【Prisoner Syndrome】第2話「String of Relation」読了後推奨

短編「幽閉を望まざる者たち」

「チッ……長谷川ハセガワ班長の予測が当たっちまったな。結論から言うぞ。お前が発症してンのは“プリズナー・シンドローム”、新種のレネゲイドウィルスだ」


 11月某日。

 のちにUGN・FH双方の勢力図を大きく揺るがす事になる、“極東戦線”の勃発より1ヶ月ほど前。


 上記の台詞が、UGN大月見市支部の医務室にて発せられたのは、特に事件も起きていない平和な昼下がりの事だった。


「え、と……ぷ、プリズナー……ですか? そ、そんなシンドローム……ありました、っけ……?」


 キャスター付きの丸椅子にちょこんと座り、オドオドとした調子でそう疑問を口にしたのは、この支部に属するUGNイリーガルの少年──神城カミシロ ハル

 彼がただでさえ小柄な体躯をアフリカオオコノハズクのように縮こまらせているのは、対面に座る女性が如何にも気の強そうな人物である事と、この場が設けられた原因が自身の身に起きた異変である事の2つに由来する。


ェよ、ェ。少なくとも、つい3ヶ月前までUGNのデータベースに存在しなかったのは確かだ。その調査の為に駆り出されたのが、カリンってワケ。オーケイ?」


 春の対面──即ち、平時であれば医務室の主たる白百合の君が座っているだろう、医者側の椅子に腰掛けた女性。

 ボサボサの金髪がよく目立つ彼女こそ、アールラボ日本班に新設された情報工学部門の部長、“異能速報バロネスチャンネル啄木鳥キツツキ カリンだ。


 事の発端は、今年の8月頃まで遡る。

 元々、春はオルクスとウロボロスの混血発症者クロスブリードだったのだが、8月の下旬頃から「オルクスのようでオルクスじゃない、変な能力エフェクトを使えるようになった」と言い始めたのだ。


 彼自身、最近になってオーヴァードに覚醒したクチであり、発症したシンドロームの片方はウロボロスである。

 特に侵蝕率に異常も見られなかった事もあり、当初はウロボロス経由で別種のレネゲイドが発現したのだろうと判断され、「とりま様子を見る感じで」という事で落ち着いた。


 ところがそれ以降も、支部でレネゲイド・コントロールの訓練をする際や、大月見市で発生した事件の解決に駆り出された際にも同様の異変が見られたのだ。

 オルクスのようでオルクスではない。因子による領域の支配をしているように見えて、実際はモルフェウスのような物質変換──否、性質のを行う奇妙な能力エフェクト

 既存のどのシンドロームとも合致しないそれは、効果範囲内の味方を強化・支援するなど、概ね良性の結果をもたらしていた。しかしそれでも、異質である事には変わりない。


 支部ではその原因を特定できず、どうしたものかとUGN日本支部に取り次いだのが昨日の事。

 そして何やら大掛かりな機材と共に、アールラボから派遣されてきたカリンの手で、春が引き摺られるようにして医務室へ連行されたのが2時間前の事である。


「何分、最近存在が発覚したばかりってンで、日本支部でもサンプルがクソ少ねェンだ。暫くは、この支部でこいつをモニターしとけ。そいつの姉貴分には、カリンの親友が世話になってるンでな。カリンたち情報工学部門が窓口になってやンよ」

「それは構わないが……こちらからも、いくつか質問をしてもいいだろうか」


 カリンが視線を向けた先、春の傍で丸椅子に座り、検査結果の記されたカルテを読んでいた女性から声がかかる。

 “月下の夜鳳アンミスティック・ローレライ柳守ヤナモリ 夜月ヒカリ。このUGN大月見市支部を統括する支部長であり、つまるところは春の上司である。


 彼女を始めとして、大月見市支部に所属する数名のオーヴァードがこの医務室には集まっていた。

 いずれも自分たちの同僚であり後輩の春を心配して、或いは興味本位で顔を出しに来た訳で、それも気弱な少年がフクロウモードと化している要因であった。


「君は先ほど『新種のレネゲイド』『最近存在が発覚したばかり』と言っていた。それはつまり、既存13種のシンドロームに加えて、新たに発見・体系化されたシンドローム……という事か? それこそ、ウロボロス・シンドロームのように」

