第10話 負けず嫌いの少女、瀧晃の競技 3
自分は一体何を見てるのだろう?春菜は固唾を飲んで見守っていた。
春菜から見ても、晃の動きは異常だった。自分の身体能力が上がってから相手の見た目である程度どれだけ動けるか、普通の人なら分かるようになったからだ。
春菜の見立てでは晃の身体能力は今、異常なスピードを出すほどでは無い。
いや、似たような身体つきで予想以上の身体能力を出す人物を春菜は知っている。
「ボクだ」思わず呟いた。
体型的には鍛錬前と変わっていない。筋肉質にもなっていない。でも、身体が信じられないくらい動くようになった。
春菜は心中で「一体ボクと晃はどうなってるの?」と思ってしまった。
そして、この聴き慣れたメロディを不快にするような唄のようなものは。
「ボク、ひょっとしてとんでもないことに巻き込まれてない?」自分の変化にそんな事をつい思った。
このレースで先頭集団を引っ張る三人は混乱していた。
実績も積み、高校生になれば特待生が期待されていたり、有力高校の自転車部の入部も打診されていたりする。
だからこのレースでの予選でいきなり好成績を上げた女子小学生は邪魔な存在だった。
自分たちに迫るタイムだったのも理由だ。
だから他の選手に妨害を頼んだのだが、脱落しかけた小学生が、赤い髪の毛を靡かせながら近づいてきているのに驚愕していた。
そして、抜きに掛かった。
彼らは幅寄せをし、体当たりを敢行し、すべて避けられてバランスを崩した。
最後の先頭の選手は訳がわからないという顔をして、必死に自分の自転車を漕ぐ。
しかし、強風に煽られ逆に強風に乗った少女が追い抜こうとする「負けられるか!」彼は吠えた。
少女を少し引き離した。
晃も限界が近づいてきた。それでも負けたく無かったという意思だけでこの状況を作り出していた。
だから力を振り絞った先頭の彼が引き離した時力を込めた。
「赤毛の女はしつこいんだからああ!」晃は全ての力を振り絞った。
その時、会場中の人々は信じられない光景を目撃した。
三メートルの登り坂を勢いよく駆け上がった赤毛の少女が、自転車ごと更に上へと飛んだのだ。
「ああっ!」その状況を理解した春菜はそう悲鳴を上げて飛び出そうとしたが、いつの間にか背後にいたシンマに肩を掴まれた。
「でゃあじょうぶだで」シンマがそう言った時、何時も聴くメロディが聴こえた。それも二つ。
空中で自転車から離れた晃が自転車と一緒に落下する。その時、強風が途絶えて旋風のようなものが吹く。
会場中の人たちが悲鳴を上げる。少女が自転車ごと石のように落下しているからだが、春菜の眼は捉えた。
自転車の落下速度はそのままだが、晃の落ちる速度が段階的に遅くなり、地上に激突したかと思ったが意外にフワリと落ちたのが分かった。
それは晃の落ちる速度を緩めるのを誤魔化すような一体晃に何が起きているのか、分からないようなものだった。
だから多くの観客、関係者は晃が自転車ごとありえないくらい高く飛び上がり、そのまま落下したと見えた。
その瞬間、爆発的な悲鳴が春菜の耳に聴こえた。
メロディも聞こえない。
地上に横たわった晃に向けて、姉が慌てて駆けつける。
競技審判が旗を振って競技の中断を知らせる。
向こうを見ると雪が蹲って兄に介抱されており、こちらも季璃が父に担がれて倒れていた。
一体何が起きたのか?春菜は目を見開いて混乱した。
「晃!あきら!」冬菜は晃に向かって慌てて駆け寄る。
途中でレース関係者に遮られるが、ひとっ飛びで避けて晃の側で呼びかける。
「晃!大丈夫!?」「……負けちゃった…負けちゃったヨォ…」晃は仰向けで両手で目元を抑えてグズグズ泣いていた。
「怪我は!?痛いところは!?」「……無い…」それを聞いて冬菜は肩の力を抜いて大きくため息を吐いた。
「…まったく…無茶しすぎだよ…」「…ごめん…なざい…」冬菜は苦笑して晃を両手で抱えた。
レース関係者が救護所へと言って来たので冬菜は頷いて示された方へ行く。
途中で雪を抱えた夏葉を見たら夏葉は頷いていたので冬菜は救護所へと晃を連れて行った。
選手関係者の駐車場、そこに停めたワゴン車のところに、兄の夏葉が雪を抱えて来た。
後ろにスタッフが晃の自転車を持って着いて来ている。
父がスタッフにお礼を言って、自転車を受け取った。
「夏葉、雪をこっちに」母がグランドシートの方に呼んだ。
そこには季璃が大きめのタオルをかけられて仰向けに寝ていた。
夏葉はその横に雪を寝かせた。
「お母さん、雪と季璃どうしちゃったの?」「…ちょっと頑張りすぎたみたい…舞、診てくれる?」「あいよ」春菜が心配そうに聞くが、母は微笑んで心配無いと頷き舞に娘たちを診てくれるように頼んだ。
横になった二人の脇には、エリカがタオルを畳んで二人の頭の下に敷いていた。
舞は順番に首筋を触って脈を取り、ニヤリと笑って「大丈夫、寝てるだけ」と言って一同を安心させた。
「…さてと…将、ついでに晃も診てくるから着いて来て」「分かった」二人はそのまま救護所へと向かっていった。
一息ついた春菜はふと耳に親の叱責と中学生たちの泣き言があちこちから聞こえて来た。
妹たちの心配をしつつ、春菜は中断後の会場の雰囲気を思い出していた。
やはり年下の女の子に中学生が寄ってたかって妨害した事に非難があがったのだった。
レースも中断した時の順位で確定してしまったので、順位発表もしらけたものとなってしまった。
「…これも勝つ手段を選ばなかった結果ですか?」春菜はふと、佐倉とシンマに聞いた。
「そうだ。彼らはこの勝負に限り晃に勝った」「だけんどなあ…長い目で見りゃあ、たわけた事だわにゃあ」二人はため息を吐きながらそう言った。
春菜もそれは理解した。
しかし、晃のあの追い上げは何だったのか?
