第22話 四姉妹のイベント 1
朝の鍛錬を終えた飛高新は、日課になっている自習を町の図書館で勤しんでいた。
最低限の読み書きはこの世界で動けるようになるまでに保護者から叩き込まれていた。
身体が安定するまでは視覚だけが頼りだったが『本』を読み漁っていた。
今は自由に動く身体で図書館に通い、百科事典や保管されている各学年の教科書、辞書や文芸書、絵本や小説雑誌のバックナンバー、新聞など手当たり次第に読んで知識を溜め込んでいた。
新にすれば知らないことがあることが新鮮で、夢中だった。
だが、図書館の主になりつつある少年は、司書や職員から見れば常に不機嫌な表情で文字を貪っている姿は、ある意味読むのが楽しいのか苦痛なのか判断がつきかねるところがあった。
見た目は中学生くらい、身長は一六〇センチに届いていないが、引き締まった身体を持っていた。
短い黒い髪の前髪の一部が白いのは、以前迎えにきた保護者の女性が大きな手術をした影響だとは教えてくれた。
カーキグリーンの長袖シャツにグレーのカーゴパンツ、編み上げの革ブーツを履いていた。
昼を告げる館内放送が聞こえると、彼は読んでいる本を丁寧に片付けて図書館を不機嫌そうな顔で出る。
目鼻が整っているだけに、口を何時もへの字口に歪めているのが勿体無いとは彼の保護者の何時もの軽口だった。
図書館を出ると暮らしている保護者のアパートに戻り、大量の酒瓶と空き缶を片付けてテーブルの上に置いてある五千円札を持ち、大量の空き缶が入った袋を持って近くのショッピングモールへと向かう。
県営空港に隣接するそこは近在では一番行きやすいところだった。
エンジンの轟音が聞こえたと思って、空港の方へ目を向けると彼の保護者が働く会社の輸送機が離陸していくところだった。
それを不機嫌な顔で目を細めて見る。
北に向かって高度を上げていったそれを見届けるとショッピングモールへ向かう。
彼はそこに行き、保護者が昨晩飲み空けた空き缶をリサイクルボックスに入れて、フードコートへ行き、食べたい物を大体三人前平らげて本屋へ行って読みたいものを物色するという日課をこなしていくのだった。
早朝の神社、何時もの学校へ行く前の鍛錬。
風呼びを使えるようになり、『理』から外れて『世界の守護者』というものになった春菜の日常は変わらなかった。
朝起きて、身だしなみを整え、着替えて…は毎朝ウキウキで母のお手製の服を着る…朝食を食べて家を出る。
変わったのは今日は雪と晃が眠い目を擦りながら見学していることだった。
あと、鍛錬の内容が厳しくなった。
春菜は風の衣を腰に巻き、そこに木刀をねじ込んでいた。
実戦に近い形式で動く鍛錬になっており、木刀は華龍と同じ大きさ重さである。
その状態で神社の中を疾走していくのだ。
木々の間を駆け抜け、木を登り、降り、掴まりを駆使して鬼ごっこをやっていた。
相手は未だに鍛錬で出し抜けないシンマである。
しかも明らかに手加減とわかっているが、それでも必死である。
春菜のいく先々でBB弾がものすごい勢いで爆ぜていく。
環境に優しい所謂バイオBB弾でそこそこの固さはあるのだが、木や地面に当たると爆ぜるのだ。
春菜は必死に風を読み、飛来するそれを頭を下げ、身体を捻り、脚を上げ、跳び、しゃがみ、避けていく。
瀧家の三女雪と四女晃はその様を唖然と見ていた。
雪は神社に来る際、お店にあった壊れたデジタルビデオカメラを修理、カスタムしたのを持ってきて三脚に立てて撮影している。
晃は最初は参加しようとしたがシンマに「まあ、暫くは見とりん」と変な方言で言われて口を尖らせたが、これに参加すれば三十秒もかからずBB弾の餌食になっただろうと理解して雪の隣で真剣に見ていた。
「あ、春ねえ、木刀抜いた」「…余裕が無くなってきたな」晃の呟きに何時もは紅色の瞳を鮮紅色にした雪が呟いた。
彼女たちから見ても姉の動きは眼にも止まらなかった。
風呼びのおかげで何処にいるか風が教えてくれるので何とか追いかけれた。
春菜は逆手で木刀を構え、手を振るってBB弾を弾き落としている。
「…春菜姉さん、BB弾を斬ってる…」「は?」カメラに接続された液晶モニターを見ながら雪が呟くと晃は間抜けな声を出した。
録画した映像の一場面を手元のタブレットで編集して、スローで再生すると木刀を振るうと刃の部分に当たったBB弾が、真っ二つになっているのが確認できたのだ。
傍目から見れば、踊るように手を振り、頭をあちこちに振って視線を確保し、身体中をデタラメに動かしているようにしか見えなかった。
が、二人から見ても姉の動きが段々と鈍くなってきたのがわかった。
「…あらぁ…はるなねえさんもうアップアップね」紅色の瞳を薄紅色にした雪がしっとりとした声で呟くと、姉の頭が不意に仰け反った。
そのまま両脚を空中に投げ出したので身体が宙を浮き、そのまま背中から地面に落下した。