「ある意味でアタリ、ある意味でハズレ……ってトコだな。それでハナシが終わンなら、カリンたちもちィとばかし楽だったンだけどよ」


 そう答えると共に、傍のデスクに置いてあったタブレットを手に取り、手早く操作する。

 手の内の画面には、アールラボで行われた実験と、その結果に関するいくつかの報告書が表示されていた。


「プリズナー……“幽閉された者”とでも題そうか。そいつは中世、ざっと500年くらい前に絶滅した古代のシンドロームらしい。つまり最近になって確立されたンじゃなくて、1度は滅びたが、現代になって生き残りが観測された……って言った方が正確だな」

「シンドロームの絶滅……そんな事があり得るのか? その物言いでは、古代種ともまた異なるようだが」

「レネゲイドウィルスに理屈なンて求めるだけ無駄だろ。その上、【望まれぬ者ノン・グラータ】とかいう胡乱なブツまで湧いてくる始末だ、何が起きても不思議じゃねーさ。かくいうカリンだって、学園島アカデミアにいた頃はトンチキなモンばっか見てきたからな」


 投げやり気味な言葉だが、ある種の道理でもある。

 現状でさえ起源種オリジナルレネゲイド変異種イレギュラー対抗種カウンターレネゲイド古代種エンシェントレネゲイドなどと多種多様な特異性質が観測されている。

 それらのメカニズムも大して解明されていない以上、プリズナーだけが取り立てて異質と言っても仕方が無いだろう。


「今ンとこ、プリズナーで分かってるのは2つ。いち、“祭壇”と呼称されるフィールドの展開と構築。に、“祭壇”内部におけるレネゲイドの改変と、出力の向上。攻撃より支援バフに向いた能力なのもそうだが、複数のシンドロームと絡めた方が強いってのが興味深い点だな」


 タブレットに表示された文書に目を通しつつ、つらつらと概要を解説する。

 そこに疑問を覚えたのは、大月見市支部の医務員、花宮ハナミヤ 雪奈ユキナである。この医務室の主たる彼女は、カリンの持ち込んだ検査用の機材を片付けながらに振り返り、声を発した。


「レネゲイドの改変、って……なんだか物々しいモノに聞こえるんだけど、大丈夫なの? 春くん、変なコトになっちゃわない?」

「安心しろ、そうおかしなものじゃねェ。どっちかってーと、モルフェウスの物質変換に近いな。武器の切れ味は鋭く重く、炎や雷を粘土のように捏ね、大味な重力波も至近戦闘インファイトできるくらい精密に。より便利で、より攻撃的な変化をもたらすのがメインだ」

「……ここまでの話を聞くと、モルフェウスとオルクスのいいとこ取りをしたようなシンドロームって感じだね」


 考え込むように口元に手を当て、民安タミヤス 冬馬トウマがそう呟く。

 彼もまた大月見市支部のエージェントなのだが、元はFHの殺し屋であり、雪奈の命を狙ってこの支部を襲撃した過去を持つ……という話は、一先ず省略するとする。

 少なくとも、今の彼が頼りになる仲間である事と、なんだかんだで春の容態が気になって首を突っ込みに来た事は確かなのだから。


「その“祭壇”とやらはモロにオルクスの領域だし、レネゲイドの性質改変はモルフェウスのそれと近しい。“祭壇”の内部限定で効果を発生させる……ってなるとむしろ、モルフェウスとオルクスの、って言った方がいいのかな?」

「……それ、アリなの?」

「ナシな理由が無い。と言っても、大昔に絶滅したって話から考えると、近しい性質を持つが故に吸収・統合されたって方が近いかもね」


 横からひょっこり顔を出してきた雑賀サイガ アヤに対して、更に推測を重ねて返答する。

 如何せん、再発見されてから半年すら経っていない、現代においては未知のレネゲイドである。彩がピンと来ないのも無理は無い話だし、濃く場数を踏んできた冬馬ですら推測の範疇でしか語れないのが現状だ。

 一応、その推測はそれなりに合っていたようで、カリンがコクンと頷くのが見えた。


「カリンたちアールラボの方も、概ね同じ見解だ。現状でプリズナーを発症したオーヴァードの共通点として、。近しい性質を持つってェのも、そういう意味じゃァ的を射ているな」

「あ……だからおれも、プリズナーに覚醒めざめた、のか……。オルクス、だから」

「それは……神城が後天的に三種発症者トライブリードに変質した、という事か?」

「そういう訳でもねーのが、この話のクソややこしくてクソ面倒なところだ」


 タブレットをデスクの上に放り投げ、懐から取り出したのは棒付きのキャンディ。それを口に咥えながら、不良のような乱暴さで足を組む。

 こう言ってはなんだが、とても研究者とも、検査をしに来たとも思えない態度だ。


「プリズナー・シンドロームとは題したものの、現状のそれはレネゲイドのと言った方が正しい。モルフェウス、或いはオルクスの能力を更に拡張する形で、プリズナーとしての力が乗っかった感じだ。先祖返り、って言えば理解できるか?」

