神父


 この空間を輝彦さんは知っているのだろうか。自分の敷地であり十何年も住んでいるのだから、既知で当然のように思える。となると、琉翔さんと和奏さんも知っているのが自然か。いや、輝彦さんだけが知っていて、この場所は子供には教えていないかもしれない。となると、家族ではない根津さんと内藤さんが存知である可能性は著しく低い。


 私は何を考えているのだろうか。この場所を知っていると思われる輝彦さんを疑っているのだろうか。だとしたらおかしい。自分の娘に悪魔を憑けて悪魔に憑依されたと騒ぎ立てるなんて、どうしたって説明が付かない。それとも和奏さんのように、穏やかでない心が愚かな行いへと駆り立てたとでもいうのだろうか。


 間違いないのは、この場所で悪魔召喚を行った誰かが柚葉さんに悪魔を憑けたということ。そしておそらく、その人物だけがこの空間を知っている。それは一体、誰なのだろうか。狂信的且つ、悪魔に魅入られた人間は一体――。


 そのとき、スマートフォンのライトが部屋の隅で人のようなものを捉える。私は驚き、息を飲む。大がかりな魔道具に意識が向いていて、気づかなかった。でも向こうが私を見つけられないはずがない。なんのアクションも起こさないのは不自然だ。もう一度、ゆっくりと人のようなものを私は照らす。


 それは人ではなく、〝かつて人であった〟ものだった。

 私は地面に座り壁に背をあずけているそれに近づき、観察する。腐乱期もとうの昔に過ぎたのか、完全に白骨化しているようだ。法医学に明るくないので詳しくは分からないけれど、ここで死んでから相当な時間が過ぎているのは間違いない。五年、十年、あるいはそれ以上か。


 白骨遺体の発見も驚きだけど、私は付随する別の要素に注目した。

 違う。着目せざるを得なかった。

 足元までゆったりとした黒いコートのような服はキャソック。その上には紫色のストール――ストラを首から掛けていた。


 間違いない。この人物は神父。

 カトリック教会に属する聖職者。


 ふと私は思い出す。タクシー運転手との会話を。あの運転手は以前、この春夏冬邸に外人の神父を連れてきたことがあったと口にしていた。その神父がこの骨と化した神父と同一人物の可能性は限りなく高い。


 だけどなぜ、その神父がこの場所で朽ちているのだろうか。

 

 私は想像する。

 依頼か、あるいは噂を聞いたか、春夏冬邸に悪魔祓いをしにやってきた神父。その過程においてこの空間を発見し、悪魔召喚の証拠を突き止める。しかし何らかの理由により出られなくなり、そのまま息絶えた。


 私はしゃがみ、神父が右手を添えている聖書に触れる。こんな状況下においても聖書を手放さないその信仰の強さに敬服しつつ、その聖書の在り方に引っかかりを覚えた。


 聖書は開いた状態で、ページのほうを下にしていた。聖書に限らずこの本の扱いは雑であり、愛着を感じられない。帰天するそのときまで聖書を手放さなかった神父の行動としては、明らかに矛盾している。


「この開いているページに何か意味がある……」

 

 私はそっと聖書を抜き取ると、確認を急いだ。



 ◇



 木の後ろで、もぞりと動く人。はっきりと見える野球帽。

 烏丸の存在にはまだ気づいていないようだ。今にも怒号を上げたい衝動を抑えながら、烏丸は野球帽の男に背後からにじり寄る。


 多少の音は雨が消し去ってくれる。が、空き缶を蹴った音はさすがに相殺してくれはしなかった。


 野球帽の男が振り向き、はっとした表情を浮かべ、遁走する。

 頭に血が上り、限界を超えた。


「待てこらぁっ、逃げてんじゃねえぞッ!」


 傘を投げ捨て、勢いをつけて走る。

 野球帽の男が再び振り向く。恐怖に引き攣ったような顔を見せたあと、何かに躓いたのか、派手に転んだ。尚も匍匐前進のように逃走を諦めない野球帽の男。追いついた烏丸は、男の頭をむんずと掴むとその指に力を込めた。


「お前は何者だ? なぜ俺から逃げる? あ゛あ゛?」


「痛い痛い痛いっ、や、やめてくれえええぇ!」


「逃げないって約束できるなら放してやる」


「逃げない逃げないっ。約束するッ」


「嘘じゃねえよな」


 野球帽の男の頭がみしりと音を立てる。


「嘘じゃないですぅッ」


 烏丸は手を離す。

 野球帽の男は後頭部を抑えながら、烏丸の方に振り返った。

 頬がこけ、顎に無精ひげを生やした不健康そうな男。歳は自分と同じ三十代の後半あたりだろうか。――そんなことはどうでもいい。


「もう一度聞くぞ。お前は何者だ? なぜ俺から逃げた? 答えろ」


 黙ったままの野球帽の男。烏丸はもう一度、頭を掴む。野球帽の男は、ひぃっと叫んで言葉を吐き出した。


「お、俺は元々、この洋館に住んでいた人間だ」


「元々、住んでいた、だと?」


「そうだ。懐かしくなって見にきたら、あんたらがあの家から出てきた。今住んでいる人間となんの繋がりがあるのかと思って。ただそれだけだ」


「輝彦さんが購入したのが十八年前。その前の住人だったわけか、お前は。咄嗟についた嘘じゃねえよな?」

 

 ぶんぶんと勢いよく頭を振る野球帽の男。


「嘘じゃないってっ。証明するものは何も持っていないが、嘘じゃない。信じてくれっ」


「一ミクロンも信用のないお前の言葉を信じられるか、アホ。でもいい。めんどくせえから信じてやる。懐かしくて見にきたってのもスルーする。看過できねぇのはそのあとだ。春夏冬邸からでてきた俺達のことがどうして気になる? 尾行までするほどだ。それ相応の理由があるはずだ。〝ただ、それだけだ〟で済む問題じゃねえ」


「そ、それは……」


 口ごもる野球帽の男。

 烏丸が手を頭に持っていくと、「ゆーってっ」と退けた。


「早く言え」


「言うよっ。それは……悪魔祓いをしにきた人間がどんな人間か知りたくなったからだ」

 

 烏丸は目を剥いた。


「お前、俺たちが悪魔祓いをしにきたと、何で知っている? その件は他言無用になっているはず。どういうことだ?」


「慌てるな。全て話す。逃げたのは迷っていたからだ。でも、もう迷わない。あんたにつかまって吹っ切れた。全てを話し悪魔による死の連鎖を止めるべきだと今は思ってる」

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