第2話 文芸部

 東京くんだりまで重たい荷物を持って行ってデモーノイに襲われて大変な思いをして、へとへとになった私は、売れ残った本を駅のロッカーに預けて家に帰り、明日の登校に備えて早めに休んだ。

 やれやれ、と目を瞑ったばかりだと思ったのに、次の瞬間にはスマホのアラームが鳴っていた。朝だ。


「んー……」

 寝ぼけ眼に、眼鏡を装着。母が律儀に早起きして作ってくれた朝食を摂り、身支度をして、お弁当を鞄に入れ、自転車で学校へ。早く来すぎて、教室にはまだ誰もいない。私は席に着くと、何となくスマホでニュースを流し見した。

 昨日は疲れすぎてチェックしていなかったが、文フリへのデモーノイ出現は小さく取り上げられていた。「偶然その場に居合わせた未登録の魔法戦士団が退けた」──とある。


 日本には、政府に認可を受けた魔法戦士団と、自警団的に各地に潜む魔法戦士団の二種類が存在する。と言っても外国がどうなのかはよく知らないが……何しろ敵が湧くのは日本、中でもここ神奈川県からと、決まっているからだ。


 私が小学生の時、神奈川県の西端に位置する箱根山が突如として噴火した。十数名の被害を出したその災害を拍子に、何故か箱根山の噴火口は異世界と繋がってしまった。

 異世界人は自分たちのことを「ニイ」と、私たちのことを「イリ」と呼んでいた。ニイの中でも好戦的な勢力はフォールト帝国と呼ばれている。こちらにデモーノイを寄越すのはだいたいこいつら。こいつらは火山噴火よりも多くの犠牲を日本にもたらした。


 そのフォールト帝国と敵対関係にあり、日本と同盟を結んだのが、マルヘルピ王国。


 小難しい話は置いといて、とにかく日本は、フォールト帝国が日本を足場に地球を植民地にしようとするのに抵抗する必要に迫られた。当初はアメリカが出しゃばってきて核兵器まで持ち出したが、デモーノイはどんな武器も無力化してしまう。

 人間が取れる手段は一つ。同じニイ界の国家たるマルヘルピ王国が、デモーノイと酷似した技術で作り出した人工魔獣兵器、マギアベストを使うことだった──。


 ズドーンと地響きがしたので、私はスマホから目を上げて窓を見た。校舎の少し向こうでまたデモーノイが出たようだ。教室からは、オレンジ色の長い耳と尖った銀色のツノが見えるだけだが、マントを羽織った小さな影がそのデモーノイに真上から突撃していたので、多分またあの二人が奮闘しているのだろう。


「朝から大変……」


 デモーノイ出現を受けて、千代沢ちよさわ高校の始業時間は大幅に遅れた。友達は電車の遅延でまだ来られないらしい。私は何となく、千代沢町に現れたデモーノイのニュース映像や、政府公式の魔法戦士団のインタビュー動画を観て、暇を潰した。


 じきに、しれっとした顔で鈴木さんは教室に来た。遅れて私の友人も二人とも到着した。授業が始まったので、とりあえず私は先生の話を聞き、真面目にノートを取った。


 帰り際、私が鞄にノートを詰めていると、鈴木さんがずかずかとこちらに近づいてきた。


「オイ、佐藤ちゃん。ツラ貸せや」


 言い草は乱暴だが、意図は伝わった。しかし私と共に帰る予定だった友人のヨシぽんとマサっちは、すっかり怯えてしまった。まあ、見るからに不良っぽくて、誰をも近寄らせない雰囲気の、背の高い女子が真顔でぶっきらぼうにこんなことを言ったら、普通は怯える。


「ヒエッ、す、鈴木さん!?」

「サッちゃん、何かやらかしたの!?」


 私は苦笑して、二人を落ち着かせた。


「大丈夫、心配しないで。悪いけど今日は二人で帰って……あの、鈴木さん、そんなに引っ張らなくて良いから」


 鈴木さんへの意見は棄却され、私は文芸部室までぐいぐい腕を引っ張られてきた。

 ガラリと引き戸が開けられる。普通の教室をパーティションで半分に仕切っただけの狭苦しい空間。机と椅子がいくつかと、大量の小説、資料、辞書など。それからお菓子が少々。


