魔法戦士団ショコラーデン
白里りこ
第1話 文フリ
下がっていろと言われて、尻もちをついたまま固まっていた私は、本物の魔法戦士の変身というものを、初めて間近で見た。
「甘美な魔法で飾り付け」
「とろけるほろにがおやつどき」
「ラパリション・デ・ショコラティエ」
呪文を唱えた二人は、謎の光に包まれてその容姿と服装を変貌させ、武器を構えて敵機と対峙した──。
♡♡♡
ちょっとこういうのは予想していなかった。
ドンと積まれた本の山の前で、私はパイプ椅子に座り、握った拳を膝の上に置いていた。
『文学フリマ』──文字を媒体とした本を作れば誰でも参加できる即売会、その東京会場。だだっ広い会場にズラリと並んだ机の列。その通路を挟んで向かいの机で、同級生がブースを開いている。
当該ブースでは「チョコット書店」を名乗っているが、明らかに
私は二人と違って、小説を書いていることを誰にも言っていないから、正体がバレると非常に気まずい。こちらに気付かないと良いのだけれど……と思いながら、私は自分のブースの前にできている列をさばき始めた。お客さんに挨拶したりサインを書いたりお金を管理したり。何やかんや忙しくなってきたから、ウッカリしていた。
「次の方どうぞ」
「うーい」
気怠い声が降って来た。
「なあ、佐藤ちゃんだよね。1年2組の」
私は飛び上がった。目の前にはゆるっとした薄青のパーカー姿の鈴木さんが立っていた。
「わ、いつの間に」
「やっぱり。村雨さんが同級生だなんて思わんかったなー。しかもいかにも優等生ってカンジの……」
「待って、私を知ってるの?」
私は
「うん。ネットでよく読んでるからね」
鈴木さんはこともなげに真顔で頷く。
「これ二冊下さい。サインも」
「あ、ありがとう」
「サンキュ。さっき高橋先輩も会いたがってたから、入れ替わりで来るかも」
髪が長い方は高橋と言うのか。というか先輩だったのか。
「あ、私、ここでは
どちらも見覚えのあるペンネームだ。二人とも、私の書いた小説によく感想をくれる。その二人が出す本なら、お礼も兼ねて買ってみても良いかもしれない。
「うん」
「あっそうだ、握手って頼める?」
「どうぞ」
「っしゃあ〜」
鈴木さん──否、時愛さんは、私が延べた手を軽く握って上下に振った。ぱっと手を離したかと思うと、何やら嬉しそうに少し口角を上げた。
「マジラッキー。文フリ出て良かった。てか美鶴ちゃんって……」
突如として会場を震撼させた轟音により、時愛さんの言葉は遮られた。私はパイプ椅子から転がり落ちそうになったが何とか耐え、自分の本の山を守るために机に覆い被さった。砂埃が多くて周りがよく見えない。急いで眼鏡を拭って掛け直す。
文フリ会場のすぐ近くの天井が、何者かに踏み抜かれているようだ。何か、ライムグリーンの獣の脚みたいなもの? その脚が何度も天井を踏み抜いて破壊していく。
会場は騒然となっていた。あちこちで悲鳴が上がり、逃げようとする人々が右往左往している。
「デモーノイだ」
私は呟いた。
異世界からの侵略者が使役する人工魔獣をそう呼ぶ。
その脅威を目の当たりにしたのは、私はこれが初めてだった。まさかこんな時にこんなところに現れるなんて。
これじゃあ彼らを倒してくれる魔法戦士団が到着する前に、私は踏み潰されて死ぬ。この本たちと一緒に。
「ひええ」
目の前の天井が踏み抜かれ、デモーノイが穴を通ってこちらへ落ちてきた。ドスンという衝撃で、私はあえなく椅子から転がり落ちた。
そのデモーノイは、全身が緑色で毛並みはフワフワしていて、贔屓目に見るとコアラのような姿だが、体長はゆうに五メートルは超えている。ツメは大きくて鋭く、頭には二本のツノがうねるように生えていた。額には濃い緑色のハートマークがある。あのツノとハートが、デモーノイに共通する特徴である。
ああ、たぶん私だけ逃げ遅れた……というか、咄嗟に本にしがみついてしまって自分の身の安全のことを忘れていた。その本も手放してしまったし……。
やられちゃうよ、これは。死んじゃう。あーあ、もっと書きたいものがいっぱいあったのに、残念──。
