第20話 風の四姉妹 1

「ザグリュイレス様」エリカが合図をした時、佐倉は右手の指で素早く印を結ぶ。

エリカも同様の動きを行った。

北野宮瀬奈は周辺の大気が軋んだような感覚を感じて思わず空に目を向けた。

すると上から多彩な華が舞い落ちるように降ってきた。

瀬奈はその華を見て、この世界に漸く色彩豊かな花が戻ってきたと思い出した。

「…うまくいったか…」佐倉は大きくため息を吐き、それを見てエリカも嬉しそうに微笑んだ。

「…おめでとう。こちらの後始末は?」「問題ない。死者も負傷者もなかった事になった」それを聞いた瀬奈は無線で部下に連絡を取ると、この出動は訓練によるものとなっていた。

「…代償は?」「この世界から人を攫っていた神擬きが支配していた世界が消えただけだ」それを聞いて瀬奈は息を呑んだ。

「もう既に他の世界からリソースを盗まなくては維持できなくなっていただけだ。速やかに消失させた方がいい」佐倉の淡々とした物言いに瀬奈は背筋が一瞬凍った。

世界が消滅?一体その世界にいた人は…。

「俺達が力を行使したからその世界は消えたんだ。殿下が気に病む事ではない」それを聞いて溜息を吐いて切り替えた。

「分かった。後の始末はしておくわ…」それを聞いた佐倉は頷き、踵を返した。エリカは丁寧にお辞儀をして後に続いていった。

それを見送った瀬奈は、秘匿回線で某所へと連絡をした。



百貨店の壁際、人気の無い道にシンマは両手をズボンのポケットに入れて佇んでいた。

周囲の大気が軋んだような感覚を感じ、上を見上げる。

そこへ人が落ちてきた。

シンマはその人へめがけて壁を駆け上がり、途中でキャッチすると抱えたまま一回転して着地した。

シンマの腕の中にいたのは中学生くらいの特徴のない顔立ちの少女だった。

その少女を丁寧に壁へと座らせるように置くと、空中で更に落ちてきた物をキャッチした。

それは春菜の音楽プレイヤーだった。

「あーあ、失敗したのね」そこに揶揄するような声を出しながら三毛猫のような髪色の癖毛と猫科のような顔つき、ネコのキャラクターの配色センスが悪い服をチャラチャラ着込んだ女が現れた。

「せっかくお膳立てしてあげたのに。クスッ」そう言って少女を一瞥するとシンマに右手を差し出した。

「どんだけ強欲かね…」シンマは呆れるようにその手に音楽プレイヤーを渡し、女はニンマリと笑ってそれを握って、ネコのキャラクターの肩掛けバックに放り込んだ。

「そういう契約でしょ?」「二重にやっといてよくいうわ」シンマの呆れ声にも動じず、女は鼻歌を歌いながら歩き去っていった。

そこに北野宮瀬奈の手配した救急隊が駆けつけて、少女をストレッチャーに乗せると近くに停まっていた救急車へと運び、サイレンを鳴らして走り去っていった。

彼女は両親、親族を亡くしたが、遺産を持って後見人により生活することになる。

今通っている学校からは離れることにはなるが、後見人夫妻は事故で娘を亡くし、天涯孤独になった彼女の世話を引き受けた資産家でもあった。

見送ったシンマは、落ちてきた少女から『盗んだ』珠をポケットから取り出した。

「みゃあ、こんな物騒なもんは無い方がええわな」そう呟いて、右手で珠を握りつぶすと、それは粉々になって消えていった。

そこに将がふらふらと歩いてきた。

「よー、おつかれ」「ああ…」「なんとか春菜も風を呼べるようになったがね」「ああ…まだ修練が足らない…頼む」「ええでよ。で、そろそろかね?」「……」二人の目の前にぼんやりと光るモヤのような人型のモノが現れた。

