第7話 ある少女、瀧春菜の変わり始める日常 3

瀧屋の扉が開くと疲れた顔の冬菜と夏葉が入ってきた。

「あら、おかえりなさい」「ただいま…」「疲れた…」瀧屋と花鳥風月の繋がってるドアから母の秋華が顔を出した。姉弟は憔悴した顔で店のカウンターに身体をもたれかけさせた。

「お疲れ様。どれくらい掛かった?」「三年…応援があったから何とか…ったく…チートしか無いのが救いだよ…」母の問いに夏葉はうんざりするように言った。

「父さんは?」「シンマと配達よ」冬菜の問いに母が答えたが冬菜はガッカリしたようにため息を吐いた。

「ご飯は?」「…取り敢えず寝かせて…」「あたしは手伝う」「分かったわ」



黒井真穂は学校が終わって帰宅の途についていた。

学校から徒歩で約十分、小さな戸建ての一軒家だ。

しかし、真穂が中に入ると生活臭は皆無だった。

真穂以外、この家に誰もいないのだ。親も兄弟も。

真穂は鞄を持って大きな姿見の前に行く。

姿見の前に跪くと小声で何やらボソボソと言うと、その姿見の鏡面がグニャリと歪んだ。

『遅い!』「申し訳ありません」姿見の鏡面には妙に歪んだ背景と、顔は整っているが余裕が無く焦ってるように見える女の顔が写っていた。

『私の世界が連中に攻め込まれたのだぞ!』「……」女は唾を撒き散らすような勢いで怒りを口にした。

『貴様が!早くこの世界の上質な人間を送り込まぬから!』「……」暫く女は喚くように真穂に叱責を飛ばしていた。が、真穂は黙って跪いたままだった。

『…貴様…何を黙っておるか!』「慌てた結果が連中に気づかれたことでは無いかと…」『私を愚弄するか!』いきなり鏡の表面が女の顔の形に盛り上がり、それが真穂に迫る。

『もうよい!貴様のその身体を私が費う!貴様は用済みだ!消え失せろ!』「消えるのはアンタだよ」真穂はそう言って鞄の中に手を突っ込み、ペーパーナイフのような物を取り出して迫る女の顔の額に突き刺した。

鏡から盛り上がった顔が驚愕に歪み、声なき声を発する。

暫くペーパーナイフを額に突き刺されたその顔がのたうち回ると抜け殻のような表情になり、鏡が粉々に割れた。

飛んできた破片に真穂は目の下あたりが切れて、血が伝った。

しかし、その顔は暗い喜びに満ちて、一筋の血が赤い涙のように見えて泣き笑いしてる様に見えた。

「…恩着せがましいことを散々言いやがって…とっくに知ってるんだよ…クソが」その独白は寒々しい家の中で消えていった。



何時ものように夕方、お店を閉めるとちょうど父がトラックで帰って来た。

「あれ?シンマさん?」箒を持っていた晃が助手席から降りて来た長身の男を見て声を上げた。

「よー、晃。雪も季璃も久しぶりだなも」「しんまさーん!」現れたシンマに季璃がいの一番に駆けつけて飛びついた。そんな季璃の奇行にもシンマは身じろぎせずに季璃を抱えてやった。

それを見た春菜はシンマの体幹に驚いた。身長百七一センチの体格の季璃をすんなりと受け止めたのだから。

「どうしたの?シンマさん」「夏葉の代打だわ」集まった妹達の晃の質問にシンマは簡潔に答えた。季璃は首に両手を、両足を胴体に絡み付かせたままだった。「代打?」雪が聞いた。

「夏葉と冬菜に出張してもらってた」伝票を持った父がそう言いながら店の方に入っていった。

「…ふーん」珍しいなと春菜は思った。「みゃあ、朝早かったらしいで、もう帰って寝てると思うで」シンマはそう言って季璃の両脇に手を差し込んでそのまま剥がして立たせた。