私が観念してボンヤリとデモーノイを見上げていると、一羽の黒い鳥が、謎の光を纏いながら、すぐそこを横切った。その鳩くらいの大きさの鳥が残した煌めきに触れたデモーノイは、弾かれたようにその前脚を引っ込めた。
「ん……?」
鳥は、私を庇うように立っている時愛さんの腕に留まった。
「無事か、美鶴ちゃん。ちょっと下がってな」
「えっと?」
私が固まっていると、高橋先輩──桃果さんがこちらに駆け寄ってきた。彼女も腕に白い鳥を留まらせている。
「時愛ちゃん」
「分かってるって。行くぞ」
二人は、鳥たちが何故かかぶっていた小さな王冠をつまんで外すと、鳥の頭にこれまた何故か載っていたチョコレートの欠片を口に含んだ。
「甘美な魔法で飾り付け」
桃果さんが何か言った。
「とろけるほろにがおやつどき」
時愛さんも何か言った。
「ラパリション・デ・ショコラティエ」
二人が声を揃えて唱えると、鳥たちが飛翔してクルクルと旋回し、大きな光の壁が私ごと二人を包み込んだ。その光の中で、二人は大きく姿を変えていった。
桃果さんの癖のある黒髪があっという間に綺麗な桃色のグラデーションになり、ひとりでに二本のおさげの形に結われて、白いリボンまで出現した。長めだった前髪は綺麗な編み込みに変化。目の色まで綺麗な桃色に。灰色のゆったりとしたシャツとジーンズだった服も、瞬きの間に、フリルとリボンが沢山ついたピンクのワンピースに変貌し、腰には白いベルトが巻かれた。スニーカーもいつの間にかピンクのブーツに変わっている。
時愛さんの方は、くすんだ金髪が鮮やかな黄金色に染まり、何倍にも伸びて、彼女の高い背丈にも及ぶような長さのポニーテールになり、黒い大きなリボンで飾られた。鋭い目つきの瞳は煌めく金色に。着ていたパーカーは薄黄色のブラウスに、ズボンはふわっと膨らんだショートパンツに変わって、黒いベルトが出現する。加えて、山吹色のタイツと長手袋、黄色のローファー。そして最後に黒いマント。
二人の衣装替えが終わると、鳥たちは姿を消し、光も消滅。今や私の前には、二人の魔法戦士が立っていた。
「おまえを砕く。ココ・メルト」
桃果さんだった方が、細い声で、それでも堂々と敵を見据えて名乗る。
「てめえを刻む。ココ・ビター」
時愛さんだった方はドスの効いた声でそう宣言する。
「食らいやがれ。魔法戦士団ショコラーデン」
二人で唱え終わると、ココ・ビターの右手には鉄色のナイフが一本現れる。
ビターはそれを構えると、信じがたい跳躍力で宙に踊り上がり、デモーノイの顔面めがけて果敢に襲いかかった。
「はわー……二人とも魔法戦士だったんだ」
いやはや、すっかり驚いた。魔法戦士が変身──要は武装する過程も、私は初めて見た。
「チョコラーダ・マギオ;
ココ・ビターはそう叫んでナイフでデモーノイを切り付ける。しかしそれをデモーノイのツメが防ぐ。クルクルと空中回転してデモーノイの追撃を逃れたビターは、壁を足場に再び突進。凄まじい勢いで空中戦が展開される。黒いマントがひらりひらりと敵の目を撹乱する。
私はどうしようもないので、ココ・メルトの後ろでおとなしく戦いの様子を見ていた。
そのメルトはというと、片膝をついて座り、重たそうな純白の細長い筒を肩に担いだ。
「よいしょ……っと」
彼女はワンピースの下にちゃんと白いタイツとドロワーズを穿いているのでどんな姿勢をとっても安心──という問題ではなく。
「それは何ですか……?」
私が恐る恐る尋ねると、メルトは振り返って微笑んだ。
「これはね、マジカルバズーカ」
なるほど、安直ゆえに分かりやすいネーミングだ。
しかし、ビターが猛然と攻撃を繰り広げている後ろで、メルトは座ったまま動かない。
「あの、それ、重いんですか? 魔法で軽くなったりしないんですか?」
「しないの。私の魔法はみんな、バズーカの充填のために使うから。身体能力に特化しているビターとは、真逆だね」
「へえ」
「充填には少し時間かかるから、……あ、でも、もう良さそう」
メルトは引き金に指をかけた。
「チョコラーダ・マギオ;