『おのれ!おのれおのれ!防人ども!これで妾を消したつもりか!』光るモヤの人影はそう喋った。

「ほーんそれなりにしぶといのん」シンマはそう言って顎を撫でた。

『ふふ…貴様らでは妾を消し去ることはできまい…この世界が消えてしまうからの…ここで強い身体を…』光るモヤがそう言った時、モヤが真っ二つに斬れた。

横には将が、脇差しを持って振り降ろしたところだった。

光るモヤは声にならない叫びをあげて消滅し、将の持つ脇差しも全て砕け散った。

「たわけかね。おみゃあの世界を質にわしらも利用させてまったがね」シンマは呆れるようにそう言った。

「……そろそろ娘達が降りてくる」「おう、明日は花見だで」「わかった…」二人は別れて歩き去った。



「あはは!春ねえ!似合う似合う!」晃が手を叩いて姉を褒めていた。

戦いが終わると春菜に纏われていた羽衣は普通の服に戻ったが、都合よく着てる状態になる訳でもなく全裸を妹達に晒していた。

慌てて妹達が姉の周りを囲い、母のお手製の服を春菜は着たのだ。

白いブラウスに深いスリットの入ったミニスカートに、半袖の丈が短い上着はセーラーの襟だった。

ボレロとスカートは桜色で黒の縁取りがアクセントになっていた。

靴も桜色のスニーカーだった。

「…うん、ありがとう…」春菜は少し恥ずかしそうに、しかし、嬉しそうに自分の服を見ながらそう言った。

「…私たち『風呼び』は、風を呼んだ時に普通の服だと風が邪魔と思って破くの…だからお母さんが作った服以外だとスッポンポンになる」雪の説明に季璃がケタケタと笑った。

「じゃあ、みんなも?」「うん!スッポンポンになった!」「外でねぇ…」「私たちは隠れる場所があったからよかった」春菜の質問にそれぞれの体験を語った。

「その服すごいんだよ。快適な温度を調節するし、常に風の護りが付いてる」「へえ」雪の説明に春菜は感心した。

「…そろそろ降りようか?」「ここから?」「中から行くとめんどうな事になるし、今なら私たちの風呼びで普通に降りられる」「うーん…」雪の答えに春菜はスカートの裾を抑えた。

それを見て晃は腕を組んで考え込んだ。

母のうっかりかどうかわからないが、雪が持ってきた春菜の服に下着が入っていなかった。

ショーツとインナーがない状況だった。

「と、とりあえず人がいないうちに行こ!」「ちょ…ちょっと…」晃は強引に春菜の手を引っ張り、屋上の北側端へと向かった。

雪と季璃も付いてくる。

「どうせわたしも春ねえも刀持ってるし、急がなきゃ」「わ、わかった…」そう言われれば否応も無い。

春菜は覚悟を決めた。

四人で輪を作り、風を呼ぶ歌を唄う。

風が巻き起こり、四姉妹の周りを周り、風も唄を返す。

十分と判断して、四人は覚悟を決めて屋上から飛び降りた。

その勢いは思ったより早く、春菜は最初は戸惑ったが、ある程度落ちると速度が緩やかになり、地上寸前でふわりと着地できた。

落下している間気になっていたスカートも、思ったより捲れなかったのは、母の工夫なのだと感心した。

「おとうちゃん!」季璃がこちらに歩いてくる父を見つけて大型犬のように走って甘え始めた。

父は少し顔を緩めて季璃の頭を撫でていた。

「よくやってくれた」父はそう言って、雪と晃の頭をポン、ポンと一回ずつ優しく叩いた。

「父さん」「…悪かったな…」「ううん…こんな不思議な事多分理解できなかった」「そうか…」父は安堵したような顔で春菜の髪の毛をくしゃくしゃとした。

春菜はこれが父の最上の愛情表現だということは知っていた。

「詳しいことは明日教える」「うん」「帰ろうか」父の言葉に妹達は頷いたが、春菜はおずおずと片手を上げた。

「…あのー…ボク…今ノーパンで…」「車で迎えに来た」電車で来たから電車で帰るつもりだったので言ったのだが、父の言ったことを理解するのに少し掛かった。

「えー…くる…ま…車!?」「父さん車で!?」「…春菜姉さん…」「くるまでかえるんだー」姉妹の反応に、父はフラフラと歩いて行く。

「…まだ春菜と晃の刀の調節が出来てないからな。行くぞ」そう有無を言わさずに歩いて行った。

「……」「…春ねえ…行こ?」「助手席は譲るよ…」「かえろかえろー」はしゃぐように歩いて行く季璃以外は、春菜の超車酔い体質に家までの道中が不穏なものになると覚悟した。



瀧家の裏の駐車場に店のワゴン車が着いた。が、直ぐに後部座席のスライドドアが開き、真っ青な顔をした雪と晃が転がり出た。

母の秋華は少し驚いた、本当に珍しく、驚いた顔をして二人に駆け寄った。

「どうしたの?」「…は、春ねえが車酔いが…」「…車を…出して…一分もしないうちに…春菜姉さんが…」「季璃がそれにあおられて…」後部座席を見ると季璃が這い出してきて、少し離れてから吐き出していた。

運転席から夫の将が降りてきたが、こちらも珍しく疲れ切った顔をしている。

「…すまん…春菜の体質を甘く見ていた…」「あらぁ…」秋華はそう言って助手席を見ると顔を真っ青にしてダウンしている春菜がいた。

秋華は助手席を開くと吐瀉物で顔を汚した娘の顔を持っていたハンカチで拭ってやってた。

「母さんどうした…うわ!季璃!?」「雪、晃大丈夫なの!?」駐車場での大騒ぎを聞きつけた夏葉と冬菜も慌てて来て、惨状に目を丸くしていた。

「…春菜の車酔いにみんな煽られたみたいなの…」少し苦笑しながら秋華はそう説明してやった。

「大丈夫か?季璃?」「ゔゔ…にいちゃん…きぼちわる…ゔぇえ…」「冬ねえ…ごべん…トイレ…って!?雪!抜け駆け…ゔお…」「あー…片付けてやるから…もう、吐け吐け」降りてさっさと家のトイレに向かった雪を晃が咎めたが、耐えきれずにいたところを、冬菜が背中をさすると決壊した。夏葉は四つん這いになって吐き続ける季璃の背中をさすっていた。将は流石に疲れ切ってグッタリして駐車場の入り口にある飲料水の自販機からお茶を買って飲んで溜息を吐いていた。

その家族を秋華は幸せそうに見て、本当に家族の輪に入った次女を抱っこして車から降ろしてあげた。


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