「大昔に吸収されて消えちゃったプリズナーのレネゲイドが、今になってぶり返してきた、みたいな?」

「多分な。新種のシンドロームってよりは、変異種イレギュラーの派生バージョンってした方がニュアンスとしては適当かもだ。カリンたちはこれを、幽閉種プリズナーレネゲイドと呼称している」


 カロ、と口の中でキャンディを転がす。

 スキッと爽やかな青リンゴの味わいを楽しみつつ、語るべき内容を頭の中で吟味する。

 そうして次の説明に移るよりも先に、夜月と冬馬がそれぞれの疑義を口にした。


「だが……解せないな。そんな古代シンドロームへの先祖返りとやらが、どうして神城の身に起きた? 3ヶ月前に再発見され、サンプルも少ないという事は、それより前に幽閉種への変異はまったく観測されていなかった筈だ」

「それに3ヶ月前というのは、春くんが違和感を訴え始めた時期と一致する。彼が後天的に変異し、これからも幽閉種に変異する奴が現れるだろう事を考えると、8月に“何か”が起きた筈だ。……正直怖いんだよね、マイエンジェルもそうならないと言い切れないから」

「えっ、私?」

「あー……ゆっきーもモルフェウスだから、プリズナーになっちゃうかもしれないのか」


 とみに騒がしくなる医務室。

 無理も無い。身内から未知の変異体が出た上に、そうなるかもしれない者が更にもう1名いるのだ。

 その辺りの解明に関心を寄せるのはむしろ当然と言える。


 なお、この時点で当事者である春は「おれが原因で始まった話が、なんかとんでもない事態に……!?」と、こっそりビクビクしまくっていた。


「あー……まァ、その辺も説明しとくか。まず、“白百合の結晶ホワイト・スノー”がこれからプリズナーになる可能性は薄い。絶対に無い、とは断言できねェのが研究者のサガだが、限りなく薄いのは確かだ」

「そのこころは?」

「後で話すが、お前らの推測通り、プリズナー再発見は今年の8月が起点だ。そンな時期にプリズナー化した神城……言うなれば媒介者ベクターが間近にいて3ヶ月も経ってンのに、覚醒する兆しが無い。それも、支部職員の健康状態を管理する医務員がだぞ?」

「……成る程ね。春くんの変質したレネゲイドを検査・監視するにあたって、彼と一番接触するのがマイエンジェルだ。それなのにプリズナー化していないなら、今後もなる可能性は薄いって事か」

「後は単純に適性ってセンもあるけどな。モルフェウスひとつ取っても、武器を作る奴や砂を操る奴がいるってのに、全員が全員プリズナーになるってのもおかしな話だろ」

「……そう、いえば」


 ポツリと呟かれた春の声に、その場の全員が反応した。

 視線と注意を一心に受けて「ひいっ!?」と情けない声が漏れ出たものの、自分の言いたい事を纏める為にボソボソと語り始める。


「そっ、そそ、その……なんか、こう……おれっ、なんか、この力が、っていうか……。その、“祭壇”……でした、っけ。それを使った時の……“閉じ籠もる”、みたいな感じ、が……こう、安心する、っていうか……えと」

「いや、神城の言いたい事は分かる。プリズナーの能力に親和性を感じている……という事だろう? 実際、未知数な能力ながらも、神城はそれを使いこなせているように見えていたからな」

「は、はひぃ……」

「……成る程な。囚人プリズナーってのも、あながち的外れなネーミングじゃないって事か」


 今度は、カリンへと視線が注がれる。

 春とは違ってふてぶてしい態度を崩しもしない彼女は、口から離した棒付きキャンディを、まるで指揮棒か何かのように軽く左右に振った。


「プリズナー・シンドロームは、ギリシャ神話における半人半牛の怪物、ミノタウロスが名前の由来にあるってのが研究者間での認識だ。己の領域に閉じ籠もり、外から来る敵対者を迎撃する……侵略者を排除する。それがプリズナーの本質と見ていい」

「迎撃、排除……守る、力?」

「そういう解釈もアリかもな。どっちにしたって、プリズナーの力を得た以上、それがお前の根底と照応してンのは間違いねェ。よく向き合うこったな。元ネタがの怪物だってンなら、カリンにも思うところがある。相談くれェは乗ってやるさ」

