西洋甲冑(呪)
「ねえ、柚葉さん。さっきの少し違った夢なのだけど、ほかにも何か気づいたことはある? 誰かがそばにいたとか声が聞こえたとか」
訊くと柚葉さんは顎に人差し指を当てる。やがて記憶の糸を手繰るようにしながら話してくれた。
「誰もいなかったと思います。声とかも聞こえませんでした。ずっと窓から外を見ているだけなので、もしかしたら近くにいたかもしれませんが」
「そう」
私のその一言が失望の現れだと思ったのか、柚葉さんが慌てたように先を続けた。
「あ、でも空のほかに見えたものはありました。たくさんの建物、それもちょっとカラフルな感じのがあったんです」
「カラフルな建物?」
「はい。赤や青や黄色やそのほかの色の建物がたくさん。木で見えなかったですけど多分、下のほうまでずっと続いていて、街並みが広がっているんだと思います」
カラフルな建物がある街並み。
検索してもいくつもの街がでてくるだろう。何しろ世界中が対象なのだから。塗料の歴史も古く、仮にペンキだとしても一八世紀に生まれている。年代でしぼることは困難だ。ただ、前進したのは確か。
「とても有益な情報をありがとう、柚葉さん。助かったわ」
「良かった。役に立つことができて」
チン――。
電子レンジが終了の合図を鳴らす。
「あ、できたみたいなので持ってきますね」
柚葉さんがダイニング・キッチンのほうにパタパタと走っていく。
そういえば朝ご飯を電子レンジで温めているといっていた。
やけに長く温めたのだなと私は思った。
思考の対象がすぐに、さきの話に戻る。
柚葉さんが夢で見た場所で悪魔は祓われた。ということは当然、祓った神父がいる。その詳細な情報は〈聖撃の使徒の会〉のデータベースに保存されていて、間違いなく悪魔の名前も載っているはずだ。どうにかしてその名前に近づかなくてはならない。
雨音が喧噪となって
これは長く続くな、と私は思った。
「莉愛さん」
柚葉さんが私を呼ぶ。
顔面蒼白の彼女が立っていた。
ミトンを付けた両手で黒く焦げた何かを持っている。
刹那、嗅いだことのない異臭が鼻をつく。物体の造形と吐き気を催す臭気から、それが料理でないことだけは認知できた。
「柚葉さん、それは……何?」
「なんで……なんで、私、なんで私――いやあああああっメルメルッ!」
柚葉さんが床に崩れ落ち、その両手から転げるように落ちる黒焦げの物体。
私は耳を疑う。
メルメル。柚葉さんの飼っているチンチラだ。そのメルメルがこれだというのか。喉元にせりあがってくる嘔吐感を私は何とか抑え込む。
大事にしているペットをレンジで加熱する。あまりにも常軌を逸した行動。柚葉さんの意思ではないことは確然たる事実。そうなると答えは一つしかない。
「ううぅ、ごめんね、ごめんね……メルメル、メルめぇる、めぇぇぇるめえぇええるぅぅぅ』
柚葉さんが、コマ送りのように不自然に体をくねらせながら立ち上がる。狂気じみた顔には宿魔眼。私は後ずさり、悪魔が主導権を奪った柚葉さんから距離を取る。
「悪魔……っ」
『アルヴェェェン。やってくれたな、アルヴェェェン。お前はおれを何に閉じ込めた? 人間如きがおれに何をした?』
殺意を内包した不快なノイズが耳に突き刺さる。
「送ってあげたのよ。悪魔専用のスイートルームに。快適だったでしょ?」
『ああ、快適だったさ。おかげでお前をどう殺してやろうかと、その方法を存分に考えることができた』
「そう。だったらもう少し入っていたらどう? もっといい方法があるかもしれないわよ」
なぜ、聖檻から出ているのか。少なくとも、あと一時間は猶予があったはずなのに。万が一の杞憂が現実のものとなるとは、実のところ思っていなかった。柚葉さんの中にまだ悪魔祓いへの迷いがあり、そこに付け込まれたか。
でもおかしい。