「おら、部長先輩。連れてきたぞ。今日からあの村雨美鶴むらさめみつるがここの部員だ」

「あ、ありがとう……二人とも……」

 桃果ももかさんはスマホを閉じ、長くて癖の強い長髪に縁取られた顔でこちらを見上げ、微笑んだ。

「改めまして、よろしくね」

「えーと、入部届とかは」

「いらんいらん。三人しかいねーのに、んなもんいちいち作ってられっか」

 鈴木さん改め時愛ときめさんは、めんどくさそうに手をひらひらさせた。

「適当な運営だね……」

「ユルさがここのウリだから。な、桃果さん」

「うん……締切以外はね……」

「分かってるって。次は守るよ」


 前は守らなかったのかと、私はちょっと呆れてしまった。時愛さんはというと、一台だけ置かれた古めのパソコンの前に私を手招きした。


「美鶴ちゃんはいつも何使って執筆してんの」

「スマホだけど」

「じゃ、試しにコレ使ってみなよ。ツールが変わると新しいアイデアが出るかもよ」

「一理あるね」


 私はパソコンの前に座った。時愛さんが素早く立ち上げてくれる。


「はい、ここに何でも書いていーよ」

「あの……いきなりそう言われても、美鶴ちゃんが困るんじゃないかな……」

 桃果さんがおずおずと助け舟を出してくれたので、「そうですね」と私は頷いた。 


「その、せめてお題を三つほど頂ければ、短編を一つくらいは書きますが」

「ああ、三題噺? そういえば即興も得意だよね、美鶴ちゃんは。じゃ、やってみよ。私と桃果さんでお題出したげる」

「え、私も……?」


 時愛さんはムムーッと考え込んだ。


「じゃあ、一個目は『うさぎ』な。そんで二個目は……『砂糖』! はい桃果さん、三個目は?」

「『善意の第三者』……で、どうかな……?」

「ハイ決まり! 存分に書け」

「んー……分かった、良いよ」


 時愛さんのお題がやたらメルヘンチックなのにも驚いたし、桃果さんのお題で急にミステリかサスペンスの雰囲気になったのも驚いたが、これなら書けると思う。私は早速キーボードを打ち始めた。


 桃果さんも時愛さんも自分の作業を始めてしまったので、部室は急にシンと静まった。私はまめにデータを保存しつつ、短編の構成を組むのに集中していた。


 だから、急にバーンと部室の戸が開けられた時は心底びっくりした。

 廊下には、見慣れない黒装束に赤い髪、それにまるで自由の女神の頭みたいに幾つかの棒が頭に生えている、奇天烈な男が立っていた。彼はゴミでも見るような目で私たちを見た。


「──ここに戦士が二人いると思ったが。どいつが部外者だ」

「えーいっ」

 桃果さんが手近な所にあった分厚い辞書を男に投げつけた。

「ぶべっ」

 鈍器が額に直撃した彼はたまらず廊下に倒れた。時愛さんが私の手を引いて部室を飛び出し、ついでに男の鳩尾を踏みつけて、走り出した。後から桃果さんもついてくる。


「今の人、ニイ界の知的生物……?」

「ああ、フォールト人で間違いない。まずいな。顔を見られた」

 時愛さんは悔しそうに言った。

「そういえば魔法戦士の人って、変身前の姿を隠すことが多いよね。何がまずいの?」

「何って、マギアベストの力が無い状態の姿とか個人情報を特定されたら、無防備な時を狙って奇襲されるだろ。だから魔法戦士は変身するし、変身中は本名を呼ばねえんだよ」

「そうなんだ……」

「ごっ、ごめんねっ、美鶴ちゃん……きっとあのフォールト人、私たちを狙って来たんだ……。文フリの時と今朝の件、対処したのが同じ魔法戦士団だってバレちゃったのかも」

「ああ、なるほど……いえ、でも、桃果さんたちが謝ることじゃないですよ、全然。というか、助かりました。すぐに攻撃してくださって」


 私は驚いて固まるばかりで、辞書を投げるなんて思い付きもしなかった。


「あ、ううん……それより、あいつの目に触れないところに早く隠れないと。絶対あいつ、強めのデモーノイ持ってきてる……変身するか、応援を待つかしないと、対処できない」