「おれの、根底……本質」


 自身の胸に手を当てて、考え込む春。

 気弱でビビリでヘタレでネガティブで情けない彼ではあるが、決して芯の無い人物ではない。

 己が覚醒めざめた力と向き合う事は、オーヴァードとして生きる上で必須とも言える。いつか、彼も答えを出せる日が来るだろう。


 ちなみにその後ろでは、冬馬が「もしかしてプリズナーって引きこもりほど覚醒しやすいんじゃ……」と言いかけたところで「はいはい、ちょっとストーップ」と彩に口を塞がれていた。

 背後のやり取りからは意識を外して、夜月は再びカリンに向き直る。


「それで、先ほどの問いに戻るが……何故、プリズナーは現代に再び蘇ったんだ?」

「……カリンも全てを知ってる訳じゃねェ、ってのは承知しとけよ」


 その言葉に、一同は肯定の意を込めて頷く。

 それを確認した後、デスクの上のタブレットをもう1度手に取った。

 今度は、プリズナーのものとは異なる報告書を画面に表示し、大月見市支部の面々へと見せてやる。


「カリンたちが把握している範囲ではこうだ。今年の8月、日本領海のとある無人島で新種の“遺産”が発掘された。それを強奪したマスターエージェントの手で島は壊滅。その後、マスターエージェントは討伐されたが、戦闘の余波で“遺産”もぶっ壊れちまった」

「……読めた。その“遺産”とやらがプリズナーに関係するものだったんだね?」

「多分な。事件の前後、現地で発掘作業に従事していたUGNイリーガルがプリズナーを発症したらしい。古代シンドロームについての情報源ソースも、発掘チームが蒐集してたっつー文献にあるそうだ。日本支部の上層部が噛ンでるみてーで、詳細は伏せられてるけどな」


 

 大月見市支部の面々は当然、カリンですら知らない事だが、これらの話はカバーストーリーである。


 実際に何があったのかは──さて、ここで語る事では無いだろう。

 2つ言える事があるならば、その“プリズナーを発症したUGNイリーガル”はキュマイラ・シンドロームの影響か頭部に角が生えており、一連のカバーストーリーの裏には元“エスケープキラー”の関与があった事くらいだ。


「で、だ。こっから、ちょーっとばかしイミフな話になってくる。面倒な事にな」

「まだ、何か?」

「プリズナーの感染源の話だ。そして情報工学部門のカリンが、こうしてプリズナー調査に駆り出されている理由でもある」


 棒付きキャンディを咥え、左手に持ったタブレットを扇のように振り、右腕はデスクに乗せて頬杖をつく。

 やはり、研究者とは思い難い態度である。


「神城ォ。お前、スマホとかパソコンとかよく使うか?」

「はひ!? はっ、はい……その、音楽聞いたり、ライブ見たり……えと、サブスク入ったりとか、色々……。ら、LINEとかは、使って……ないんです、けど……」

「お前がプリズナー化する前後で、何見てたとか思い出せっか? 正確じゃなくていい」

「ふぇえっ? え、えと、えーっと……あ、ぁあっ! そのっ、に、任務の過程で……UGNデータベースの、検索BOTクローラーを……えっと、1週間くらい……」

「……やァーっぱりかァ……」


 ガックリ。

 そんなオノマトペが似合うほど、カリンは虚空に突っ伏すように顔を俯かせる。

 春の発言の、何が琴線に触れたのか。他の面々は訝しみを込めた視線を彼女に向けた。


「はァー……これやっぱ確定かなァ……。クソッ、今の内にLumiereルミエルの再調整やっときたかったンだけどなァ。日本支部の方も、なーンかキナ臭ェカンジになってるってのに」