「…ぃったあい!!」地面に倒れた春菜はそう叫んで額を両手で押さえて、足と腰を仰け反らせてもがいていた。
そんな状態でもスリットの入った姉のミニスカートは中が際どいところで見えなかった。
「まあ、だいぶよーなったわ。後は自力だで」いつの間にか春菜の横に立っていたシンマが、ビニール袋からバケットサンドを取り出しながら言った。
それを見ていた双子は顔を引き攣らせていた。
オデコを押さえて涙目になりながら春菜は上半身を起こした。
「…あれ、捌ききれないです…」「…ひとつ所にとどまったらかんわな…」「…逃げきれないですよー」「…そこをどうにか出来るようにならんとね…ご馳走さん」春菜との鍛錬の反省会を、バケットサンドを食べながらシンマはこなし、最後に両手に付いたパン屑を叩いて払った。
「で?やるかね?」口の端を吊り上げて雪と晃にシンマが聞いた。
「…私は無理」「わたしは…ちょっと考える…」雪は真っ先に首をブンブン振り、晃はほっぺたに指を当てて考えてそう答えた。雪が正気を疑う目で双子の妹を見た。
「みゃあ、早めに決めたほうがええがね」「…シンマさん、立ち方は?」「んー、ある程度舞や冬菜に扱かれたでね、今更だわ」シンマはそう言って肩をすくめた。
「ありゃあ風呼びも身についとらん春菜のためのメニューだったでね」「……」春菜は一つ息を吐いた。
「ああ、春菜、舞から預かってるで」そう言って春菜にステンレスボトルを差し出す。
春菜はそれを見て顔を嫌そうに、本当に嫌そうに顰めた。
風呼びを使えるようになってから本当に鍛錬が厳しくなった。
そして短時間で厳しくやるので体力を消耗する。
消耗した体力や、簡単な怪我を治すと薬として毎朝、舞がシンマに特別ドリンクを渡してくるのだが、このドリンクの回復力は凄まじく、飲めば疲労回復、打ち身擦り傷完治なのだが兎に角、不味い。
味を無理やり表現するなら、青臭く苦く膏薬のようで臭いもそのままである。
そのボトルの意味を同じく短期特訓中に散々飲んだ雪と晃も知っていたので嫌そうな顔をする。
舞によれば、飲まなくて済むように敢えて不味く作ってあると、実に楽しそうに言っていたのは確信犯だろう。
そして始末に負えないのが…。
地面にへたり込んでいた春菜は、嫌そうにボトルのキャップを開けて口元に怯えながら口に近づけると、不味い飲み物特有の凄く臭い、臭いのだが春菜は躊躇わずに口を付けて一気に飲み干した。
飲み干した後、あまりの不味さに顔を歪め、涙目になり、声にならない声をあげてボトルを放り出して口を抑えた。
足をバタバタさせて青い顔をさせるが、暫くして手を口から離して大きく息を吐き出した。
それを見ていた双子はドリンクの味を思い出して嫌な顔をした。
「…ぁあ…何でこんなに不味く…臭いのに匂い嗅いだら飲んじゃうのよ…」春菜はそう言いながら立ち上がってお尻についた埃を払った。
そう、このドリンクは不味いのに匂いを嗅ぐと飲まずにいられないという代物だった。
雪は絶対にヤバいものが入っていると確信していた。
「…ありがとうございました」「おう、きぃつけて行きゃあせ」春菜は鍛錬終わりにシンマに頭を下げた。
「晃、やるならはような」「…はあい」腕を組んでニヤリと笑ったシンマがそう言うと、晃は少し悩んで返事をしたのだった。
「さて…行こうか」「うん」「…うい」春菜が妹二人に声をかけて見ると既にシンマは消えていた。
「…春ねえ、シンマさんメチャクチャだよ!」「あーうん、言いたいことはわかる…」薄気味悪そうに言う晃に春菜は苦笑しつつ頷いたのだった。
「人をバケモンみたいに言うのは勘弁してちょーよ」「ぎゃああああ!」突然晃の後ろから声をかけたシンマに晃は悲鳴を上げた。
「…シンマさんずっとこの場にいた…姉さんと晃の視界からずれたところに…」「…雪はずっとシンマさん見てた…?」「黙ってろってジェスチャーしてたから…」雪の説明に晃は脱力した。
「…ボク、初日にこれやられたからね…」「まあ、挨拶がわりだわ」苦笑する春菜にシンマがニヤニヤしていた。
「…あー…やめてよぉ…」「まあ、こんくらいのトリックは見破らんとかんでね」へたりこんだ晃にそういうシンマは実に楽しそうだった。
「じゃあ、きいつけて行きんさい」そう言ってまたシンマは晃の目の前から消えた。
「今度は騙されないからね!」晃はそう言って後ろを見るが誰もいない。キョロキョロ見回したり、近くの鳥居の影を見ても誰もいない。
「雪!シンマさん、どこ!?」「…消えた」「またまたー。どこかに隠れたんでしょ!」「本当に消えた…」「…マジ?」「マジ」驚愕した表情で答えた雪に、晃は頭を抱えた。
「…ボクも二回目で晃と同じことやったけど、ホント、いないんだよね…」春菜は苦笑しながらため息を吐くと言う器用なことをやって、妹たちに肩をすくめた。
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