祭壇
私は洋室を出る。リビングでは内藤さんが掃除をしていた。西洋甲冑との一幕で荒れた状態となっていたリビングだけど、ほぼ元通りになっていた。
「あら、アルヴェーンさん。紅茶でもお飲みになります?」
こちらに気づいた内藤さん。私はやんわりと断る。
掃除といえば、メルメルはどうしたのだろうか。尋ねると彼女は、根津さんが庭に埋めたと答えた。今頃、薔薇の香りと共に天国に旅立っているのかもしれない。
内藤さんが二階を気にするそぶりを見せる。
「アルヴェーンさん、やっぱり柚葉ちゃんの傍にいてはだめなのでしょうか? あの子が目を覚ましたとき誰もいないのでは心細いと思うんです。祈るにしても、せめてとなりにいてあげたいのですが」
聖檻の効果切れが更に早まる可能性はゼロではない。寧ろ、西洋甲冑の件を考慮すれば、そう思っていたほうがいい。
「ごめんなさい。それは了承しかねます。柚葉さんが目覚めたとき、おそらくそれは悪魔そのものです。危害を加えられる恐れがありますから、絶対に部屋の中には入らないようにお願いします」
しぶしぶといった体で引き下がる内藤さん。
悲しそうな顔をしている彼女に罪悪感を覚えるけれど、悪魔による被害者をこれ以上出すわけにはいかない。
私はリビングを抜けて、玄関で靴を履く。
「アルヴェーンさん、外に行かれるのですか? そういえば先ほど、烏丸さんも出ていきましたけど、どちらへ?」
「烏丸さんとは別件です。少し気になることがありまして」
「はぁ。外はけっこうな雨が降っていますので、そこの傘をお持ちください」
私は傘を手に取り内藤さんに会釈すると、外へ出た。
さきよりも雨脚が強くなっている。天気予報によれば今日は一日中、雨のようだ。纏わりつく憂鬱さを振り払うと、私はあの場所へ向かった。
◇
あの野郎、どこにいった?
烏丸は門扉から少し下ったところで、周囲を見渡す。春夏冬邸の駐車スペースには烏丸のSUVとほか三台の車とバイクが一台。いや、奥のほうにもう一台車がある。白いワンボックスカー。記憶にある数字がナンバープレートのナンバーと合致する。間違いなく野球帽の男の車だ。
逃げるのであれば乗っていけばいい。その時間はあったはずだ。なのにあの野球帽の男は烏丸の姿を認めるや否や、走って逃げた。
烏丸とは会いたくない。だが、この家からは離れたくない。なぜ?
悪魔祓いが大詰めだから――。
憶測とは思えない確信めいたものが烏丸の頭を過った。だとしたらこの春夏冬邸の周囲を丹念に捜索すれば、いずれ見つけることができるはずだ。
「いずれじゃねえ。さっさと見つけて何が目的が吐かせてやる」
烏丸の頭から憤怒の蒸気が上がる。
得体の知れない野郎との鬼ごっこに、貴重な時間を費やされるがゆえだった。
◇
雑草をかき分けるたびにズボンが濡れ、防水加工されていないスニーカーの中に水が入り込む。ふいに蜘蛛の巣のようなものが顔に当たり、慌てて払うと濡れた地面で滑って尻もちを付いた。
最悪。
不快度指数が上がり続ける。春夏冬邸の中に戻りたい衝動に駆られるけど、それはこの場所での調査が終わったあとだ。
――一五分後。夢で視た場所は探し終えた。何があるのかもわからず、それでも重要な何かがあるだろうと信じて。でも目に付くのは最初から最後まで雑草であり、気になるものなど、これっぽっちもなかった。
でも、夢でこの場所に導いた声を私は信じている。あの声、そして光の玉には一切、邪気を感じなかった。それどころか暖かくて優しさを纏っていた。
やはりこの辺にあるはずだ。草しか見えないのは、立った状態で視覚だけに頼っているからだろう。私は泥だらけになる覚悟で膝を付くと、這い這いをするように地面を捜索した。
地面にあるのは石、木の枝がほとんど。まれに虫の死骸があるくらいだ。まさか虫の死骸に何等かの意味が込められているのだろうか。さすがに難解すぎて読み取れない。アプローチを間違えたかと意気消沈しかけたとき、銀色の鉄の破片を見つけた。
いや、破片ではなく土に埋もれている一部が露出しているようだ。そういえばこの近辺には草が生えていない。ほかにも同じような場所はあるけれど、ここまで綺麗さっぱりというわけではない。私は爪の中に土が入るのもかまわず、銀色の鉄の塊をほじくり出す。
鉄の取っ手のようなものがでてきた。取り出そうとするけれど、全く微動だにしない。私は立ち上がり、背筋力計を使用する要領で上に引っ張り上げる。すると取っ手が僅かに上がり、同時に周囲の土も盛り上がった。