「悪いけど、自分だけで自己完結しないでほしい。一体、神城が何をしたと……」

「いや、そいつは悪くねェ。悪くねェが、こっちの懸念してた案件にブチ当たったってだけだ。それも、原因は分からねェままなのに、結論だけ確定しちまったみてェな感じで」


 やはり要領を得ない。

 そう言いたげな雰囲気を手で振り払い、小さき咳払いを落とす。


 アールラボ日本班・情報工学部門。

 そんな部署に所属する啄木鳥 カリンが何故、新種のシンドロームの調査を命じられているのか。


「結論だけ言うぞ。プリズナー・シンドロームの感染源はだ。神城、お前はネットの海に漂うレネゲイドウィルスに感染したンだよ」





「──つまり、プリズナー・シンドローム拡散の原因は“サテライトマスター”にあるのよ」


 日本のどこか。

 どこまでも続く巨大な本棚と、そこに収められた無数の書籍に囲まれた、とある大図書館。


 その一角に設けられた大きなテーブルを囲み、お茶と談笑に興じている者の1人。

 色素の抜け落ちた白い髪と肌、それらと相反する真っ赤な瞳を持つ、占い師風の装いをした女性。

 秘密結社ゼノスの幹部、ツェーン・フォン・ファタリテートは紅茶を啜りつつ、そのように語ってみせた。


「ん~……? それって、リリスお姉ちゃんの目的と噛み合ってないよ?」


 彼女の対面で、マグカップに満たされた熱いミルクティーを啜っているのは、メリー・メルトライト。

 彼女もまたゼノスメンバーの1人であり、プリズナー拡散の切っ掛けとなった一連の事件を知る者だ。


 その情緒は幼く、興味の無い事に対しては冷徹な面を見せる事もあるが、見聞きした事を忘れるほど愚者でもない。

 それ故、ツェーンの語る内容に矛盾を覚え、不思議そうな表情で言葉を返した。


「確かリリスお姉ちゃんって、プリズナーの力を自分のものにしようとしてたんだよね? それなのに、世界中にプリズナーの力をばら撒いちゃったら、リリスお姉ちゃんの言ってた“ほろあーむず”? の強化にはならないんじゃないの?」

「あら、賢いわねメリーちゃん。そこに気付けるのは偉いわよ~、銀のエンゼルあげちゃうわ」


 褒められてニコニコと微笑むメリーに目を細め、紅茶を一口。

 飲み干したティーカップをソーサーの上に戻すと、ポットを手におかわりを注ぎ始める。


「そうね。“サテライトマスター” 白咲シロサキ アマリリス、彼女は自身の属する《識の虚腕ホロアームズ》の戦力拡大を目的として、プリズナー・シンドローム──いいえ、【クレタの宝塔タワー・オブ・クレタ】を狙っていたわ。その為の手段は覚えているかしら?」

「えーっと……確か、“あの子”をよく分かんない機械に繋いで、プリズナーの力を盗もうとしてた!」

「ええ。“サテライトマスター”は拉致した【クレタの宝塔タワー・オブ・クレタ】を装置に繋ぎ、そこで抽出・解析したプリズナー・シンドロームのデータを、衛星軌道上の本体──監視攻撃衛星アリアドネへ送信しようとしていた。でも、そこで誤算が生じたの」


 それが何か分かるかしら。ツェーンはティーカップで口元を隠し、言外に問う。

 自身に対して問われていると気付いた少女は、両手で抱えたマグカップをテーブルに置き、コテンと首を傾げてみせた。

 暫くうんうんと唸ったのち、やがて何かに気付いて顔を上げ、声を発する。


「──あ、分かった! がおっきくなったの!」

「うーん、まぁ正解としておきましょうか。正確には、そうね。【クレタの宝塔タワー・オブ・クレタ】が持つインフィニティコードとしての力が過剰暴走を起こして、レネゲイドの抽出装置に致命的な悪影響を及ぼした」


 傍に置いてあった皿からストロベリージャムをスプーンで掬い、紅茶の入ったティーカップの中に落とし込む。

 からからとスプーンで掻き回してジャムを溶かせば、なんちゃってロシアンティーの出来上がりである。

 本来のロシアンティーはジャムを口に含み、紅茶で後を追うものだが、この飲み方も案外気に入っていた。


「その結果として何が起きたかと言えば……暴走したインフィニティコードのレネゲイドがアリアドネのメインコンピュータに流れ込み、同時に抽出途中だったプリズナーの解析データが地上の装置へと逆流した訳ね」

「う~ん……でも、それがどうしてプリズナーの拡散に繋がっちゃうの?」

「考えてもみなさいな。アリアドネは人工衛星のレネゲイドビーイングだったのよ? 地上からデータを送信するにも、衛星軌道上でそれを受信するにも、コンピュータによるネットワークが前提なの。つまり──」


 カチャ。

 スプーンをソーサーの上に置く音は、やけに大きく響いたように思えた。


「インフィニティコードの暴走によって、致命的な氾濫を起こしたプリズナー・シンドロームのレネゲイド。その断片が、人工衛星のネットワークを突き抜けてインターネット上に放出されちゃったって事。端的に言うならば──ね」


