物語としての演出や演劇的な表現

〇「四国奇談 実説古狸合戦 第九回」(一七四ページ)


 「黙礼を致して回向をしてやりましたること」から「夜も何うやら明けたる様子である」という話の展開は、悲劇の場面に明るい光をあてることで感情の昇華を狙った演出なのではないかと思います。


 厳密な仏教用語としての「回向」ではなく、冥福を祈る、弔意を表すといった意味で理解していいのではないでしょうか。



〇「古狸奇談 津田浦大決戦 第一回」(七ページ)


 ここでは「抜くより早く小芝姫は、自分の喉元望んでガハとばかりに」という場面があり、小芝姫の自害によって六右衛門と金長の間に争いが起きる理由ができるわけですが、「古狸奇談 日開野弔合戦 第二回」(三二ページ)では、六右衛門が「持つたる一刀で千鳥の肩口一刀」することで、六右衛門と庚申新八の間に争いが起きる理由ができるという構図になっています。



〇「古狸奇談 津田浦大決戦 第七回」(一三二ページ)


 庚申新八の台詞の中に出てくる「以前拙者修行の際」については、「これは誰それの罠」とか「賢明な読者」とか「こんなこともあろうかと」とか「誰それが一晩で」とか。


 まあ、そういう前置きつきででてくるああいう場面なのでしょう。



〇「古狸奇談 日開野弔合戦 第二回」(四〇ページ)


 「彼れは蹣跚きながら」から「落ち込んだるところ」までの場面は、舞台で演じた時に倒れた千鳥役の人物を退場させるために、観客側から見て泉水(のセット)の裏に千鳥役の人物が自分から入って隠れるという方法を考えついたように思えます。


 なお、この話では「蹣跚」と書いて「よろめ」とルビ(振り仮名)が振られていますが、「蹣跚」は「まんさん」と読むようです。



〇眞木橋の定九郎狸 「古狸奇談 日開野弔合戦 第五回」(一〇五ページ)


 「副大将眞木橋の定九郎狸」とありますが、「仮名手本忠臣蔵」の第五段には斧九太夫の息子で定九郎という人物が登場しています。


 「仮名手本忠臣蔵」の定九郎はあまりいい役ではありませんが、それを知っている人であれば、「定九郎」という名前を聞いただけでどういう役割の狸なのかという見当がついたのかも知れません。



〇小鹿の子登場の場面 「古狸奇談 日開野弔合戦 第五回」(一〇七ページ、他)


 小鹿の子は登場した時に「籠手を翳して」、「ハッタと睨め附けて」います。


 飛び道具で撃たれるのを警戒して腕を上げたというわけではなく、歌舞伎の「見得を切る」という動作をしているように思います。

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