対峙


 逸る気持ちを抑えて、私はスマートフォンで〈聖撃の使徒の会〉へアクセス。指紋とパスワードの二段階認証を経て本人確認を終えると、急いでデータベースの〈エクソシズム一覧〉へと飛ぶ。


 私はすぐさま、検索を始める。年代は一九八七年。場所は――、


 そうだ。まだ場所は候補すら調べていなかった。


 柚葉さんは夢で、カラフルな街並が見えたといっていた。その夢は、〝悪魔が祓われ、自我を取り戻した直後の誰かのもの〟であるという見解は今も変わらない。つまり、カラフルな街並が特定できれば、以前あの悪魔を祓った神父へ必ず辿り着く。


 そして神父が分かれば、祓った悪魔の名前も知ることができる。


「おい、何してる? 早く行かないのか? こんなところでスマホいじっている場合かっ?」


 苛立ちを露わにする琉翔さん。反論する余地もない。唯一、悪魔と対等に戦える私がここで立ち止まっているわけにはいかない。


「そうですね、仰る通りです。急いで春夏冬邸の中に向かいます」


「そうだな、行くぞ」


 喉元を動かす琉翔さんが、大きな石を拾って握りしめる。

 刹那、春夏冬邸の中から聞こえてくる大きな音。嫌な予感がした。


「但し、私一人です。琉翔さんとあなたは絶対に中には入らないでください」


 それを聞いて琉翔さんが気色ばむ。


「おい、中には俺の家族がいるんだぞ。今の音だって聞いたろ。自分の家族が危機にさらされているってのに、手をこまねいているわけにはいかないんだよっ」


「悪魔をライオンや熊に置き換えてください。武器も持たない生身の人間が彼らの餌場でできることは、その餌になることだけです。藪をつついて蛇になるようなことは許しません。私の言うことに従ってください」


 私の巌とした態度が効いたのか、琉翔さんが反論の言葉を飲み込む。一方、内藤さんの息子は微塵も私に同行するつもりなどなかったのか、おおげさに首を縦に振ってみせた。


「……分かった。くそっ、家族のために何もできないとはな。こんなもどかしいことがあるかよ」


「いえ。琉翔さんにはやってほしいことがあります」


「やってほしいこと?」


「ええ。それは――」



 ◇



「神よ。主よ。我が名はアルヴェーン莉愛。聖人ビルギッタの恩恵を受ける者。私に悪魔からの暴虐に耐えうる力を与えたまえ。どうかその力強い加護で私を守りたまえ。アーメン」


 私は玄関の扉を開ける。

 不気味なほどに、しんと静まり返った春夏冬邸。

 大気の澱みを感じる。汚泥を裸足で歩くかのような不快さもあって、一歩進むごとに陰鬱な気持ちが増す。悪魔が発する瘴気のせいだ。悪魔を祓える能力の代償として受け入れているものの、もう少し鈍感になれはしないかと私は本気で思った。


 ホールを抜け、リビングを見遣る。その光景に驚く。バラバラになった西洋甲冑がそこかしこに転がっているのだ。何があったのだろうか。いいほうに考えるなら、再び動き出した西洋甲冑を烏丸さんが倒したということになるけれど――


 ガチャリ、と音がして、私を息を飲む。咄嗟に振り向くと、輝彦さんが自室である洋室のドアのすき間から顔を覗かせていた。その表情に乗っていた緊張感が和らいでいくのが見て取れる。


「良かった。アルヴェーンさんでしたか」


 良かったのはこちらのセリフでもある。

 やや顔色が優れないようだけど、輝彦さんは無事のようだ。


「輝彦さん、ほかの人達は上ですか」


「ええ。和奏と柚葉がいるはずです。それにさきほど、烏丸さんが娘達の元へ向かいました」


「そうですか。輝彦さんはそのまま自室にいてください。念のために鍵も掛けてください」


「分かりました」輝彦さんの顔に苦渋の色が浮かぶ。「……それにしても情けない。娘が危険な状態にあるというのに、私は何の役にも立てない。父親失格の誹りを受けても仕方がない。本当に、情けないッ」


 純粋に家族を想う気持ちが伝わってくる。琉翔さんも同じだった。この家族は難局を乗り越えたさきで、必ずうまくやっていけるだろう。


「神は存在します。だから祈っていてください。たとえ信徒でなくとも、祈りは万人に与えられた神と通じる手段ですから」


 私は階段を上り、二階へ。すぐそばの柚葉さんの部屋の扉が僅かに開いている。隙間から中を覗き、ゆっくりと扉を開く。誰もいない。ベッドには、繋ぐ相手を失った拘束具が放置されている。私は床に敷かれたラグカーペットを一瞥したのち、部屋を出た。


 柚葉さんの部屋を出ると、両脇にいくつかの部屋の扉を備え付けた一直線の廊下が見える。扉のほとんどが開いていて、今にも誰かが出てきそうだ。廊下にはいくつかの額縁が落ちている。壁に掛けてあったものが落ちたようだ。

 

 廊下を進み、左の――場所的に一階リビングの真上の部屋を私は確認する。持て余しているのか、広さの割にはほとんど物がなく、がらんどうとした空間にダークブラウンのフローリングが敷き詰められている。奥にはひと際大きなボウウインドウ。そのガラスの一枚が割れていて、レースのカーテンが風に揺れていた。


 何かが落ちたのだろうか。真っ先に思い浮かぶのは人だ。だとしたら誰が? 窓から下を覗こうとしたそのとき、奥の部屋から物音がした。私の意識がそちらに持っていかれる。


 慎重に廊下を歩き、奥の部屋に辿り着く。驚愕の光景に私は思わず「えっ」と声を漏らした。部屋中の家具という家具が、部屋の中央に乱雑に積まれていたのだ。

 中からくぐもった声が聞こえる。最悪の予感が的中した。


「誰っ? そこにいるのは誰なのっ? 今、助けるから待っててっ」


 手前にある観葉植物に手をかけたところで、一番上にある机が動きだす。刹那、「があああああっ」という声と共に積み上げられた物が崩れた。中から烏丸さんが現れる。手には和奏さんを抱えていた。


「烏丸さん、大丈夫ですかっ?」


「俺を誰だと思っている。アメフトやってたときは〝鋼の廉二郎〟と呼ばれた男だぞ。体中いてぇが、明日には――おい待て、悪魔はどこにいったっ?」


 そうだ。柚葉さんが見当たらない。ここにいないということは、まだ確認していない部屋にいるのだろうか。確か、北側にもう一つ部屋があったはずだけど――、


 違う。そうじゃない。


「う、上にっ!」


 和奏さんが悲鳴のような声を上げる。頭上を仰ぐ私と烏丸さん。

 柚葉さんが四つん這いの状態で天井に張り付いている。手足に吸盤が付いているわけではない。悪魔だからこそ可能な重力の操作。気づけたはずなのに、烏丸さんと和奏さんの無事に安堵して注意が散漫になっていた。


 垂れた長い髪の向こうで宿魔眼が怪しく光り、悪魔が私と烏丸さんの間に落下する。

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