第9話 負けず嫌いの少女、瀧晃の競技 2

レースが行われるところは割と本格的だった。

コースはある程度の起伏が付けられた土のコース。トラックに載せられた電光ビジョン。コースの周囲に観客はいた。

春菜は自分が走るわけでも無いのに緊張してしまいそうだった。

会場にアナウンスで十五歳以下のレースが始まる事が告げられると選手達がマウンテンバイクを押しながらコースのスタートラインまでやってきた。

総勢で八名だが、晃以外は中学生の男子だった。見た目でも身体の大きさでハンデがあるように思う。

だが、なんとなくだが春菜はこの中で晃が一番走れそうに思えた。

晃の足運びや雰囲気でそう感じた。

「おぅおう、晃以外の連中、妙に気張っとるのん」春菜の後ろでシンマが面白そうに言った。

「だねえ…何かやろうとしてるって見え見えだねぇ」舞も鼻を鳴らしながら言う。

「まいさん?どういうこと?」季璃が小首を傾げて舞を見る。この二人身長が同じくらいだが、季璃の幼さがアンバランスに見える。

「…皆、機会を最大限に生かそうと考えておられます。晃様は苦しい試合になりそうですね」エリカが無表情でそう言った事に春菜は驚き、季璃はどういうこと?と更に首を傾げる。

「それって…」「まあ、晃以外の連中次第だな」佐倉はそう言ってカップに入ったアイスコーヒーを一口飲む。

春菜は不安な顔で両親を見るが、父の将は無表情で腕を組んでスタートラインを見、母の秋華は両手を前下で組んでニコニコして見守っていた。

「晃…」春菜は思わず祈るように手を結んだ。



「…晃、結構ハードなレースになりそうだよ」姉の冬菜の言葉に晃は頷いた。コースの横を見れば家族と両親の友人の人たちが見守ってくれている。スタートライン近くのコース外には自転車の改造と整備をしてくれた兄の夏葉とノートパソコンを抱えてタイムペースを分析してくれた雪がこちらを見て同時に親指を立てた。

晃も親指を立てる。姉にヘルメットを軽くポンと叩かれる。

「まあ、無茶しないで。晃は負けず嫌いなのは知ってるけど」「…分かっててこのレースにしたから。でも負けたく無いなあ」「…はあ…怪我はしないようにね」「うん」姉妹は互いの拳を叩いた。姉は他の保護者と一緒にコースの外へと出た。

晃も周囲から痛いほど視線を感じていた。去年も似たような状況で好成績を収めてちょっとした事件に巻き込まれた。

ただどうしても負けず嫌いなのでこの状況にやる気が湧いてくる。

大きく深呼吸して集中するとスタートのシグナルを見つめた。



大きなホーン音とコース脇のシグナルが緑から青に変わった事でスタートの合図になる。

八人の選手が一斉に走り出し、観客から声援も飛び交う。

一周が四百メートルほどの曲がりくねった起伏が激しいコースである。

「あきらちゃーん!がんばれ〜!」季璃が以外によく通る声で姉に声援を送っていた。

「…あーらら…いきなり閉められたわね」舞がそう呟いたのでよく見ると三人の選手が晃の前に壁になっていた。

「何あれ?いいの!?」思わず春菜が憤った。

「勝つ手段を選ばないのは悪い事では無い」佐倉の言い分に春菜は思わず睨んだ。

「みゃあなぁ、こう言っちゃなんだ、コレは生命の取り合いじゃあにゃーでね」シンマの言いように思わず目を見張ってしまった。

「あきらちゃーん!しっかりぃ!」季璃は周囲の会話が聞こえないくらいにエキサイトしている。

「…所詮はスポーツ…って事ですか?」「…そうは言わん。だが、勝つつもりならやりようはあった」春菜の疑問に父の将が答えた。

「春菜様。今後も見据えてこのレースをご覧になって考えてください」エリカの言い分に春菜は大人たちの言いたいことを考えようとしていた。



「…あー…やっぱこうなるかなあ…」規則的な呼吸のリズムの中で、晃は思わずぼやいてしまった。

去年の事もあったから雪や冬菜からも注意されていた。女子だけのクラスもあった。

「だけど…こういうのじゃないと…ね!」晃は自分を防ぐ選手同士の間をこじ開けようとする。

「クソ!」「囲め!」前を塞ぐ選手から声が聞こえた。「くぅ!やっぱしんど…うきゃあ!」晃のMTBの後ろから後続の選手がぶつけてきた。

その衝撃で転倒しかけその隙に後続の選手が晃を追い抜いて行った。

勝負だからこういうのは覚悟していた。姉や兄からも余計なトラブルがあると聞いていた。だけど寄ってたかって小学生女子に妨害し、追い抜いた時に嘲笑されるような謂れはない。晃の耳に「女のくせに」とも聞こえた。

