導かれた先で

 

 ……。

 …………。

 …………………。


 ――おきて――


 ?

 

 私は目を開ける。

 ホテル、ではなく春夏冬邸の天井が視界に入る。どうやらいつのまにかソファで寝てしまったらしい。スマートフォンで時刻を確認すると03:13との表示。三時間近くも早く目が覚めてしまった。〝おきて〟と声が聞こえたからだ。


 夢なのだと思う。でも耳元で囁かれたような現実感があった。

 

 私はソファから腰を起こす。

 リビングへのドアが開いている。おかしい。あそこのドアは閉めてあったはずだ。心がざわめく。そのとき――、


 ――こっちへきて――


 また声が耳に響く。今度はドアのほうからだ。

 老若男女の区別がつかない、それでいて声色が水面を揺蕩たゆたうような不思議な感覚。


「誰?」


 声の主は答えない。

 私はドアへ足を向ける。不思議と声への警戒心を抱くことはなかった。

 

 ドアを通りリビングに入ると、ホールに抜けるドアが、ギィ……と開く。こっちへ来てということなのだろう。私は導かれるままにホールへと場所を移す。すると今度はひとりでに玄関の鍵がアンロックされ、扉が開いた。


 私はつっかけ履きして屋外へと出て、何者かの誘導を待つ。

 右のほうに気配がした。振り向くと、光の玉が洋館の側面に移動したのが見えた。これはもう明らかだ。誘う方向に何者かが見せたい何かがある。


 私は光の玉を追いかける。光の玉は洋館の裏手に回ると、奥の木々が集まる中のほうへとゆらゆらと移動していく。すると、ある場所で止まり、


 ――おねがい――


 と一言残して、消えた。

 

 ここは一度、昼間に来た場所だ。その昼間でさえ陰湿さが際立っていたけれど、この時間帯は更に一層の不気味さが漂っている。


 あのときの妙な胸のざわめきが増しているのを感じる。私は光の玉が消えたあたりまで歩く。そう言えば何者かの気配を感じることがない。もう用は済んだということだろうか。


 一体、ここに何があるのだろうか。スマートフォンのライトを周囲に向ける。あるのは雑草であり、木であり、ほかは特にこれといったものはもない。それなのに胸のざわめきはさきよりも幾分、大きくなっている。


 この感覚を信じるならば、絶対にこの辺りに何かある。事実、あの光の玉は私をここへと導いたのだ。


 〝何か〟。

 それはおそらく悪魔に関連するもの。


 ~~~~♪


 アラームの音で私の目は覚めた。

 スマートフォンの画面には6:30の表示。セットしていた時間だ。


 今の夢はなんだったのだろうか。あまりにも鮮明で、まるで現実に体験したかのようだった。私は状態を起こす。カーテンの隙間から覗く窓には幾筋もの水の跡。どうやら雨が降っているようだ。


 洗面台で顔を洗い洋室に戻る。するととなりのリビングから物音が聞こえた。私はドアを開けリビングへ。誰もいない。向かって左方にあるダイニング・キッチンのほうで音が聞こえる。覗くと後ろ姿を見せる女性がいた。白いレーススカートと淡い水色のトップスを着用した彼女は――、


「あ、莉愛さん。おはようございます」


 柚葉さんだった。

 悪魔に憑かれているとは思えない溌溂とした声。表情も柔らかく、調子は比較的よさそうだ。


「おはよう、柚葉さん。あれ? 私が泊っていること知ってたっけ?」


「はい。私のスマホにお父さんからメッセージが入ってましたので。でもさっき起きて知ったのでびっくりしちゃいました。莉愛さんにまたパジャマ姿見せるのやだなって思って着替えたんですけど、どうですか?」


「うん。似合ってる。若さ溢れる清楚な感じがとても羨ましいな」


「莉愛さんだって十分、若いじゃないですか。それに綺麗さだったら、私なんて足元にも及ばないくらいですよ。朝ご飯用意しますね。今レンジで温めていますので、ソファに座ってお話しましょう」


 輝彦さんや和奏さんもいたほうがいいのではと思ったけれど、そう言われて断る理由もない。柚葉さんと向かい合うようにソファに座る。

 

 私は、昨日の公園での出来事について聞いてみる。すると柚葉さんは途中から覚えていないといい、私がぐっすり寝れたのは、莉愛さんが悪魔を封じてくれたからだとも。それも輝彦さんがメッセージで教えていたようだ。


 驚いたのは、早くてあと一時間半弱で聖檻から悪魔がでてしまうという決定事項も知っていたことだ。そこまで説明してくれていた輝彦さんに感謝しつつ、迫りくる脅威に臆することのない柚葉さんに私は感嘆した。


「でも、本当にぐっすり寝れたんですよ。今まで悪夢を見ていたことが信じられないくらい。これも悪魔を閉じ込めているからなんですよね?」


「うん。聖檻に入っている悪魔は柚葉さんの自我に影響を及ぼすことはできない。無意識下による夢もまた自我の範疇だから」


 ふと。柚葉さんの見た夢の話が気になる私。

 予感めいたものを覚えて、私は訊いた。今までどんな夢を見てきたのかと。

 柚葉さんは教えてくれた。思い出すたびに辛そうに表情を強張らせながら、それでも私のためになるのなら、と。


 木に縛り付けられて、足元に火を付けられ燃やされる。

 ベッドで手足を縛られ、目の前の年配の男女の顔が絶望に染まる。

 牢獄に入れられ、数人の男から罵倒を繰り返される。

 複数の人間に四肢を抑えられた状態で運ばれ、井戸の中に落とされる。

 目隠しをされた状態で、苛烈な暴力を受ける。

 十字架に貼りつけにされ、数多の人間に石を投げられる。

 

 そのほとんどが先日に聞いた、〝自分が誰かの意識に乗り移り、苦しみや恐怖、痛みを味わうというものだった。これはもう間違いない。だ。悪魔の記憶でもあるそれを柚葉さんに見させていたのだろう。心を弱らせるために。


 ほとんどなのは、そのうちの一つだけが明らかに違ったのだ。

 それは、


 窓から見える蒼天。何かが晴れたように安らかな気持ちでそれを見ている。


 というものだった。

 

 都合よく解釈するならば、〝悪魔が祓われ、自我を取り戻した直後〝だろう。

 いや、悪魔の意図ではなくイレギュラーな現象だとすると、合っているのかもしれない。つまり――悪魔の名前に通じる道標みちしるべ


 そうに違いない。


 悪魔の名前は個を認識できる唯一のファクターだ。ゆえにその結びつきは人間よりもはるかに強く、未来永劫変えることも消えることもない枷。隠そうとしても、隠しきれない堕天の烙印でもあるのだから。


 詳しく訊くべきだと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る