相棒
「おらあああぁぁっ!」
誰かの叫び声と同時に、西洋甲冑が私の横に倒れた。兜が取れて転がっていく。
いや、それよりも、
「烏丸さんっ? 来てたんですか?」
烏丸廉二郎、その人が西洋甲冑の上にまたがっていた。彼が西洋甲冑にタックルして倒したようだ。
「ついさっきな。同じタイミングで根津さんと会って敷地に入れてもらったら、何やら家の中が騒がしい。窓から覗けば、こいつが歩いてるじゃねえか。これはやべぇと思って家に入り今に至るわけだ。ほら、大丈夫か?」
烏丸さんが私に手を伸ばす。けどその手が離れていく。西洋甲冑が烏丸さんを乗せたまま立ち上がろうとしていた。
「お、お、お、おおっ!?」
アメフトで鍛えた体重九十キロ超えの屈強な体が、軽々と持ち上がっていく。西洋甲冑からずり落ちる烏丸さんを横目にしつつ、私はその場を離れる。
「アルヴェーンさんっ、私達はどうすればっ?」
輝彦さんが私に指示を乞う。
柚葉さんを二階の自室に連れていき横にさせてください、と伝えて私は西洋甲冑に意識を集中させる。
烏丸さんを振りほどいた頭部のない西洋甲冑が、左手で持つ盾を水平に構える。奇妙な構え。まるで円盤投げのような――まずい。
狙いは私? いや、柚葉さんを介抱している輝彦さん達だ。
「輝彦さんっ、和奏さんっ、伏せてッ」
私の声に二人が振り返ったとき、その隣に立つ根津さんが小銃のようなもので水を放出した。水を浴びた西洋甲冑が不快そうに身をよじり、盾を落とす。
あれはただの水ではない。悪魔が嫌がる聖水――ではなく塩水。そして根津さんが手にしているのは、烏丸さんの武器である〈対悪魔用塩水鉄砲〉、通称ソルトガン。
言わずもがな、塩には魔除けの効果がある。当然、悪魔も〝魔のカテゴリ〟に含まれるものとして、例外ではない。聖水と比べて魔を退ける力は弱いものの、短時間で大量に作成できる点は聖水にはないメリットだ。
確か、塩の原材料は岩塩だったはず。海水塩よりも濃度の高い塩辛さが悪魔によく効くと烏丸さんは言っていた。彼の個人的な見解だけど。
「もらったあぁぁぁっ」
隙を付き、西洋甲冑の背後に回っていた烏丸さんが腰に手を回す。すると海老ぞりをして西洋甲冑の上半身を床に叩きつけた。確かバックドロップという名のプロレス技。まさか動く西洋甲冑に繰り出すとは、本人も思ってもみなかっただろう。
「よぉぉしっ。ざまぁみろってんだこのやろう。根津さん、ナイスアシストです。助かりました」
烏丸さんのサムズアップに「いえ」と頷く根津さん。その表情が僅かだけど、照れたように見えたのは気のせいだろうか。
輝彦さんと和奏さんが柚葉さんを二階に連れていく。
見届けたのち、私は呪われた西洋甲冑をただの西洋甲冑にするための仕上げに入る。リビングに敷かれたペルシャ絨毯をめくる。そこにはペンで描いた〈
体の一部が〈喚水の門〉に触れていれば天使顕現は可能。私は左足で〈喚水の門〉へ触れる。
ガシャンガシャンッと西洋甲冑が動き出し、今にも立ち上がりそうだ。そうはさせんとばかりに、烏丸さんが再びプロレス技を繰り出す。西洋甲冑の上腕部を両足で挟んで固定したのち腕を反らせて背筋の力で一気に伸ばす。この技は
「タップは受け付けねえぞ。莉愛、今の内にや――、んんっ!?」
西洋甲冑が、再び烏丸さんを持ち上げながら立ち上がる。痛みの概念のない西洋甲冑にはどうやら腕挫十字固は通用しなかったようだ。冷静に考えれば当然である。
西洋甲冑が、烏丸さんを落とそうと腕を振り回す。必死にしがみつく烏丸さんだったけど、やがてその腕からすっぽりと抜けた。壁に強か体をぶつけ、呻く烏丸さん。