「シンマさん、晃のあの走りって一体…」「…限界まできばっとったなも。みゃあ、あれではあかんがね」「何がです?」「最後までもたせれんかったわ」下顎を撫でながら目を細めたシンマの目は鋭利に見え、普段の惚けた表情からは想像も出来ない雰囲気を一瞬感じた。
やはり自分だけ知らされてない何かがあるのか?
春菜は初めて疎外感というものを感じた。
見れば妹たちは其々母に手際よく着替えさせられている。
晃は兎も角、雪と季璃が気を失った理由は春菜には分からないが他の大人たちは承知しているように動いている。
車に乗せられて今は姉と兄が付いていた。
「…お母さん…ボク、先に帰っていい?」「…分かったわ」母に告げると珍しく母が少し心配そうな顔をしたが、何時ものように優しく微笑んで頷いた。
レースが終わった会場は観客が帰っていくので混雑していた。
その雑踏の中心に将、秋華、シンマ、舞、佐倉、エリカが立って話し合っていた。
しかし、観客はそこを無意識に避け、何も無いように歩いていく。
彼らがいる周囲だけが雑踏の音もなく見えない壁に囲われているようだった。
「春菜様にマーキングがされていました」「商人の情報通りだ。どうだ?いけそうか?」エリカの言葉に佐倉が他の四人の顔を眺めた。
「身体の方は問題無い。ただ、メンタルが引きずられている」シンマがいつもと違う真剣な顔で普通に話した。
「前の事故でリミッターが外れた。後遺症もないけど相手が相当深く食い込んでるね」舞が髪の毛を弄りながら言った。
「娘たちは今でもそこそこいけると思う…あとは春菜次第」秋華が少し憂えた顔で説明した。
「……」「将?」黙ってる将に佐倉が聞く。
「……解ってる…もう後が無いことも…悪いな…」将はこの場の女性陣に謝罪した。
三人の女性は苦笑して溜息を吐いて頷いた。
「では、失敗は許されんが後はあの姉妹たちに任せよう」佐倉がそう言うと全員が頷いた。
その瞬間、会場の帰宅する人達の喧騒が聞こえ始めた。
「しかし、晃どうすんのさ?大きいチームに目をつけられたんじゃない?」「既に弄りましたわ」舞の言葉にエリカがそう言った。
「…本当はあの子達は普通の子供でいて欲しかったんだけどね…」秋華の言葉に皆が肩をすくめたのだった。
春菜は会場から真っ直ぐに家へは帰らず毎朝来ている神社まで来ていた。
会場になっていた河原から家の方角へ向かう途中にあるのだが、何となくここに来たかったのもあった。
用水路や田んぼから少し離れたところにあり、民家からも微妙に遠いので人が来ることは無い。
だから今のように春菜がこの中で全力で駆け回っても誰も見ることは無かった。
春菜は木々の中を飛んだり、駆けたりし、自分の中にあった鬱憤を発散していく。
どうしても自分の中にあるものを黙って消化できなかったので身体を動かしている。
三十分ほど動いた後、この神社の中で一番高いポプラの木の細い先端の上に掴まって風景を眺めていた。
日が傾く葉浪山脈が見え、まだ山頂に薄っすらと雪が残る威吹山が北側にある。
その前には高層建築が無く、河川や低い街並み、田畑が広がっていた。
向きを反対側へ変えると意外に近く都心部の駅前高層ビル群が見える。
高速道路の高架が東へと伸びていて、南側にはわずかに海と干拓された土地が見えた。
暫くそうやって景色を見ると落ち着く。「ほんと…何にも無い」春菜の呟きは日が暮れていく空へと吸い込まれていった。
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