やるべきこと


「――そういうことか。しかし、ここまでしないといけないものなのか」


 琉翔さんが、ベッドで両手を拘束されている柚葉さんに憐憫に満ちた視線を送る。

 

 琉翔さんには輝彦さんから、私と烏丸さんが春夏冬邸を出てから今に至るまでの経緯――和奏さんが柚葉さんに悪魔を憑けたという件以外――を全て話してもらってある。柚葉さんに起きた出来事を、輝彦さんからの電話で知って大体のところは分かっていたはずだけど、この光景にはやはり驚いていた。


 妹の現状は受け入れがたい。でも仕方のないことだと必死で受け入れようとしている板挟みの苦悩も見て取れた。

 

「目を覚ましたとき、さぞかしびっくりされるでしょうね。あの、アルヴェーンさん、その手錠なんですが手首は痛くないのですか? 悪魔がまた出てきて暴れたりしたらと思うと……」


 内藤さんが、拘束具である手錠への懸念を示す。

 彼女も琉翔さん同様の心境のようだ。


「この手錠は憑依者専用となっていて、手首の部分は弾性の強い素材になっています。全てではないですが、手首へのダメージを軽減してくれます。本来は拘束などしたくはないのですが、再び悪魔に心身を掌握される可能性がある以上、せざるを得ません」


 正直なところ、例え拘束していようとも悪魔はその力を行使することができる。さきほどの西洋甲冑のように奴らは、その一部や邪悪な念動力テレキネシスによって物体を遠隔操作、あるいは霊的なものを使役することができる。


 ただ、最終的にやり遂げるべき祓魔ふつまを実行するには、拘束されていることが重要なのは言うまでもない。悪魔に攻撃のカードを持ったまま動き回られては、悪魔祓いの難易度は極めて高くなってしまう。


「柚葉の中の悪魔が表に出てくるのはあとどれくらいと言った? その間、俺達は何をしたらいい。なんでもやるから言ってくれ」


「何かすることありますか? 柚葉のためだったら私もなんでもする」


 私への憎しみを、全て妹への愛へと転換したかのような琉翔さん。皮肉にも柚葉さんに悪魔を憑りつけたことで愛を知った和奏さん。その二人が何かできないかと願い出る。でも答えは一つしかなかった。


「祈っていてください。私の悪魔祓いが成功するように。神への祈りでも結構です。悪魔が存在するように神もまた天に御座おわすのですから――」


 悪魔が聖檻から出てくるまで、早くてあと一時間。

 バチカンからの悪魔祓いの了承はさきほど〈聖撃の使徒の会〉経由で、メールでもらった。あとは悪魔の名前を見つけるのみ。急がなければならない。

  


 ◇

 


「これはあれだな。〈金星の第四ペンタクル〉だ」


 和奏さんが悪魔召喚に使ったとされる魔法円。それを烏丸さんに見せると、然して考えることもなく、そう答えた。


「金星の、第四ペンタクル……」


「ああ。あるいは金星四の惑星護符。黒魔術の一種には違いないが、これは他人を傷つけるためのものじゃない。愛を会得するための呪術であり、〝会いたい異性に来て欲しいと願うため〟のものだ。原書である魔導書〈ソロモン王の鍵〉では、〝金星の霊を強制的に従わせ、術者が望む者を来させることができる〟とあったな」そこで傍と気づいたように、烏丸さんが視線を投げかける。「〈ソロモン王の鍵〉はグリモワールだぞ。お前も詳しいだろ。〈金星のペンタクル〉知らないのか?」


 グリモワールとは、悪魔や霊達を一方的に使役する方法が記述された魔導書だ。

 グリモワールには、〈ソロモン王の鍵〉のほかにも〈ホノリウス教皇の魔導書〉、〈アルマデルの魔導書〉、〈大奥義書グラン・グリモワール〉などがある。悪魔召喚する人間には、バイブルと言って差し支えない書物群だ。


「悪魔関連の記述には詳しいという自負がありますが、それ以外はあまり知らないですね」


 そうか、と頷く烏丸さん。


 それにしても、黒魔術にもそんな愛の呪文のようなものがあっただなんて。これも情弱の範疇なのだろうか。だとすると私は烏丸さんの情弱ぶりを鼻で笑うことができなくなる。

 

 いや、そんなことよりも。


「だとすると、この魔法円で悪魔召喚をすることはできない」


「当然、それは無理だろうな。恋のおまじないで悪魔召喚ができるわけがない。和奏さんがこれを使って悪魔を憑けたってのは、ないと言い切れる」


 やはり儀礼的魔術――悪魔召喚に使う魔法円ではなかった。どこかで違うのではという疑念があったけど、本当に違ったのだ。しかし、そうなると新たな疑問にぶち当たる。


 


 この誰かには依然、和奏さんも含まれる。

 

 誰が。

 どうやって。

 

