黒魔術


「どうかしたのか、和奏?」輝彦さんが目を見張る。「もしかして柚葉に何かあったのかっ!?」


「ち、違う。……柚葉は寝てるから、違う」


 首を振る和奏さん。


 そうだ。悪魔を聖檻に閉じ込めてから、まだ三〇分も経っていない。柚葉さんに、急を要する不測の事態が生じるはずがない。だとすると和奏さんの異様ともとれる態度の原因は……


「だったらなんだ? はっきり言いなさい、和奏っ」


 輝彦さんの強い口調。

 その瞬間、わっと泣き出したかと思うと、和奏さんは床にへたり込んだ。


「わ、私の、私のせいなの……っ。柚葉が悪魔に憑りつかれたのは私のせいなのっ。私が黒魔術を使って柚葉に悪魔を憑かせたのっ。……でも、本当にできるなんて思ってもいなくて、だから、だから、ごめんなさい。本当にごめんなさい……ッ」


 目を白黒とさせる輝彦さん。和奏さんの口から出た言葉を、頭の中でうまく整理できていないのだろう。ややあって絞り出すように「どうしてそんなことを?」と動機を求める。


「……ずっと抱いてた。お母さんが死んだ原因を作った柚葉に対して、不満とか苛立ちとか怒りとか。よくないとは思っていた。自分の病気のことより柚葉の妊娠を優先したのは、他でもないお母さんなのだから。でも、ふとお母さんがいたらって考えたとき、どうしても柚葉に対するよくない感情が沸き上がっちゃって……」


 公園で柚葉さんから聞いた話は、その通りだったようだ。

 避けたい結果だったけれど、こう本人から暴露されてしまえば、事実として受け止めるしかない。


「お、お前は……なんてことを……なんてことを……」


 頭を抱えて壁に寄りかかる輝彦さん。

 娘が娘に黒魔術を掛ける。どうしようもなく残酷な現実に打ちのめされてしまったのか、その先の言葉を失ってしまったようだ。


 黒魔術には二つの基本法則がある。


 一つ目が、

 類似したものは類似した効果をもたらす類似の法則、またの名を類感魔術。

 例えば、憎い相手に似せた人形を作製して釘を打ち、危害を加えるのがこれにあたる。


 二つ目が、

 同一だったものが分離後も他者に影響を与える感染の法則。またの名を感染魔術。

 例えば、苦しめたい相手の毛髪や爪などを燃やして、危害を加えるのがこれにあたる。

 

 和奏さんが使用したとされる今回の黒魔術は悪魔という第三者が介入するので、この二つの法則に更に悪魔に祈り力を借りる行為がプラスされる。つまり儀礼的魔術。その儀礼的魔術には相応の道具が必要だ。

 

 私は腰を落とすと、努めて優しく問いかけた。


「その黒魔術は、何を媒介として使ったの? 例えば代表的なものとして魔法円とか印章とかがあるのだけど。分かる?」


「多分、魔法円だと思います。絨毯の裏にそんなものが描いてあったから」


「それともう一つ。柚葉さんの一部、例えば髪の毛とかも使った?」


「はい。枕から拾った髪の毛を使いました」


 絨毯の裏。

 単なる媒介としての道具だから呪物ではない。売主の息子夫婦は私が懸念していた理由で引っ越したわけではないようだ。私は輝彦さんに、部下への電話はしなくていいと告げると、再び和奏さんと向き合った。

 

「黒魔術を用いて悪魔を憑けたのなら、それは絶対に許されないこと。呪った相手に苦しみと絶望を与え、そして死に追いやることもあるのだから」


「はい。とても反省してます。どうしようもなく馬鹿なことをしました」


 項垂れる和奏さんから伝わってくる、猛省と激しい後悔の感情。それは紛れもなく、姉から妹への愛情の証。

 皮肉なことに和奏さんは、柚葉さんに悪魔を憑けたことで妹への真の気持ちを知ったのかもしれない。


 だったらこれも伝えたほうがいいのかもしれない。

 和奏さんの罪悪感を少しでも薄められるのなら。


「柚葉さんね、途中まで悪魔憑きのままでいることを望んでいたの。なんでだと思う?」


「悪魔憑きであることを柚葉が望んでいた? それ、どういうことですか? 全然分かりません」


 突拍子もない質問に、瞳を瞬かせる和奏さん。

 輝彦さんも口をあんぐりと開き、私の次の言葉を待っている。


「悪魔憑きの状態だと和奏さんや琉翔さんが優しいからだそうです」


「……え?」


「柚葉さん、お母さんが死んだのは私のせい、だから和奏さんと琉翔さんにつらく当たられるのはしょうがないと言っていた。でも悪魔憑きになってから二人の自分に対する愛情を知って、手放したくないとも。悪魔憑きでなくなったら、また以前の関係に戻ってしまうことを恐れていたのだと思う」


「そんな……そんなことを柚葉が……」


「もちろん和奏さんの行ったことは間違っています。でもお互いの気持ちを知れたのだから、勿怪もっけの幸いとして受け止めてもいいと思います。あまり自分を責めないように」


「柚葉……っ」


 和奏さんの震える両手が口元を覆い隠す。今にも吐き出されそうな嗚咽をおさえるかのように。感情の決壊を防いだ彼女は立ち上がると、私を真正面から見つめた。そこにはなんらかの決意が見て取れた。


「あの、アルヴェーンさん」


「はい」


「柚葉の中にいる悪魔を私に憑けることはできますか?」


 そういうこと、ね。


 悪魔が憑依者を変える。

 これはフィクションだけではなく、現実でも起こりうる事象。憑依を望む者が悪魔に頼み、悪魔が承諾すれば成立する。そこに道具や儀式などは必要ない。ただ――、


「できるわ。ただその行為に意味はない。柚葉さんの苦しみを和奏さんが肩代わりするだけだから」


「それでいいんですっ。だって私が柚葉に憑けたんだから。自分の犯した罪は自分で引き受けたい。だから私に憑けれるのならそうしたいんですっ」


 揺るがぬ決心を双眸に映す和奏さん。

 この姉妹愛がもっと早く形になっていればと思わずにはいられない。


「そんなことをしても、悪魔をお姉さんに憑けてしまったと今度は柚葉さんが傷つくだけ。それにできるといっても悪魔次第。人間の言いなりになる聞き分けのいい悪魔なんて期待しないほうがいいし、できたとしても追加の代償を求められる可能性だってある。だから私が祓うのを待って。そのときは必ず来るから」


「そうだぞ、和奏。アルヴェーンさんが悪魔を祓ってくれる。心の底から反省しているのなら、全てが終わったあと柚葉に謝ればいい。きっとあの子なら許してくれる」


 輝彦さんが和奏さんの肩を抱き寄せる。

「うん」と、か細い声が響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る