脳裏に確信めいたものが過る。
私は何度も何度も取っ手の上げ下げを繰り返す。烏丸さんなら楽な仕事だったろうなと思いながら。すると徐々に取っ手の上昇幅と土の盛り上がりが大きくなってくる。これは間違いない。地面の下に扉が埋まっている。声が私に見つけてほしかったのはこれだったのだ。そして扉の先には――、
「ふう……やっぱり」
私の見降ろす場所には一平方メートル程の穴がある。梯子が備え付けてあり、下に降りられるようだ。
傘も差さずに一心不乱に打ち込んでいたため、体はまるで着衣水泳をやったかのようにずぶ濡れだ。不快感が全身を駆け巡るけど、ここで立ち止まる気は毛頭ない。
私は梯子に足をかけた。扉を開けたままでは雨が入り込んでしまうので、閉めながら降り始める。扉が閉まった途端、真っ暗になり、足元が見えなくなる。滑って落下したら大変だと私はスマートフォンのライトを付ける。防水仕様でよかった。ライトは問題なく使えるようだ。
下までは扉から大体、五メートル程だろうか。水溜まりになっていた地面に足を付けると反対を向き、ライトを周囲に向けた。土の地面と、コンクリートがむき出しとなったアーチ型の壁が先へと続いている。光度が低いせいか、その先に何があるのかここからでは分からない。
澱んだ空気に混じったカビの臭いが鼻を突く。凹凸が目立つ地面、経年劣化が著しいコンクリート。まるで防空壕のようだ。灯りを持って入るのが前提なのか、照明はどこにもない。私は早々にスイッチ探しを放棄すると、恐る恐る足を踏み出した。
すると、すぐに数歩進んだところで光が何かを捉える。警戒心が強く作用する。さきよりも慎重に進み、私はそれを認識できるところまできた。
これは――。
通路の突き当りに長方形の大きな木製の机が置いてあった。私は手前の、同じく木材で作製された足場に上り、机を観察する。木製の足場が気になったけど、あとにする。
幅一四〇、奥行き、高さ共に八〇センチメートルほどの棚付きの木製机。机の天板には直接描かれた
真鍮の壺は、封じ込められているとされる悪魔を〝こちら側〟に呼び寄せるため。ペンタグラムは、召喚時に悪魔の危険を避けるためのものだろう。蝋燭は照明の代わりであり、雰囲気を高める小道具の意味合いもあるのかもしれない。
棚に目を向けると乱雑に置かれた数冊の本。私はその一冊を手に取る。
英語で〈Lemegeton Clavicula Salomonis(レメゲトン)〉と書かれている。またの名を〈ソロモン王の小さな鍵〉。これもグリモワールの一つだ。〈ソロモン王の鍵〉と似ているけれど別物であり、こちらは悪魔召喚に特化している。もちろん原書でも写本でもなく、印刷による複製本。とはいえ、かなり古いものには違いなく、今では入手困難だろう。
よく見るとほかの本も全て、国や出版元が違うだけで全て〈レメゲトン〉のようだ。 真鍮の壺とペンタグラムで予想できたけれど、この空間を作った人間は〈レメゲトン〉に相当なこだわりがあるらしい。全ての本は、経年劣化と読み込んだ形跡から、ちょっとでも雑に扱うとページが抜け落ちそうだ。
木製の机――いや悪魔を召喚する祭壇の前の壁には、土壁に打ち付けられた一メートル四方の白い布。そこには赤い色の、俗に言う魔法の三角形が描かれていた。中心には〇があり、それは悪魔の顕現する場所。
私は続いて木製の足場を照らす。
思った通り、術者が中に入って悪魔を召喚する円――魔法円があった。
直径にして三メートル程の魔法円。それが、魔法の三角形同様に赤い色で描かれていたのだ。
魔法円の中にはペンタグラムや
赤い色の塗料はなんだろうか。血のようにも思えるけど、その可能性は非常に高い。死を連想させる血と、死をもたらす悪魔召喚との相性は当然のごとくいい。本気で悪魔を召喚したいと願うなら、血の扱いに対して微塵の心的抵抗もないだろう。
私は真鍮の壺の中身を覗く。
ハンカチのようなものが入っている。壺を下に向け、何度か降ると落ちてきたそれはやはりハンカチだった。白いハンカチの一部に血が付いている。こちらの赤は血で間違いなさそうだ。
私はピンときた。感染魔術には呪う相手の一部が必要。ハンカチに付いている血は柚葉さんのものに違いない。術者は最も効果が期待できる血を、何かしらの方法で入手したのだ。
――やはり、この場所で悪魔召喚が行われていたようだ。
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