呪文と共にバズーカが火を吹いた。メルトの髪も服も反動で後ろへなびく。発射されたのは燦然と輝く巨大な光の弾。直径が銃口より明らかに大きいように見えるが、魔法なのでその辺は気にしないこととする。
光は見事デモーノイの顔面に命中。衝撃で頭の三分の一くらいが吹っ飛ばされ仰け反ったデモーノイに、ビターのナイフが容赦なく襲いかかる。
「貰った! トドメだ!」
ビターはデモーノイの内部にあった輝く石のようなものをナイフであっさりと叩き割る。
「モワワワア」
デモーノイは低く断末魔の唸りを上げると、パッと全身が光の粉になり、空中に散った。
ビターはメルトのそばに降り立つ。二人は立って、キラキラとしたデモーノイの残滓を眺めていた。
「あの」
私は立ち上がり、二人の後ろ姿に声をかけた。振り返った二人に私は頭を下げた。
「おかげで助かりました。ありがとうございます」
「あっ、そのっ、全然、気にしないで」
「どーいたしましてー。美鶴ちゃんに怪我が無くて良かったぜ」
そう言う二人の元にまた鳥が現れた。白と黒の鳥が二人の周りをぐるりと回ると、変身が解けて、二人は元の格好に戻った。
魔法戦士はこのような人工魔獣──マギアベストと呼ばれる物の力を借りて魔法を使う。これらは異世界から提供されたものである。一人につき一体、のはずなのだが。
「あれ? マギアベストがもう一体いる」
もう一羽、茶色の鳥がうろちょろ飛んでいる。
「あーこれね」
時愛さんは茶色い鳥のために左腕を差し出した。
「まだ戦士が見つかってないんよ。本来は三人で一つのチームの予定だったっぽいんだけど、今はまだ募集中」
「へえ」
「そーだ! 美鶴ちゃん、よかったら魔法戦士になってくんね?」
いやに気軽に誘われて、私は瞬きをした。
「えーっと」
「時愛ちゃん、そういうのは……駄目だってば……」
桃果さんが遠慮がちにたしなめる。
「ボランティアで命を張れだなんて、軽率にお願いしていいことじゃないよ……」
「いえ、いいですよ」
私は答えた。河永さんはきょとんとしてこちらを見た。
「いいの?」
「だって二人とも私の大切な読者さんだから。あと、小説のネタになるから、珍しいことは積極的にやってみたいし。だから、むしろウェルカムです」
二人は目を見合わせた。
「……そういうことなら、試してみてもいい……のかな?」
「やってみよ。ほれ、ドルチェ。美鶴ちゃんとこ行ってきな」
しかしドルチェは留まったまま動こうとせず、私にお尻を向けた。
「……そっぽ向いたぞ」
「ドルチェ、どうしたの」
「何だ、美鶴ちゃんじゃ駄目か? 贅沢な奴め」
「うーん……」
私は恥ずかしくなって俯いた。
「ごめんなさい……」
しかし二人は少しも気にした様子がない。
「謝る必要なんて全然ないよ……気持ちだけでも充分嬉しい」
「でも」
「いーからいーから。んなことより、美鶴ちゃんが好きなことして楽しく暮らしてくれる方が百万倍大事」
私は上目遣いに二人を見て、もう一度頭を下げた。
「とにかく、ありがとうございました。……本当に」
♡♡♡
魔法戦士は正体を他人に知られることを避ける傾向がある。私たちは連れ立ってそそくさと会場を後にした。三人とも、無事だった本たちを詰めた段ボールを抱えている。
「そーいや、美鶴ちゃんって何で文芸部入らなかったん?」
時愛さんが尋ねたので、私は困ったように笑った。
「……部活動なんかやらずに勉強しろって、親がうるさくて。塾の無い日はいつも自習してるふりで小説を書いてるけど、もしバレたら大目玉だよ」
「へー……。意外と抜けてるとこあんじゃん、優等生」
「うん? どういうこと?」
私が意味を測りかねて聞くと、時愛さんはこともなげに言った。
「学校の自習室で勉強してるって言っとけば、いくらでも部室で自由時間手に入るけど?」
「……」
「しかも、カネのかかる文フリ出店にも、学校からの支援金を使えるけど?」
「……」
なるほど。
それは、盲点だった。
「是非ともよろしくお願いします」
かくして私は、魔法戦士団ショコラーデンではなく、千代沢高校文芸部に入ることになった。
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