その他、話の内容で気になったところ

〇三墳、五典、九丘、八索 「四国奇談 実説古狸合戦 第二回」(四一ページ)


 この名前の書は、「春秋左氏伝」の「昭公一二年」に出てきますが、「王曰、是良史也」、「三墳五典、八索九丘」という言葉が出てくるだけです。


 後の時代の魏から西晋の時代に生きた杜預の注釈にも古代の書の名前とあるだけのようで、その内容についてはわかりませんでした。



〇金長の帰還 「古狸奇談 津田浦大決戦 第二回」(三九ページ、他)


 穴観音から帰ってきた金長は「其身は悄然と色青ざめ」ていたにもかかわらず、田の浦太左衛門は「定めて授官を致されたのであろう」と言って悦び、他の狸たちも祝っています。


 神田白龍氏は話の中で「全然凱旋の兵隊さんをお迎え致したやうな鹽梅」と表現していますが、出迎えた狸らが名誉の負傷だと思って祝したのだと解釈すればいいのでしょうか。


 「修行、あるいは山ごもりをしていた際に負傷したけれどもどうにか戻ってきた」でも話は通じるとは思いますが、最初読んだ時にはどうして怪我をしているのに喜んでいるのだろうと違和感を覚えました。



〇人間界での買い物 「古狸奇談 津田浦大決戦 第七回」(一三五ページ、他)


 人間に化けた狸は木の葉を変えた「紙銭」を使用していますが、「紙銭」には「紙幣」という意味の他に「葬儀で使用される冥銭」の意味もあります。


 神田白龍氏の活躍していたころに娯楽に対する規制があったかどうかはわかりませんが、「話の中ではあるが、お上(政府)発行の紙幣を偽札扱いしている」との疑いから逃れることができるように、「藩札」や「紙幣」ではなく「紙銭」という言葉を用いているのかも知れません。


 あるいは狸の世界と人間の世界を「あの世」と「この世」と見なして、「はるか昔の出来事を演じている狸は死者であるから、死者の世界で使っている通貨を用いているのだ」ということにしているのかも知れません。


 「古狸奇談 津田浦大決戦 第十回」(一八五ページ)では、淡州千山の芝右衛門が一匁札を使用していますが、同じ「古狸奇談 津田浦大決戦 第十回」(一八七ページ)で「焚付屋なる者が持って参る(かまどなどの焚きつけに使う)木の皮のやうなもの」に変わっています。


 こちらのほうは、「この世」と「あの世」を昼と夜に置き換えて、先の買い物は昼(この世)だったから紙銭に見えて、こちらは「あの世」により近い「夜」の出来事だからその影響で一匁札に見えたのだろうという説明はできます。

 そして、夜ではあったが行燈(この世)の光に照らされることで本来の姿で見えた、というふうになるでしょうか。


 もちろん、そこまで深い理由はないのかも知れません。


 話の中では芝右衛門に、「我國で通用を致す乃公の手形」で払ったけれども「定めて後で困っているであろう」と言い訳させています。



〇魍魎の一巻 「古狸奇談 津田浦大決戦 第七回」(一三六ページ、他)


 変化の術が書かれた「昔時の軍人なれば彼の六韜三略虎の巻」。


 これを読むと万能の知識が身につくといった、いわゆる「最強の道具」、「チートアイテム」とも言える存在なのですが、講談として話をふくらませる際につけ足した独自設定のように思えます。



〇そばの具材 「古狸奇談 津田浦大決戦 第十回」(一八四ページ)


 「花かけ」、「芋かけ」という言葉が出てきます。

 「上方で云う花巻」と言葉も出てきており、これは話の中で「浅草海苔を掛けて呉れたらよい」と説明されていますし、「花巻そば」で検索するとどういうものかもわかります。


 「花かけ」は「花巻そば」の説明から、かけそばに海苔を散らしたものではないかと思います。


 「芋かけ」はかけそばに茹でた芋か芋の天ぷらをのせたものかとも思いましたが、「かける」という表現が使われているので、小さく切っている、すり潰したものということもありそうです。



〇そばの食べ方 「古狸奇談 津田浦大決戦 第十回」(一八四ページ)