西洋甲冑が私をロックオンする。ソルトガンが、そうはさせまいと動きを鈍らせる。
「根津さん、そのまま撃ち続けてくださいっ」
根津さんが歯を食いしばり、私の指示を忠実に守る。
リビングでは無理だ。距離が近すぎる。
私は奥の洋室に走り込むと、さきほどと同じようにペルシャ絨毯をめくった。そこにあるのは和奏さんの書いた魔法円――ではなく、もちろん〈喚水の門〉。
しゃがんだまま〈喚水の門〉を右手で触れ、左手で十字架のネックレスを西洋甲冑へと向ける。根津さんが西洋甲冑を足止めしてくれているけど、制止するには至らない。悪魔の代理たる呪いに塗れた甲冑が洋室へ闊歩しはじめる。
早くしなければ――っ。
「ミカエルよ。勇気と正義を司るミカエルよ。儚き地上の子羊を、その勇敢なる御心でお守りください。その強き御業で、どうか闇の軍勢の者に聖なる鉄槌をお与えください」
ぎこちない動きで入室してくる西洋甲冑。
顔もないのに、憎悪に満ちたどす赤い目が垣間見えた気がした。
「ミカエルよ。神の如き天軍の軍団長よ。邪悪な存在に脅かされる神の仔をどうかお守りください」
ミカエルの姿を感じる。現れるのはすぐ。
でも西洋甲冑が目の前にいて、このままでは私は殺意を全身で浴びることになる。
だからといって、詠唱の途中で〈喚水の門〉から少しでも手を離せばミカエルは消えてしまう。
どうする? どうする――っ?
「やらせるかよっ」
烏丸さんが西洋甲冑を後ろから羽交い絞めにする。
霧散する迷い。
「天界から堕ちた罪深き悪魔を、どうかその御力で断罪してください。あなたの勇猛なる精神でどうか断罪を。私は剣撃の御力を望みます」
刹那、ミカエルのシルエットが天上から壁にかけて浮かび上がる。左手に持つ天秤ばかりが動き、魔を象徴する赤い皿が下に傾く。決定づけられた悪魔という存在の罪の重さ。ミカエルの右手に持つ〈抜かれし断罪の剣〉が傾度をつけて走り、西洋甲冑のみぞおちを貫いた。
西洋甲冑から飛び出た黒い靄が空中で掻き消える。ミカエルのシルエットも同時に消え、洋館内にしばらくぶりの静寂が訪れた。
「大天使ミカエルよ。多大なる救済を感謝します。アーメン」
ガシャンと頽れる、悪しき主を失った西洋甲冑。
後ろにいた烏丸さんが一つ大きく息を吐くと、私に手を差し伸べた。
「お疲れさん。立てるか?」
「ええ」
その大きな手を掴み、私は立ち上がる。
「ったくよぉ。俺がいない間に二回も悪魔に襲撃されるとか、なんとかならなかったのか? お前に落ち度があるとも思えんが」
「いえ。予想外を予想できていない時点で落ち度かもしれません。人智を超えた存在であるからこそ、思考の視野を広げなくてはいけませんでした。私もまだまだ未熟者です」
「そう自分を卑下するな。そんなことを言い出したら、予想できることを予想しなくてビールを飲んだ俺はとんだ愚か者じゃねえか」
そうだった。
この人、私以下だったっけ。それも格段に下。
「ええ。それは間違いなく純度百パーセントの愚か者だと思います」
「……容赦なしかよ。まあ、そこは心の底から反省している。しかしあれだな。サウナが酔い覚ましに効くってのは本当なんだな。四〇分も入り続けていたら死にそうになったけどな。わっはっは」
笑い事じゃないのに豪快に笑う烏丸さん。
情弱に対しての指摘をしようとする私だったけど止めた。
今はそんなことじゃなくて感謝の言葉を伝えたかったから。
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