を睨みつけていた。だけど……多分立っているのがやっとだ。


「おや、浅かったか。拘束魔法など振り切れると思ったが」


 黒い騎士は相変わらず余裕の表情だった。


「だがここまでだ。その傷ではお前の拘束魔法ももう続くまい。まずは不出来な弟子から始末してやろう。安心しろ、ウェリタス。お前もすぐに同じところに送ってやるさ!」


 逃げるなら今だ。黒い騎士の注意は完全に二人に向いている。目撃者は消す方針で、二人を殺した後追ってくるとしても、俺の足なら逃げ切れる可能性はある。

 さようなら、神殿騎士殿。

 魔物の群れから助けてくれた。俺に食料と寝床を与えてくれた。この数日俺が異世界生活を乗り切れたのは、二人が支えてくれたお陰だ。

 でも、それもこれまでだ。俺は生きのびて、元の世界に帰らなきゃいけないんだ。俺にとって、一番大切なのは――


「死ぬがいい、罪深き勇者の子孫」


 黒い騎士が剣を構え、ウィルトゥスに向けて踏み出す。俺は思い切り走り込む。


「トム……?」


 ウィルトゥスの声が聞こえる。ああ、よかった。何とか間に合った。


「死ぬのは……お前だ……!」


 目の前にある黒い籠手を力の入らない手で押さえつつ、隙間から毒の魔力が付与されているというナイフをねじ込む。黒い騎士の顔が驚きと苦痛に歪む。だけど、倒れてくれはしなかった。毒は効かないのか?


「ウィルトゥス……先生……逃げて……」


 手を掴み、ナイフを刺したまま、俺は声を振り絞る。倒せないのなら、少しでも時間を稼がないと。二人を死なせるわけにはいかない。俺だって、死んでなんかやるもんか。

 俺は刺されたくらいでは死なない……はず。だから、これが一番いい方法だ。


「トム君、申し訳ありませんが君の言葉に甘えさせてもらいます」


 先生が遠くで何か俺に謝っている気がする。


「嫌だ、先生、どうして……! もう仲間を犠牲に逃げるのは――」


 ウィルトゥスが何か叫んでいる気がする。でももう、何も聞こえなかった。

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