「いや……仮にデモーノイを撃退できたとして、問題はあいつだよ。日本語が分かる上に捜査も得意ってことだろ? 部室を荒らされて個人情報を掴まれるかもしれねー。フォールトに報告される前にアイツも捕獲するか、最悪殺さないと……」

「あっ、それは、大丈夫だよ」


 桃果さんは落ち着いて言った。


「だってあそこで使ってるのペンネームだけだもん……名簿とかも置いてないでしょ?」

「そうだった」

「……適当な運営ですね……」


 私たちは部室から一番遠い位置にある階段の踊り場に辿り着いた。桃果さんと時愛さんは急いでマギアベストを呼び寄せて、チョコレートの欠片を食べた。因みにこの鳥の白い方はミルキー、黒い方はノワールという名前らしい。


「甘美な魔法で飾り付け」

「とろけるほろにがおやつどき」

「ラパリション・デ・ショコラティエ」

「おまえを砕く。ココ・メルト」

「てめえを刻む。ココ・ビター」

「食らいやがれ。魔法戦士団ショコラーデン」


 さて、とビターは腰に手を当てる。


「美鶴ちゃんはひとまずトイレにでも隠れててくれ。終わったら連絡する」

「分かった」

「個人情報の件も問題ないから安心してね。ひょっとしたらデータを取られて盗作とかされるかもだけど……そんなことしても敵には何の得も無いし……」

「ゲエッ!?」


 メルトの発言に私は思わず変な声を上げていた。


「駄目ですよそんなの! 一生懸命書いたものを盗られるなんて!」

「死ぬよかマシだろ」

「死んだ方がマシだよ!」

「マジか」

「ああっ、私の即興小説、パソコンに入ったまま! まだバックアップ取ってないのに!」


 私は頭を掻きむしった。


「おのれ、一度ならず二度までも、私の創作活動を妨げるとは……フォールト帝国、許しがたし……!」

「めちゃ怒るじゃん」

「盗作はされないと思うよ」

「いえ、そういう問題じゃないんです! これ以上邪魔立てされるのは絶対に嫌! 私の大切な、数少ない自由なんだから! 私が小説にどれだけ心血と魂を注ぎ込んでると思っているの……!?」


 私が拳を膝に打ち付けて怒り狂っていると、茶色い鳥型のマギアベストがスイーッと下の階から飛んできて、私の腕に留まった。


「あっ、ドルチェ」

「いただきますッ」


 私はドルチェの頭に乗っていたチョコレートを躊躇なく奪い取り、ほとんど噛まずに飲み込んだ。


「あっ」


 魔法戦士二人の声が揃った。


「美味しいお菓子をお一つあげる──ラパリション・デ・ショコラティエ」


 その呪文は、まるで最初から知っていたみたいに、口からするりと流れ出た。私の体を光の壁が包み込む。


 髪の毛がぐんと伸びて、紫色に変色。くるんくるんにカールした、やたらと長いサイドテールになる。制服は、レースがたっぷりあしらわれた薄紫のブラウスとスカートに形を変える。胸元のリボンと腰のベルトはチョコレートみたいな茶色。長いブーツも茶色で、タイツと手袋は鮮やかな紫色だ。眼鏡は普段よりしっかりと顔に張り付いている感覚である。これならば途中で落っことして視力を失う心配も無い。


 すっかり変身を終えた私は、これまたすらすらと己のコードネームを発表し、呪文を終えた。


「あなたを壊す。ココ・ブレイク。食らいやがれ、魔法戦士団ショコラーデン」


 そうして私は理解した。私が魔法戦士団ショコラーデンの一員として、何を成すべきかを。それから、私が一体何をよすがに魔法を操ればいいのかを。


 ──私には譲れないものがある。他人からしたら些細なことでも、私にとっては命懸けでも守りたいものなのだ。


 私は戦う──静かな創作活動のための環境を守るために。そのために私は、フォールト帝国の野望を、完膚なきまでに叩きのめしてみせる。

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