シンマと姉妹が片付け終えて家に上がるとダイニングに姉が居て晩御飯の支度を手伝っていた。

「おかえり」「ただいま、姉さん」微笑んで出迎えてくれた姉に春菜は笑顔で答えた。

妹達も同様だった。

「シンマさん、ありがとう」「どうってことないわ」冬菜がシンマに礼を言うとシンマはひらひらと手を振った。

「…あ“――…」そこに寝ぼけた顔の夏葉も三階から降りて来た。ヨレヨレのグレーのトレーナーに紺色のスエットのズボンという有様だった。

そのまま自分の席に着いて背もたれに身体を預けて脱力する。

そのタイミングで母と冬菜が晩御飯を持って来た。勿論、春菜たちも手伝いシンマ込みの夕食となった。

夕飯は天丼で、海老、穴子、南瓜、シシトウなどが載っていた。

シンマには秋華から日本酒を冷やでコップに並々と注がれたものが出されて上機嫌だった。


「そういえばお母さん、あれ出来た?」「ええ、出来たわよ」晃の言葉に母がニコニコしながら頷いた。

「…ご馳走様…あれって何?」いつも通りスムーズに食事を済ませた春菜が晃に聞いた。

「あのね、春ねえ。あたし来週の日曜日にマウンテンバイクのレースに出るんだ!」晃は明るい表情でそう言った。その横で雪は黙々と野菜の天ぷらを片付けているが、海老と穴子にはまだ手を出してなかった。

晃はマウンテンバイクが趣味で、去年の秋に小さな大会に出て好成績を収めたことがある。

観戦に行った春菜はそれを見ていて、周りが中学生の男子でも負けない走りだった。

「それで?」と春菜は聞いてほうじ茶を一口飲んだ。「レースにね、着るジャージを作ったの」「……」母の言葉に春菜は少し真顔になった。

「大変だったのよー。私、初めてだから調べるのに少し時間か掛かっちゃって」「…そう…なんだ…」嬉しそうに話す母の言葉に春菜は笑顔を作ってそう答えた。

去年のレースでは学校の体操着で出ていた事を思い出した。

「皆んなで応援に行こうか」父がコップのお酒を少し飲んでからそう言った。

「ほんとう!」晃が嬉しそうにそう言った。

「じゃあ、佐倉達もよんだるわあ」コップの酒を飲み干してシンマがご機嫌に言う。その横で季璃がシンマの横でご機嫌に天丼を食べ、母に酒瓶を差し出されて嬉しそうに頷き、それを受け取ってシンマのコップにお酌をした。

シンマはご満悦になり季璃の頭をやや乱暴に撫でたが、季璃は嬉しそうに喜んだ、。

晃も嬉しそうにニコニコしていた。

「…ごちそうさま…ボク、宿題あるから…」「はい、お粗末さま。後でおやつ持ってくわね」春菜が手を合わせて食器を流し台に持っていくと母がニコニコしながら言った。春菜は頷いて自分の部屋へと向かった。


「…姉貴?…母さん、姉貴寝てる」夏葉の言葉に皆んなが冬菜を見ると冬菜が箸を持ったまま寝息を立てていた。

「あら、もう限界だったのね…。将、部屋に運んでくれる?」「……ああ」父はのそりと立ち上がり、冬菜を軽々とお姫様抱っこして三階へと向かった。

それを見ていた雪と晃は母に顔を向けた。

「どう思う?」『なにかひっかかるわねぇ』『同感だ』「三人ともそう思うんだ」雪と晃は何やらゴチャゴチャと話ししていた。

「あなた達?ご飯食べたらお風呂行ってらっしゃい」「「『『あっはい』母の静かな注意に雪と晃は姿勢を正して頷くと食器を片付けた。

「はあーい!きりちゃんもおふろいくぅ!」季璃が両手を上げて立ち上がり、いそいそと食器を片付け始めた。

「…母さん…今の…って…季璃気づいてない?」「さあ?シンマまだ飲む?」息子の疑問に可愛らしく首を傾げると、長い付き合いの友に聞く。

シンマはコップに残った日本酒を飲み干すと首を振った。

「いんや、帰るわ。ごちそうさん」すっと長身の男は立ち上がると帰り支度をした。



部屋に戻った春菜は大きなため息を吐いた。自分には既製品の服なのに…と思ってる。

妹に別に服を作ったのががっかりした。

春菜は鞄から音楽プレイヤーを取り出すと、イヤホンを耳にかけて再生ボタンを押した。

ロフトの上で胡座で座って聴いていると少し落ち着いて来た。

春菜は気を取り直すと宿題を片付ける事に集中した。


「あがああ!があああ!」闇夜の廃倉庫に若い男の悲鳴が上がる。

悲鳴を上げた男は額にペーパーナイフのような物を突き入れられて痙攣していた。眼球は白目を剥いている。

周囲には男女数名が跪き、頭を抱えたりして泣き喚いていた。そして何人かは倒れて動きもしなかった。

「ほっほぉ、大漁大漁!しっかしこんなに紛れ込ませてたとはねぇ」奈美は嬉々としながらペーパーナイフを抜き、卵のような物に刺す。額の異物を抜かれた男は後ろ向きに倒れた。

