傀儡


 サントラム神父が梯子をのぼってくる。

 私を亡き者にしようしているのだろう。もちろん、彼の意思は介在していなくて悪魔に傀儡のように操られて。


 己の使命を全うすることも叶わず悪魔に殺され、弔ってもらうこともできないまま挙句の果てには悪魔に利用される――。


 憐憫の情を禁じ得ない。あまりにも不憫すぎる。死者としての尊厳を踏みにじられ、悪魔の側に組み伏されてしまうなんて、神に仕えるものとしてこんな屈辱的なことはないだろう。帰天した魂とは別に、抜け殻となった器だけであると願わずにはいられない。


『アァァァメン、アァァァァメン、アルヴェェェン、アァァァァメン』


 サントラム神父の手が私の足に伸びる。私はその手から逃れるように足を一段上に上げる。だけどその行為に意味はない。すぐにまた手が迫ってきた。


「サントラム神父、ごめんなさいっ」


 私はゾンビと化した神父の顔を右足で思い切り踏みつける。何度か繰り返すと、サントラム神父が地面へと落下する。しかし全くダメージを負っていないのか、緩慢な動きで立ち上がると再び、梯子をのぼってきた。


『アルヴェェェン、アルヴェェェン、アルヴェェェェンッ』


 怒りの感情でも湧いたかのように、サントラム神父の顔が凶悪に歪む。開いた口から見える、でたらめに生えた黒ずんだ歯牙。ゾンビのような外面からして、その歯が凶器。噛みつかれでもしたら大けがを負うことになるだろう。


 何度のぼってきても蹴り落とせばいいけれど、足を掴まれる可能性だって十分にある。その足を噛まれ、体力を失い、梯子から落下。満足に動けない状況で首に噛みつかれ――。ぞっとするほかない。


 私は扉を叩く。


「誰かっ。誰かそこにいませんかっ? お願い、ここを開けてっ!」


 駄目だ。やはり声が外まで届いている感触がない。スマートフォンのアンテナマークも圏外のまま。どこに動かしても変わらない。さきのアンテナマークは錯覚だったのだろうか。


『アルヴェェェン、アルヴェェェン、アァァァァメン、アルヴェェェェンッ』


 神父の手が伸びてくる。それを避けて顔を踏みつける。一度、二度、三度――四度目が顔から逸れて、その勢いで体勢が崩れた。


 蹴りつけていた右足を掴まれる。振り払おうとするけれど、強い力で拘束されていてうまくいかない。噛まれる恐怖が迫り上がってくるけれど、サントラム神父は予想外の行動に出た。そのまま上にのぼってきたのだ。足などどうでもいい、俺が食らうのはお前の頭だと言わんばかりに。


 まずい。のぼってくる前に落とさないとっ。

 

 だけど左足を使えば、梯子にぶら下がる形になってしまう。では手か。

 いや、どちらかの手で殴ったところで足程の威力は望めない。その手だってサントラム神父に掴まれたら万事休す。だからといってほかに方法は――。


 ある。

 あったというべきか。

 今この状況では実行に移す時間さえない。


 こうなったら。


 私は梯子を正面にして立つ。

 サントラム神父の左手が私の服を掴む。次に右手が右肩に置かれた。そして腐りかけのような左手が、頭のすぐ横の梯子を握りしめた。悪魔に使役された神父の『アルヴェエェェェン』という悍ましい声が、私の耳に怖気と殺意を流し込む。


 今だっ。


 私は両手で後頭部を支えると、そのまま後ろに倒れた。

 落下する私とサントラム神父。


「ぐっ」


 地面に落ちた。でもサントラム神父がクッションとなり、狙い通り私へのダメージは少なくて済んだ。下手をすれば地面に直撃だったけど、大柄なサントラム神父のおかげで助かった。私は立ち上がり、その場を離れようとする。が、仰向けになったままの悪魔の僕の右手が私の左足を捕縛した。


 大丈夫。慌てるな、慌てるな。


 私はそう言い聞かせながら、ウエストポーチから聖水を取り出す。

 

「悪魔よ。待ってなさい。私が必ずお前を祓ってやる」


 フタを開けた聖水をサントラム神父にぶちまける。


「ア、ア、ア、アァァァァァァァメンッ、グオォォォォォ……ッ」


 悪魔に与えられた偽りの肉体が白煙を昇らせながら消失していく。全ての闇が祓われると、元の骨と衣服だけのサントラム神父となった。私は再び胸元で十字を切ると、意識を脱出へと切り替えた。


 外部への連絡を諦めたわけではない。僅かでも出たアンテナマークを信じて、ひたすら試すしかない。私は梯子をのぼる。そのとき、上で物音がした。


 扉の上に誰かいる。私は急いで上まで行くと、救いを求めて声を上げた。


「そこに誰かいるのっ!? ここに閉じ込められているのっ。お願い、早く開けてっ」


 内藤さんの可能性もあった。呼びかけが外に届いてるとも思えなかった。それでも声を張り上げずにはいられなかった。

 しばらくすると扉が僅かに動いた。間違いない。外にいる誰かが扉を開けようとしているのだ。私も内側から必死に扉を押し上げる。


「……ルヴェーン……さんっ。……う少しだ。……まあけるっ」


 声が聞こえた。扉の上の土がなくなったからだ。すると扉が少しづつ開きだし、その隙間から誰かがこちらを覗く。琉翔さんだ。


 完全に開いた扉から、私は琉翔さんの手を借りながら脱出する。

 窮屈な地下空間の陰湿さから解放され、私は思い切り深呼吸をした。雨と湿った土の匂いに、こんなにも生を感じたことはない。


「アルヴェーンさん、良かった、無事かっ?」

 

 琉翔さんが体調を気遣うように聞いてくる。


「ええ。助かりました。本当にありがとうございます」


「まさか閉じ込められているとはな。しかし、なんだってこんなことに……」


 私はこうなった経緯を手短に琉翔さんに話す。意外にも琉翔さんは然して驚く素振りを見せなかった。聞けば、内藤さんが今回の悪魔騒動の発端を作った人間だと知っていたようだ。


「それを教えてくれたのがあいつ、内藤さんの息子だ」と琉翔さんが親指を向ける方向には野球帽をかぶった男の人。烏丸さんが追いかけていったはずだけど、彼は野球帽の男がここにいることを知っているのだろうか。それにしても内藤さんの息子だったとは。彼は軽く会釈するとバツが悪そうに目を逸らした。


「そうだ。内藤さんが柚葉さんの拘束を解いたと言っていました。今、柚葉さんは?」


 それが――と、私は琉翔さんから事の詳細を聞く。


 柚葉さんの精神と肉体を乗っ取り、春夏冬邸内でのさばっている悪魔。そして和奏さんと輝彦さんの安否を確認するためにその春夏冬邸に入った烏丸さん。このことから、悪魔と烏丸さんが対峙する可能性はほぼ確定している。


 烏丸さんは色々な局面で非常に頼もしい相棒だ。特に肉体的な力には非常に秀でており、今回の西洋甲冑の件といい、何度助けてもらったことか。但し、悪魔そのものに対しては無力に近い。あまりにも分が悪すぎる。


 私も早く向かわなくては。

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