第4話 憎しみ
リスパの洋館に来てから一週間が経ち、私は家事を一人でだいたいこなせるようになった。最初は一日中付きっきりで指導していたリスパは、一通り教え終わると、何もせずだらだらと過ごすようになった。ソファの上で居眠りしたり、ぼんやりとラジオを聞いていたり。本を読んでいる姿なんて、一度も見たことがない。
朝の六時半に、朝食を作るのも私の役目だ。卵を片手で割り、卵焼きをいかにきれいに巻くかに熱中する。なんとかフライパンから平皿に移したとき、
「ねえ、アリピちゃんは魔法に興味ある?」
と、食卓に座っていたリスパが妙なことを聞いて来た。テーブルの上で頬杖をつき、さっきからずっと私の背中をながめていたらしい。
「魔法って、大道芸人がやるやつでしょ。リスパってそんなのが好きなの?」
魔法。それは、細い棒の上に立ったまま踊ったり、水を操って空中に噴水を出現させたりする、子供だましの芸でしかない。種も仕掛けもない点で、マジックよりも面白くないと思う。
リスパは、軽蔑に濁った眼で私を見る。思わず、体を固くした。
「平和ボケ、あるいはディストピア」
「何それ」
「……僕の魔法はね」
息を深く吸い、そして、ゆっくりと声を吐き出す。
「僕の魔法は、人も殺せる」
朝食後、リスパに連れられて洋館の前の広場に出た。なんとなく、空を見上げる。どんよりと曇っていた。生ぬるく湿った風にかき回され、青みがかった灰色の雲が渦を巻いている。森の木々は黒い毛並みの生き物のようにうごめき、どこからか鳥の泣き叫ぶ声が聞こえてくる。嫌な天気だ。
リスパが、何かを指さす。その先にあるのは、風に翻弄されて舞う木の葉だけだ。
「よく見てて」
ピストルのように突き出した人差し指と、天に向けられた親指。まるで引き金を引くように、親指を倒す。
「ぱん」
音のない爆発、飛び散るしぶき。少し遅れて、きらきらと輝きながらゆっくりと落ちてゆく無数の光の粒。
木の葉が一瞬で粉々になったのだ、と理解する。
「アリピちゃん、やってみて」
「で、できないよ。やり方知らないもん」
「こうやるんだ」
卵の割り方を教えてくれたときと全く同じ動作で、リスパが後ろから私の手に自分の手を添える。握り込むようにゆっくりと一本ずつ指を折らせ、人差し指だけを真っ直ぐに立てさせる。
「何を狙う?」
「そんなの、私には――」
耳たぶを、女の熱い吐息がなでた。
「この魔法を使うには、殺意が必須だ。いるだろう、一人ぐらい。殺したいほど憎い奴が」
ひゅっと脳裏をイメージがよぎる。次の瞬間、光の柱が天に向かって立った。導かれるように仰ぐと、そこには雲一つない青空が広がっていた。
「よくやった。って、君、どうして震えてるの」
強がりたかった。けれど、震える唇からは何の言葉も出て来ない。
「昔話をしようか」
今にも膝から崩れ落ちそうだった。しかし、リスパが私の体を抱きしめるように支えている。
「僕には娘がいた。でも、その子は夫に殺された。僕は今、そいつを殺すことだけを考えて生きている」
汗でじっとりと濡れた女の髪が、私の頬に張り付く。
「誰だってそうだ。生きるのには理由がいる」
ふっと、笑った。
「今君が住んでいるのは、僕の娘の部屋だ」
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