するとその卵のような物は脈動し、鈍く光りはじめた。脈動が止まったところでペーパーナイフを抜き、卵のような物を左手首にかけていたピンク色の猫のキャラクターが描かれたトートバッグに放り込んだ。

「…あの聖女神は臆病者だったからね…」腕を組んだ真穂は次の放心している若い女の額にペーパーナイフを突き刺す作業をする奈美を見ながら言った。

「まあ、全能感拗らせるとねぇ。あんた、本当にあれだけでいいのかい?」「…下手に目立ちたくないよ」奈美の言葉に真穂はうんざりするtように手を振った。

「まあ、聖女神のチートだからねぇ♪」奈美が笑いながら言うと真穂は用が済んだと言わんばかりに倉庫を出て行った。

「ふん、まあ約束は守ってやるよ。約束はね。お、コイツは収納系か!いひひ…」夜中の廃倉庫に少女のご機嫌な声と人の断末魔が暫く響いた。



昼時の県営空港近くの喫茶店に因幡航空の社長と秘書が昼食を摂っていた。

四人席を二人で向かい合わせで座り、佐倉にはアイスコーヒーとサンドウィッチ。エリカにはミルクティーに、大盛りナポリタンに味噌カツ定食のご飯大盛りが並んでいた。

佐倉は書類を見ながらサンドウィッチをかじり、エリカは上品に慌てることなく静かに食事をしている。しているのだが、減るペースが尋常では無く佐倉がサンドウィッチを二つ食べたところで完食し、追加でミートドリアとミルクティーのお代わりを頼んでいた。

「…何の用だ。商売人」書類から目を離さずに佐倉が言った。

「商売人が来るのは売るものがあるからだろう」佐倉の横にドカッといきなり座ったのは猫のような癖毛を赤とオレンジに染め、ショッキングピンクや紫の派手で趣味の悪い、リアルな砂猫がプリントされたシャツを纏い、派手に黄色いパンタロンを履き、ラメの入ったパンプスで足元を固め、ぬいぐるみやアクキーをガチャガチャぶら下げた猫のキャラクターのピンクのバッグを持った女だった。

テーブルの上のメニューを開き、一番高いミックスジュースを店員に大声でオーダーした女はバッグから猫のキャラクターの描かれた封筒を取り出した。

「ここに来てあんたらにちょっかいかけてるとこの情報だ」木の上の猫のようにニヤニヤ笑いながら二本の指で封筒を挟んでピラピラと振る。

「冬菜の刀、現場に無かったと『警察』の方から連絡があった」「…っち…」佐倉の言葉に女はあからさまに舌打ちをし、封筒を佐倉に向かって放り投げた。

佐倉はそれを手に取り封を開けて中の便箋を広げて見る。サッと目を通すと食事中のエリカに差し出す。

口元をハンカチで拭うとエリカは便箋を見ると頷く。

「こっちで掴んでる数と差異があった。他は?」「例の奴、そろそろ動くよ」女は口を釣り上げて言った。

佐倉は一つ息を吐くと胸ポケットに入れてた指輪を取り出して女に向かって指で弾いた。

女はそれを空中で受け取るとじっと見てニンマリと笑って「毎度あり」と言ってもう一通封書を趣味の悪い鞄から取り出してエリカの方へ滑らせた。そのタイミングで店員がジュースを持ってきたのでそれにストローを差して一口飲んで顔を顰める。

「甘いだけだねぇ。じゃあね」そう言って席を立って鼻歌を歌いながら店を出て行った。

「どうだ?」「…後は春菜様次第かと…」便箋を一瞥したエリカはそれを渡した。

佐倉もそれを見て便箋を仕舞い、アイスコーヒーを飲む。

エリカはドリアを平らげてミルクティーを優雅に飲んだ。


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