最悪の暴力
門扉のところで振り返ると、窓の向こう側で琉翔さんが鬼の形相を浮かべているのが見えた。彼は乱暴にカーテンを閉める。それは金輪際、関わるなと言わんばかりに。
「追い出されちまったな。まあ、本気で心配しているのに、全て柚葉さんの嘘ですなんて言ったら、そりゃこうなるわな」
烏丸さんがタバコを取り出し、火を付ける。落胆の溜息とばかりに吐き出した煙が宙で揺らめいて大気に溶けた。
「疑念があるだけで、嘘と言いきったわけではないですよ。でも、こうなりますよね。それでも言っておかなければなりませんでした。あの対話を見れば、どんなエクソシストも私と同じように虚偽を疑うでしょうから」
「まあな。俺もこれは違うなって思った。映画死霊館シリーズじゃねえが、悪魔ってのはもっとこう、〝俺、悪魔です!〟ってのをアピールしてくるもんだからな」
なんどか本物の悪魔と対峙しておきながら、虚構の話を持ち出す烏丸さん。彼もまた悪魔という存在を心の底から信じ切れていないのかもしれない。
「悪魔というのは狡猾です。柚葉さんに憑りついている悪魔もまた、悪賢い相手なのかもしれません」
「そうそう、悪魔ってのは狡猾なんだよな。今回の記事は悪魔のその狡猾さにスポットを当てて書きたかったんだがなぁって――、ごほっごはぁ」
タバコの煙が変なところにでも入ったのか、盛大に咽る烏丸さん。
「大丈夫ですか、烏丸さん」
手を振る烏丸さんは、何度か咳をしたのち私の肩をつかんだ。
「お、お前、今なんて言った? 柚葉さんに憑りついている悪魔って聞こえたんだが?」
「まずは私から離れてもらえますか? タバコ臭いです」
「あ、ああ、ごめん」私から離れる烏丸さん。「おし、離れたぞ。で、どうなんだ?」
「ええ。柚葉さんには悪魔が憑りついています。感覚的なものですが、間違いないと思います」
感覚的――。最適な言語化が難しいけれど五感以外の何か、いわゆる第六感による悪魔の察知。これは主に悪魔との対話を試みた際に起こるもので、この察知が間違いだったことは今までになかった。
なぜ、このような能力を持っているのか。おそらく聖ビルギッタの仔であるがゆえのギフトだと、オロリッシュ神父は言っていた。おそらくそれが正しいのだと思う。少なくとも候補になりうるほかの理由は見当たらない。
「例の第六感ってやつか。だったら間違いないだろ。であれば、あの対話時の柚葉さんの嘘くささはなんだ? いや待て。……敢えて悪魔がそうしたのか?」
「そうだと思います」
「そりゃ一体なぜだ?」
「ラテン語の痣をこれ見よがしに残しておきながら、柚葉さんの虚偽という方向に持っていこうとする矛盾――。遊んでいるのでしょう。私がどっちに転んでもどうでもいいと思っているのかもしれません」
はっ、と烏丸さんが吐き捨てる。
「舐めた野郎だな。だが、こうも考えられるんじゃないか」
「こう、とは?」
「悪魔はお前と向き合ってみて気づいた。神父でもない小娘と舐めていたが、どうやら有している力は大きく真向勝負じゃ勝てそうにない。だから悪魔憑きは柚葉さんの虚偽だと思わせて、対決を避けた」
「それは買い被りですよ。知っての通り、キリスト教では悪魔はかつて皆天使だったとされています。罪によって駄天したとしてもその力は絶大。人間が組み伏せることのできる存在ではありません」
エクソシストに可能なのは、憑りつかれている人間の体から祓うことのみ。消滅させることはできない。それは、〝ローマのエクソシスト長〟と呼ばれたガブリエーレ・アモスル神父も例外ではなかった。だから悪魔は何度でも現れる。このサイクルを断ち切ることができるのは純然たる神のみだ。
