リアルなオカルト


「うおりゃあああああっ」


 烏丸は奪い取った剣で西洋甲冑を斬りつける。西洋甲冑の頭が吹き飛び、足と胴体だけとなった。両腕はすでに斬り離してある。もはや攻撃の手段を失ったも同然だが、烏丸のようにドロップキックを繰り出してこないともかぎらない。


 烏丸は西洋甲冑の右足を剣で斬り飛ばすと、倒れた西洋甲冑の胴体と左足を折り曲げて暖炉の中に強引に押し込んだ。


「よし」


 烏丸は二階へと向かう。その途中の階段の踊り場に輝彦がいた。

 頭から血が流れている。近くには絵の入った額縁。これが頭に当たったのだろうか。だとしたら悪魔のせいだろう。悪魔にとって物体の遠隔操作など造作もない。


「輝彦さんっ。大丈夫ですか?」


 声をかけると、輝彦は薄目を開けて烏丸を見る。


「あ、ああ、烏丸、さんでしたか。面目ない。……あ、悪魔から柚葉を救おうとしたらこの様です。ぐ、ううぅ」


 頭を押さえて苦悶の表情の輝彦。根津、輝彦と立て続けに負傷者が二人。どちらも重傷ではないのが不幸中の幸いだ。和奏は大丈夫だろうか。


「輝彦さん、和奏さんはどこにいるか知ってますか?」


「わ、和奏は、私が見たときは柚葉と一緒に、いました。そのあと私は悪魔の攻撃で気を失ってしまい……すいません」


 和奏は外にも一階にもいなかった。やはり二階なのだろう。

 

 ポン、ポロロン――。


 そのとき音が聞こえた。おそらくピアノの音。


「今のは和奏の部屋からだと思います。ピアノが置いてありますから」


 輝彦がピアノの音の発信源を教えてくれる。しかしこの状況でピアノとはどういうことだろうか。烏丸は輝彦に「すぐに自分の部屋に避難してください」と言い残すと、階段を駆け上がった。

 

 ピアノの音は依然、聞こえてくる。

 ピアノに詳しくない烏丸にはなんの曲だかは不明だ。ただ、心現れる美しい旋律には程遠く、音が外れて妙にたどたどしい曲調だということだけは分かった。


  廊下を進み、一番奥の洋室の前に立つ。烏丸達がお世話になった一階の洋室の丁度、真上の部屋。そこからピアノの音は聞こえている。烏丸は扉を開けた。


 視界に入った状況が甚だ滑稽に映る。部屋に入って右奥、ボウウインドウのすぐ脇にある白い電子ピアノ。その電子ピアノの前の椅子に座って弾いている和奏と、彼女の横に立っている柚葉。柚葉はピアノのメロディにリラックスしているかのように、頭をゆっくりと左右に動かしていた。


 烏丸が呆然としていると、決して上手とはいえないピアノの音が止む。


「も、もう、いいでしょ、柚葉。全然うまく弾けないし、こんなの聴いてたってあなただって嬉しくないでしょ」


「ううん、そんなことないよ。私、お姉ちゃんが弾くショパン大好きだから、もっとお願い」


「ごめん、やっぱり今はそんな気分じゃないの。私、弾けない」


「大丈夫だよ、お姉ちゃん。緊張しないでゆっくりでいいから」


「だから、弾けないって言ってるのっ。お願い、もう止めてっ」


 懇願する和奏が鍵盤を乱暴に叩く。刹那、部屋の空気がより一層の邪悪さを伴って膨張した。顔に凡そ人間とは思えな醜悪さを貼りつけた柚葉が、姉を睥睨する。


『お前に贖罪の気持ちはないのか。お前のせいでこいつは俺に憑りつかれることになった。近いうちに俺が魂を食らい死ぬことも決まっている。なのにお前は妹のお願いの一つすら叶えることができないのか? こいつはお前のピアノが好きだった。お前のピアノに安らぎを覚えていた。――与えてやれ。餞に。お前の罪はそれで帳消しにしてやる』


 垂れ流される、神経を逆なでするような濁声。

 烏丸は我に返る。まるで姉妹の喧嘩のように見ていたが、柚葉は今、人間の姿をした悪魔なのだ。和奏を解放させなければならない。烏丸はソルトガンをかまえると吠えた。


「おい、悪魔野郎っ。今すぐ和奏さんから離れろ。じゃねぇと、こいつを――」


 ぶっぱなす。という言葉が続かなかった。悪魔の宿魔眼から放たれる底知れない悪意に怯んだのだ。それだけではない。体も金縛りにかかったように動かなくなっている。悪魔は西洋甲冑のような無生物の有形だけではなく、意思のある生物の動きまで制御できることを今になって思い出す。


『邪魔をするな、アルヴェーンの従者。お前に用はない』


「お、俺は莉愛の従者じゃ、ねぇ。き、奇怪忌憚の敏腕編集者、烏丸廉二郎だ。ぐぎぎ……」


悪魔の意識が他所に向いたような気がした。


『アルヴェェン。古き仇敵、愚鈍な神父から逃げ果せたか。早くここに来い。お前は必ず俺が殺す』


「な、何を言って、やがる。莉愛のことを言っているのか。あ、あいつがてめえみてえな三下悪魔に、やられるかよ。ぐおおおおお」


 金縛りを振りほどこうと烏丸は、あらんかぎりの力を込める。悪魔の能力に単なる人間の肉体的な力が及ぶべくもない。だが、烏丸は知っている。それでも諦めず足掻けば、風穴を開けることも不可能ではないことを。


 鉛のように重い足が、それでも一歩一歩と前に進んでいく。


『ほう、動けるのか。ではこれはどうだ』


 和奏の部屋にあるベッドが、テレビが、額縁が、机が、椅子が、観葉植物が、本棚が、ありとあらゆる物体が宙に浮く。烏丸はこのあとのことを想像して思わず笑った。


 いつからだろうか。超常的な出来事を前にして、然して疑問を抱かなくなってしまったのは。麻痺した好奇心と探究心では身近なオカルトにさえ気づくことができない。オカルト雑誌の編集者としては良くない傾向だろう。


 だが烏丸は違う。悪魔が現実に存在することを知っているからだ。つまりこの世では悪魔と同等、あるいはそれ以上に奇怪な事象が生起していてもおかしくないという確信。こんなにも嬉しいことはない。相乗効果で創作も捗るというものだ。


「いいねぇ。はやくやれよ。リアルなオカルトを俺にぶつけてこいっ」


 悪魔が首を傾げる。

 まるで珍妙なものでも見るかのように。

 来る――と察した烏丸は防御態勢をとっていた全身に、より一層の力を籠める。


「やめてっ」


 和奏が悪魔にしがみつく。

 宙に上がっていた物体の全てが重力に従って落下する。烏丸の体の尋常でない重さも消え去った。悪魔の念動力サイコキネシスの能力が途切れたようだ。


 烏丸は咄嗟に動く。ソルトガンを柚葉の体に向けて発射。狼狽えを見せる悪魔。次に和奏の元へ走り手を握ると、反転して廊下へ。だが足がもつれたのか、和奏が倒れる。振り返ると落下したはずの物体の数々が、再び無重力の中で攻撃の時を待っていた。


 烏丸は和奏の上に覆いかぶさる。

 次の瞬間、大気が激しく揺れた。

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