「あたまきた」そう言うと晃は脚に力を入れた。

尋常じゃない脚力でペダルを回し、一気に加速させる。

「なっ!?」「クソ!ぶつけろ!」選手間で協約ができていた彼らは、生意気な小学生の好きにはさせないといきりたった。

上位になっている選手がメーカーのサポートを打診されているらしい、そのおこぼれを期待できるのだ。

青田刈はどのジャンルでもあるし、大きなメーカーにしてみれば裾野が広ければ有力な選手を捕まえる事もできるからだ。

しかし、彼らは相手が悪かった。


「…?あれ?なんか聴いたことがある…」春菜の耳によく聴くメロディが届いた。だが、何か…

「きゃあ!」季璃が突然耳を塞いでしゃがみ込んでしまった。「なにこれ!?」春菜も思わず耳を塞ぐ。

だが、春菜と季璃以外に観客席で変な歌が聴こえる事は無い。「歌?」春菜はこのメロディが歌だと気づいた。

しかし、テンポが無茶苦茶で、焦ってるようにも必死に唄を紡いでいるようにも聞こえる。

コース脇の関係者スペースに雪が柵に取り付いて何か叫んでいるが、うまく聞こえない。

何故ならコース全体に強風が吹き荒れてきたからだった。


「…あっかんがね」「これは凄いですね」シンマのぼやきにエリカがそう言って髪の毛を抑えた。

「秋華、どうすんの?」「なるようにしかならないわね」舞と秋華も見守ることしかできない。

「…大丈夫か?」「娘たちを信じるさ」佐倉の疑問に将もそう答えるしかなかった。



「ふう!ふにゅう!にゅにゅ!」ダンシング…所謂立ち漕ぎで晃は爆走していたが、猫のような変な声を変なリズムで出しながらだった。

背後からは強い風が晃を後押しし、加速させていく。

一周目が終わる頃には八人中五位までとポジションを戻していた。

「なんだよあれ!?」「嘘だろ!」「クソぉ!」晃に抜かれた選手がそう罵倒するが、どんどん引き離されていく。

「うにゅ!うにゅ!うにゅ!」晃は右へ左へ上へ下へとコースを捌きながらドンドンと上位へと迫る。

「抜かせるか!」晃が横へ迫ったタイミングで抜きにかかった選手が体当たりをしようとする。

「うりゅらあ!」それを晃は前輪を持ち上げ、所謂ウィリーで避け、バランスを崩した選手が倒れ掛かると、今度はジャックナイフでそれを回避し、前輪を中心に体重移動でクルリと半回転して後輪を降ろし、すぐにまたウィリーの体制になってまた半回転して前進できるようにする。

その間、転倒した選手に後続が巻き込まれて混乱、その間に晃は勢いよく走る。

会場に歓声が沸き起こった。


「すっげ…」夏葉は思わず感嘆の声を上げる。「晃ちゃん!ダメ!唄うの止めて!」「雪菜!聞こえていない!落ち着いて!」妹の雪がいつもと違う口調で晃に呼びかけ、姉の冬菜が雪を抑えている。

事情を知ってる夏葉は複雑な表情になりながらも、妹の走りに圧倒されている。

周囲の観客も同様のようだった。

「…何も起きなきゃいいけどな…無茶すんなよ…姉貴の気持ちも考えてやれ」彼の呟きは会場の熱気と強風にかき消された。



「落ち着け!落ち着けって!」「なんでよ!晃ちゃ…すまない、姉さん…」「ふう…気持ちは分かる…雪?」「…うん。落ち着いた…万が一に備える…」「よし…晃を守ってやって」「うん」二人はコースを爆走する妹に目を向けた。


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