 ジャムのたっぷり入った甘酸っぱい紅茶を口に含む。

 コクリと喉を鳴らした時には、メリーは感心したような目つきでこちらを見てきていた。


「って事は……リリスお姉ちゃん、色んな意味で失敗しちゃったんだね。でも、プリズナーがネットにばら撒かれちゃって大丈夫なの?」

「そうねぇ。まず、UGN的には悲鳴ものでしょうね。FHの視点で考えるなら、新たな戦力補充の手段ってところかしら。そしてウチ的には……静観、ってトコよ」

「静観……ほっとくって事? 蛇みたいに滅ばさなくていいの?」

「ウロボロスと違って、レネゲイドの進化を邪魔するって訳じゃないしね。先祖返りとは言っても、現代で新たに発生した以上、かつてとは性質も違うでしょうから。むしろ、新たな見地アプローチからの進化を促す事もあるんじゃない? ま、京香キョウカちゃんの受け売りなんだけど」

「! ママがそう言ってたの!? じゃ、私もほっとく~!」


 “ママ”の名前を聞いた瞬間、飛び跳ねんばかりに喜色を振り撒き、ニコニコ気分で頷くメリー。

 その様を微笑ましげに見つめたのち、ツェーンは紅茶を飲み切って小さく一息。


「まぁ、メリーちゃんはそれでいいでしょう。ソラリスの純血発症者ピュアブリードだから、元よりプリズナーなんてお呼びじゃないしね」

「……? ツェーンお姉ちゃんは何かご用事があるの?」

「いいえ、私も無いわ。ただ、その辺について京香ちゃんからお使いを頼まれてるのが──」

「なんじゃ、ワシの噂をしとったか?」


 しわがれた老爺の声。

 どこからか聞こえてきたそれに2人が顔を見合わせて、声の主を探そうと目線を動かした直後、はひょっこりと現れた。


「あ、ホトリお爺ちゃん!」

「いつから聞いてたのかしら? ホト爺。レディ同士のお喋りに聞き耳を立てるなんて、マナーがなってないわよ」

「ほっほっほ。トカゲ畜生に紳士のマナーを説いても仕方無いじゃろうて」


 テーブルの陰からよじ登るようにして現れたのは、1匹のトカゲだった。

 ツェーンの二の腕ほどの大きさを持つそれは、よいせとテーブルの上に乗り、滑らかな動きで2足歩行をしてみせる。

 その爬虫類然とした顔立ちから発せられるのは、年老いた男のような深く低い声。


 赤い体表が特徴的な彼もまた、ツェーン・フォン・ファタリテートと同じくゼノス結成に貢献した幹部の1人……否、1匹。

 トカゲのレネゲイドビーイング、“ナギサの” ホトリである。


「いや、何。丁度、から頼まれた仕事を終えた辺りで、ワシの話をしているように聞こえたからの。気になって顔を出したまでじゃ」

「あ、プリズナーにご用事があるのってホトリお爺ちゃんだったんだ」

「用事、というか……そうじゃの」


 テーブルの上に寝そべったホトリが、尻尾をゆらりと揺らす。

 その瞬間、2人は周囲の空気が微妙に切り替わった事を知覚した。

 それがエフェクトの行使である事、そしてかつて感じた経験のあるものである事を悟った直後──


「ほい、この通り」


──《アトラスフルーツ》LV1


 “祭壇”の中で押し固められたレネゲイドは瞬く間に物質化し、手のひらサイズの金塊となって、ツェーンのティーカップの中に落ちてきた。


「あら、結構なお点前」

「今のってプリズナーのやつ!? すっごーい! ホトリお爺ちゃん、プリズナーになってたんだ!」

「ほほっ。仕事の過程でな。使いこなせれば案外面白いものじゃぞ」


 くあ、と欠伸をひとつ。

 水の中の海藻のように揺れるトカゲの尻尾は、先端に灯る仄かなレネゲイドによって“祭壇”を維持しているらしい。

 その蝋燭のような光と暖かさを一瞥して、ツェーンはティーカップの中から取り出した金塊を手の内で転がした。


「で、ホト爺。これから京香ちゃんに報告しに行くんでしょうけど、結果は?」

「うむ。やはりお嬢の読み通りじゃった」


 徐に起き上がり、尻尾の力をそっと抜く。

 パタリと倒れた先端に呼応して、周囲に張り巡らされていた“祭壇”の力も途端に消失する。


「UGNやFHでも、ぽつぽつとプリズナーに覚醒する者が増えておるぞ。と言っても、現状では両手で数えられる程度しかおらんがの」

「それはやっぱり、ネット上のウィルスに感染して?」

「じゃろうな。じゃが、単にネットを見ればいいというものでも無さそうじゃ。インターネット全体に拡散されている訳では無く、WEBクローラーなどを使って多くのアドレスにアクセスした結果……というところじゃろう。後は、そいつの適性次第じゃの」