 話の中で、蕎麥屋が淡州千山の芝右衛門と宅内の蕎麥の食べ方を見て、「立派なお武家だが、妙な蕎麥の食ひ方をなさる」と思ったと書かれています。


 「武士 食事 作法」で検索すると、食事の作法が書かれた書物は「山鹿語類」の他、複数あることが確認できます。


 ただし、講談ですのでそこまで厳密な解釈に立ち入っているわけではなく、いわゆる「世間一般」で広がっている「武士の食べ方」のイメージで語られているようです。


 実際の講談では、仕草も加えて表現していたのではないかと思いますが、「斯う俯向いて、其の蕎麥の食ひ方が變」とあることから、背筋を伸ばさずに「首の後ろが見えて切腹時の介錯を待っている」ような格好をしていると読めます。


 「刑罰としての切腹」もまた講談その他の物語で広まっているので、そうした知識があれば「食ひ方が變」だとわかる、と言うことなのでしょうか。


 さらに言えば芝右衛門と宅内は悪狸の側ですので、人間のマネをしている悪狸のマヌケさを表現することで、ある種の愛嬌を持てるように演出しているのではないでしょうか。


 ですので、武士は必ずそのような食事の作法を守っていたのかと質問されると、守れなかった場合も守らなかった人もいるように思えると答えることになるかと思います。



〇禿狸(八毛狸)について 「古狸奇談 日開野弔合戦 第四回」(八四ページ)


 「謂はゞ長袖」という表現が出てきます。

 辞書によっては「鎧を着用する武士に対して公家、医者、僧、神官、学者らのことを指すのに用いられる」となっていますが、「仏事以外にはものの役に立たぬ」とあざけるふうにも用いられていたようです。


 ただし、韓非子の「五蠧」に「長袖善舞、多財善賈」とあるとおり、「長袖」という言葉は良い意味でも用いられています。


 結局のところ、その言葉が発された状況と、見たか聞いたかした人物次第ということなのかも知れません。



〇狸たちの言動 「古狸奇談 日開野弔合戦 第四回」(九三ページ)


 禿(八毛)狸は千住太郎に「其方は智もあれば勇もあるなれども、其方は一徹短慮である」と言っていますが、話に登場する狸で武士のようにふるまうものは、多かれ少なかれそのように性格づけをされているように思えます。


 それが当時の人が思っていた武家のイメージなのか、落語に登場する人物をあてはめたのか。

 演劇上の都合か、はたまた「同じ穴のムジナ」と関係があるのか。


 そのあたりはよくわかりません。



〇川島葭右衛門の工夫 「古狸奇談 日開野弔合戦 第五回」(一〇〇ページ)


 葭右衛門が「川島にある大神宮を繁昌させる事にした」とあります。


 文政十三年(一八三〇年)に阿波でお蔭参りが流行したことやお蔭参りそのものについては、「文政神異記」の他いくつもの記録に書かれています。


 現在、吉野川市にある川島神社は元は吉野川の善入寺島にあった神社を大正五年(一九一六年)に、吉野川の改修工事で現在の位置に島内の神社を合祀して創建されたということなので、以前に葭右衛門の棲家(?)と紹介した稲荷神社も元は別の場所にあったようです。



〇女狸の例え 「古狸奇談 日開野弔合戦 第五回」(一〇九ページ)


 松の木のお山や根井のお玉らのことを「今板額」と表現しています。


 「板額」というのは、「吾妻鏡」に登場する女武将の「坂額(板額)御前」のことですが、お山やお玉は弓の使い手ではなく、石投げを得意としています。


 「古狸奇談 日開野弔合戦 第九回」(一七一ページ)では小鹿の子が自分のことを「巴板額にも優ると言われたる」と言っていますが、「巴」は「平家物語」に登場する「巴御前」のことです。


 大言壮語かどうかは、話を読んで確認したほうがいいかと思います。



〇千住太郎の言葉「古狸奇談 日開野弔合戦 第十回」(一九五ページ)


 千住太郎が川島葭右衛門に「現在我が子は二頭までも撃たれて措きながら」と言っています。


 千住太郎の子は話の中に登場していないので、当時の事情をメタ発言のように挿入したのだと思います。


 この講談が速記されたのは日露戦争が終結したおおよそ五年後のことなので、当時の逸話からすると乃木希典が連想されますが、講談を聞く側、あるいはその親類や知人に同様の境遇の人物がいた場合には、そうした人物を思い出して共感できたのではないでしょうか。


 ただし、聞いた人がそのような境遇になっている人物を憎悪していた場合には、別の感情を抱いた可能性もあります。

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