 この二つの疑問の答えは気になるけれど、今は悪魔の名前を知ることが先決だ。このまま見つからないとなると、悪魔を限界まで弱らせ、神の威光でその口から吐き出させるしかなくなる。


 できないことはない。でも通常の何倍もの時間と労力が掛かる。何よりも柚葉さんへの負担を考えると避けたい選択だった。映画のように耐えきれるものではない。


「ところで、なんでそんなに詳しいんですか? もしかしてこの〈金星の第四ペンタクル〉使ったことあります? 誰か片思いの方に逢うために」


「使うかよ。俺が恋に患うような男に見えるか?」


「見えません」


「……詳しいのは、これも一種のオカルトだからだ。以前特集を組んだことがあるんだよ。この〈金星の第四ペンタクル〉と、〝見せるだけで異性が自分に激しい恋心を燃え上がらせる〟〈金星の第五ペンタクル〉を雑誌の袋とじにしたんだけどよ、効果ありましたっていう読者も多数いたから、あながち眉唾物と断じることはできんだろうな」


「但し、個人差はあります。という感じですか」


「そうだな」烏丸さんは興味を失ったように、絨毯を元に戻す。「それでどうする?

 相棒の俺にまで祈っていてくださいと云うつもりじゃないだろうな。やれることがあるなら――」


 烏丸さんの言葉が途切れる。

 矢庭に立ち上がると、窓に駆け寄った。


「どうしたんですか、烏丸さん」


「あいつだ。俺達を尾行していた奴だ。あの野郎、何者だ? とっつかまえてやるっ」


 見れば、門扉のところに男が立っている。あのときの追尾者と識別できたのは赤い野球帽をかぶっているからだろう。私も一緒に行くべきかと悩んでいると、「お前はここにいろ」と言い残して烏丸さんは洋室から飛び出していった。


「おい。あの大男はどこに行くんだ? 何やら鬼のような形相をしていたが」


 入れ替わるようにして洋室に入ってくる琉翔さん。

 事の経緯を説明すると、琉翔さんは、そんなことがと神妙な面持ちを見せる。


「あの、もしかして私に何か御用ですか。そんな感じで入ってこられたので」


「あ、ああ。その……非礼を詫びようかと思って。俺はあんた――アルヴェーンさんに何度も酷いことを言った。家から追い出しもした。柚葉のことを本気で救おうとしてくれてたにもかかわらず。本当に、すまなかった」


 琉翔さんが頭を垂れる。

 

「頭を上げてください、琉翔さん。私だって柚葉さんの悪魔憑きを虚偽かもしれないって酷いことを言いました。お互い様ですから、もういいですよ」


 エクソシストは難儀な仕事だ。あらゆる常識を否定していった先に真実があるのだから。その過程で依頼者と衝突することはある意味、必然。罵倒は辛く落ち込むこともあるけれど、最終的には理解してくれる。琉翔さんのように。


「ありがとう。さっきの大、ではなく烏丸さんにも伝えておいてくれないか。彼にも俺は、嘘八百をかきなぐったくだらなくてしょうもない記事と侮辱をしたからな」


「ふふ。それは事実ですし、本人も認めているから大丈夫ですよ」


「なら、いいのだが……。ところで、一つ聞いてもいいか」


「はい、なんでしょう?」


 今さら聞くのもどうかと思うのだが……と琉翔さんは前置きして、「悪魔の目的はなんだ? なんで人を傷つけ苦しめる? そういう存在なのだと言われれば、それで終わりなのだが、ふと気になってな」


 実のところ、悪魔の起源は定かではない。

 天使が堕落して悪魔になった説が有力だけど、根拠となっている聖書の二つの聖句、〈イザヤ14章12節~15節〉と〈エゼキエル28章11節~17節〉も文脈から悪魔について語っているとは言い難い。私は信じているけれど。


 ただ、悪魔についてはっきりと分かっていることが二つある。


「悪魔は神と敵対している霊的存在です。それは聖書の〈ヨブ記1章~2章〉で明らかにされています。そして悪魔の究極的な目的ですが、それは人間を神から遠ざけること。あらゆる種類の憎悪を生み出し、人間同士を争わせ、神の教えがいかに無力かを突き付けてくる諸悪の根源。それが悪魔です」 


「憎悪か。確かに俺は悪魔が柚葉を選んだ現実に憎しみを抱いている」


 苦々しげに顔を歪める琉翔さんは、柚葉さんをよろしく頼むと深々と頭を下げると、部屋から出ていった。


 お前はここにいろと烏丸さんは言ったけれど、額面通り受け取るつもりはない。ラファエルによる捕縛の御力は二日に一回しか使えない。悪魔の邪念によって穢れた聖檻の修復に時間が掛かるからだ。よって残された時間は、一度きりの私へのアドヴァンテージ。僅かでも無駄にはできない。

 

 私は行動に移す。

 夢として現れたあの場所。あそこに必ず何かある。

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