 そこまでを聞いて、得心が言ったとばかりに鼻から息を吐く。


「なぁるほどね。そうなると、今後もプリズナー発症者はごく少数SSRを維持する感じかしら。ネットの海から抽出できればまた別でしょうけど、現状はインターネットへの接続に依存している以上、人為的な覚醒は再現性が低そうだわ」

「じゃのう。まぁ、お嬢の言う通りに静観が安牌じゃろうて。レネゲイドの進化を阻害する事無く、発生確率も希少。発見できればラッキー程度の考えでいた方がいいじゃろうな」


 何やら難しい会話に興じるツェーンとホトリ。

 彼らの姿を眺めながらも、メリーは不可思議そうな顔でコテンと首を傾けた。


 2人の話している内容が“ママ”の計画プランに関係している事は、なんとなく分かる。けれど、そこから先はサッパリ分からない。

 結局、会話を正確に理解する事は難しかったようで、とりあえず自分が興味のある話題を振ってみる事にする。


「ホトリお爺ちゃん、ネットに詳しいの?」

「うん? おお、そういえばメリーには見せておらんかったかの。元より、ワシが専門とするのはこちらネットじゃ」

「ホト爺は凄腕のハッカーなのよ。こんなナリだけど、下手な人間のハッカーよりは優れているわね」

「こんなナリ、は不要じゃ」

「凄い凄い! お爺ちゃん、そんな特技があったんだ!」


 椅子から飛び上がり、ぴょんこぴょんこと跳ねて回る少女。

 そんな彼女の姿に顔を見合わせて笑いつつ、ゼノスの幹部たちは次の話題を切り出した。


「で、その次はやっぱり?」

「うむ。現代におけるプリズナーの発生源は概ね特定できた。故に次は、を探りに行こうと思うとる。ま、あくまで“ついで”じゃがな。本命は“例の案件”の方じゃ」


 金塊を片手で弄び、ツェーンは意味深に微笑む。

 目の前の老いたトカゲが口にした事の意味を、よく理解していたからだ。


 反対に、幼いメリーは何の事か分かっていないらしい。ポカンと口を開けつつ、とりあえずマグカップの中のミルクティーを飲む事にしたようだ。

 コクコクと喉を鳴らしてお茶を飲む彼女の髪を、会話のついでにそっと撫でてやる。

 同僚に頭を撫でられてご機嫌な少女を見て、ホトリは爬虫類特有の縦に裂けた瞳孔を細めた。


「それなりに長期の仕事にはなるじゃろうが、もうじき年越しじゃからな。そろそろ着手しておかねば、が怖いところじゃ」

「それは私も同意だわ。そうだ、ジャックちゃんも連れていきなさいな。護衛にはうってつけでしょ? ホト爺、そんなに戦えないんだから」

「ケッ、お前さんだって似たようなモンじゃろうに。じゃが、あの小僧っ子を連れて行くのは悪くない。お嬢にも伝えておくとしようぞ。後は、そうだの。“記録者レコーダー”めの溜め込んどるデータベースをちょちょいと拝借して……」