少なくとも、電子レンジでメルメルを加熱し始めるときには悪魔に乗っ取られていたはずだ。にもかかわらず、私と話しているときは柚葉さんそのものだった。その矛盾の答えのように柚葉さんに異変が生じる。
「莉愛さん? 私……あれ、私、メルメルのことを、」
『ぐううっ、なんだ? おかしい。おれの力が及ばない』
「私がしたんじゃない。私、メルメルにこんなひどいことしないからっ」
『くそっ。調子が悪い。なんで小娘がでてくる? がああぁ』
「ねえ、莉愛さん。私のせいじゃない。信じて、私のせいじゃないのっ」
『だまれ小娘、消えろ、おれの邪魔をするなっ。ぐおおぉぉっ』
柚葉さんと悪魔の自我が、角突き合いを繰り返す。
やはり、聖檻の効果はまだ切れていない。悪魔も聖檻から抜け出ようと必死なのだ。でもこのままでは悪魔の勝利に終わるかもしれない。
柚葉さんの迷いを完全に断ち切らなくては。
「柚葉さん、今、あなたの中にいる悪魔が外に出ようとしている。あなたの心の隙をついてあなたの自我を奪おうとしている。だから今一度、悪魔を祓いたい気持ちを強く持って。あなたのためにも、家族のためにも。心の底から悪魔を拒絶するの、柚葉さんっ」
私の言葉に力強く頷く柚葉さん。抗おうとする悪魔。極端な二重人格のような両者の戦いはやがて終結する。
「私の中から消えてえぇぇッ!!」
その瞬間、頭上の電気が激しく明滅して、悪魔の叫び声が響いた。何か黒い靄のようなものが飛び出た気がしたけど、今のは――まさか。
全ての体力を使い切ったかのように、倒れる柚葉さん。公園のときのように私は彼女の体を支える。
「アルヴェーンさん、どうかしましたかっ?」
輝彦さんがリビングに飛び込んでくる。騒がしさの中に多大な不穏を感じたのか、その顔は真っ青だ。ほぼ同時に、二階からも和奏さんが降りてくる。こちらも輝彦さんと同じ心境なのがその顔から見て取れた。
その目が、私でも柚葉さんでもないところに向いている。すると顔が強張りはじめ、何らかのスイッチが入ったかのように瞠目して叫んだ。
「アルヴェーンさん、後ろっ。それ、動いてるッ」
ガシャリ、と背後で音がする。
見向く私。
暖炉のとなりに飾られていたはずの西洋甲冑が動いていた。人間が入っているかのように、その四肢の動作は自然だった。
やはり、さきほど見た黒い靄の正体は執念という名の悪魔の一部か。それが西洋甲冑に入り、操作をしているのだ。がらんどうの目に確かに宿る私への敵意。狙いは私。呪われた西洋甲冑が右手に持つ剣を振り上げる。
私は床を蹴り、後ろへ飛び退く。
剣が空を斬り、切っ先が安楽椅子の背もたれを叩き割る。
レプリカだけど鉄の塊であるには違いない。よって鋭利さはないけれど、殺傷能力は申し分なさそうだ。
「な、なんで甲冑が動く……? これも悪魔の仕業か? なんということだ」
驚愕の表情を貼りつける輝彦さん。
悪魔の仕業と認識できているなら、現状の心構えとしては合格だ。
「輝彦さん、それに和奏さん。私が甲冑を引き付けます。その間に柚葉さんをお願いします」
首肯する輝彦さんと和奏さん。
私はゆっくりとソファの後ろへと移動する。ガシャリガシャリと各々のパーツを鳴らしながら、西洋甲冑が私と向き合う。間にはソファ。その恰好でソファを乗り越えるのは難儀だろう。
私はそう思った。だからソファの横から来ると想定して、機を見計らって奥の洋室へ走り出そうとした。でも、その目論見は崩れた。
西洋甲冑がしゃがんだと思ったら跳躍する。私のとなりに着地した西洋甲冑。避けようとした私は、足がもつれてその場で横倒しとなった。
まずい。
西洋甲冑が再び剣を振り上げる。
私は胸元の十字架のネックレスを――。
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