「んむ……ホトリお爺ちゃん、どこかに行っちゃうの?」


 ようやくミルクティーを飲み干して、メリーがそのように声を上げる。

 その声色は、どこか不安そうで、少しばかりの寂しさを滲ませていた。


 それを分かった上で、ホトリは口を裂くように笑う。


 いずれ起きるだろう、世界を巻き込む一大決戦が終わった時、自分が生き残っていられるかどうかは分からない。

 だが、これもまた必要な事である。ただ命じられるままに布石を撒き、然るべき時にそれを回収する。

 自分たちは、その為の駒なのだから。


 故に、笑いながらに口を開く。

 “プラン”が指し示す、次なる舞台を。


「──南米、アマゾンの熱帯雨林じゃ」





 いつかのどこか。

 その場所をどう形容するべきか。その答えは人によって異なるが、敢えて芝居がかった言い回しをするならば、と呼ぶのが適当だろう。

 少なくとも、未だ人間が到達した事の無い、誰もその所在を知る事の無い世界の果ての真ん中で。


「……ん、ぅゆ」


 は、パチリと目を開いた。


 瞼が震え、ゆっくりとした動きで瞳孔が露わとなる。

 濃いモヤがかかっていた意識は、目の奥へと飛び込んできた光の数々によって徐々に晴らされつつあった。

 その眩しさに頭を晦ませながらも、覚醒しゆく意識の中で目を凝らし、眼前に広がる景色へと注意を向けてみれば──


「おお」


 理想郷。最も相応しい言葉は、まさしくそれだ。


 どこまでも澄み渡る、恐ろしいほど綺麗な青空。

 さらさらと揺れ動き、心地よい香りを運ぶ花畑。

 一切の淀みを持たず、肌を優しく撫でるそよ風。


 遥か遠くに見える巨大な樹木でさえ、美しい風景画を彩るに申し分ない悠久さを誇っていた。

 微かに聞こえる川のせせらぎまでもが、この場所へと降り立った者たちに感嘆以外の言葉を許さないだろう。


 幻想の世界に迷い込んだかのような、彼方まで続く美しい景色。

 凡そ現実性を感じさせない奇妙な荘厳さの中心で、は呑気に首を揺らした。


「……しかして、ここは、いずこか」


 には、記憶が無かった。

 何故、こんなところで寝ていたのか。何故、こんなところに迷い込んでいるのか。そもそも、自分がどこの誰なのか。

 その全てが、綺麗さっぱりと虚数の彼方に消え去っているのだ。


 不思議そうに首を傾げてみても、今しがた目を覚ますまでの記憶は、頭の中のどこにも無い。

 果たして「お前という存在はたった今生まれたのだ」と言われたとしても、あっさりと納得してしまうほどに。


 否。よくよく考えてみれば、頭の隅に引っ掛かるようなモノがあった。

 それは記憶の残滓と呼ぶにはあまりに頼りないものだったが、それでも心当たりと評せるようなモノではある。


 そう、確か。自分は誰かに生み出された、被造物であった筈なのだ。

 それが誰の事なのかはさっぱり分からないが、少なくとも自分にとって大切な、守るべき存在であったように思う。


 あれはいつの事だったか。もう、どこで何が起きていたかを思い出す事はできないけれど。

 それでも自分は、薄れゆく意識の中で、己の主が求めんとしていたに祝福あれと──


「──Welcome。ようこそいらっしゃいました、我らが“妖精郷”へ」


 不意に、頭の上から声が降ってくる。

 その事に対して驚きもせず、ゆるりと呑気な動きで上を見上げてみれば。


「どうやら我々の意図していない、偶発的な訪問のようですが……それでもお客様である事に変わりはありません。は、遍く来訪者の全てを歓迎するでしょう」


 Ⅰ人の少女が、軽やかな所作を伴って宙に浮いていた。

 彼女が本当に人間であるのか、人間と呼べる存在であるのかは分からない。しかし、少女の風体をしている事だけは確かだった。

 物腰柔らかな言葉を連ねながらも、その声色は人間性を感じさせないほどに冷たい。


 幼くもどこか大人びた風貌の少女が貼り付けた笑みは、まさしく“人形”と呼称しても遜色ないものだろう。

 幽霊のようにふわふわと浮遊し、彼女はに対して空中でのカーテシーを披露する。


「改めてようこそ、失われた楽園ロストエデンへ。此処は世界の果て、誰にも望まれぬ妖精たちの故郷です。この世界の水先案内人ナビゲーターとして、あなた様を我らが王の御前へとご案内致しましょう。どうぞこちらへ」

「まじか」


 ぱちくりと目を瞬かせたのち、こちらへ手を差し伸べてくる少女を見やる。

 彼女が何を目的としているのか、それを推し量る術は無い。けれど、どうやらこちらに拒否権が無い事だけは確かであるらしい。


 とはいえ、ここでボーっとしていても仕方が無い事も事実だ。

 イチかバチかで話を前に転がす事ができるのならば、それも吝かではない。ぼんやりとしつつも、はそのように結論付けた。


「まぁ、ことわる、りゆうも、ないゆえ、しばし、せわに、なると、しよう」

「畏まりました。では……と、その前に。あなた様のお名前アカウントを教えて頂きますか?」

「ふむ、なまえ、であるか」


 この問いには、はて、と首を傾げざるを得なかった。

 何分、つい数分前より以前の記憶が無い身である。そんな有様で、自分の名前だけをピンポイントで覚えている筈が無い。

 そもそも、最初から名前が存在してない可能性すらあるのだ。果たして、どうやって名乗ればいいというのか──


「……ふむ」


 ピン、と閃くものがあった。

 それが僅かなりとも記憶が戻った事を意味しているのか、それとも独特のセンスによるインスピレーションなのかは分からないが、ふと頭の内にアイデアが浮上する。


 この直感に従ったとして、何かおかしな事になる事も無いだろう。

 そうだ、それがいい。満足げにもうⅠ度顔を上げ、目の前で浮遊する少女を見た。


「お決まりですか?」

「うむ」


 そうして、は自信たっぷりに頷いた。


「わらわの、ことは、、と、よぶが、いい、おそれよ」

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