「ふん。――ところで、悪魔が憑依してるって分かってんなら、なぜあの場で言わなかった? 最後に言っときゃ、家を追い出されることだってなかっただろうに」
「烏丸さんは、何をした場合、悪魔が人間に憑りつくか知っていますか?」
「なんだよ、藪から棒に。俺をバカにしているのか。お前の相棒をやってる俺を」
「相棒といっても一年じゃないですか。この先も長く相棒でいたいなら答えてください」
根本まで吸ったタバコを携帯灰皿に押し付ける烏丸さん。その携帯灰皿には十字架が描かれているけれど、残念ながら悪魔祓いに使える代物ではない。
「抜き打ちのテストかよ。……えっと、曰くつきのウィジャボードや念の強いこっくりさん、それらに似た交霊術やチャネリングで好奇心から悪魔を呼び出すってのはよく聞くな。あとは呪物だな。大体は身に着けた際に悪魔を呼び込むが、近くにあるだけでそうなるケースもある。
そのほかでは黒魔術ってのもある。これは基本的に他人に悪魔を憑依させる儀式だが、結構な舞台装置が必要となってくる。対象者の一部――血、髪の毛、爪などが必要だったな。最後にこれは例外だが、神による人の謙虚さを深めるための試練ってのもあったか」
「ええ、合ってます。良かったですね。相棒合格です」
「よっしっ。――じゃなくて、なぜそれを今聞いた?」
「悪魔との対話を試みたとき、私は悪魔にこう告げました。〝春夏冬柚葉はそんなことは望んでいない。私に祓われ地上の深淵に追いやられたくなければ、今すぐ彼女の体から消え去れ〟、と」
「確かにそう言っていたな。それがどうした?」
「それに対しての悪魔の返答がこうだったのです。〝この女が望んだことじゃないが、もう遅い。この女は俺のモノ。お前こそ帰るがいい〟」
「望んだことじゃない……。ニュアンス的に好奇心絡みじゃないってことか。じゃあ、呪物か? 本人がそうとは知らず身に着けてしまい、悪魔を呼び込んじまった」
「それはどうでしょうか。悪魔にとっては呪物を身に着ける、あるいは傍に置くも〝望む〟の範疇に入っているような気がします」
つかの間のあと、その意味に気づいたのか烏丸さんが目を剥く。
「おいおい、じゃ、何か? 柚葉ちゃんは誰かに悪魔を憑依させられたってことかっ? 黒魔術によって」
「悪魔が嘘を言っていないことが前提ですが、その可能性が高いです。だから私はあの場で言えませんでした。だってそうじゃないですか? 黒魔術で悪魔を他者に憑依させるなんて最悪の暴力です。それを行った人物が身近にいるなんて私は信じたくなかった。虚偽ならそっちのほうがいいに決まってます」
「このまま放っておくのか? 犯人捜しはともかく柚葉さんには確かに悪魔が憑りついているんだろ。虚偽を望んだところで意味はねえぞ」
「分かっています。例え不都合な真実が暴かれようとも、認知した悪魔を野放しにすることはできません」
「じゃあ、どうする? 平身低頭で謝罪したあとに、実は柚葉さんの中に悪魔がいるっつー事実を伝えるか? まあ、それしかないか」
「すいません」
門扉のほうから声が飛んでくる。
見ると根津さんが立っていた。
「はい?」
「いつまでそこにいらっしゃるのでしょうか。琉翔さんが、目障りだから早く消えてくれと言っています。すぐにお帰り頂いてもよろしいでしょうか」
淡々と用件を述べる根津さん。
先ほどの怒りに満ちた琉翔さんの顔が浮かぶ。無礼を詫びるにしても今すぐには聞く耳を持たないだろう。それに少し、確かめたいこともある。
「分かりました。すぐに帰ります。ただ一つお願いがあります」私はバッグから便箋を取り出すと、そこにスマートフォンの電話番号を書いた。門扉に近づき、根津さんに差し出す。「これを柚葉さんに渡してもらえないでしょうか」
「なぜこれを? もうあなたは柚葉さんとは何の関係もないのでは?」
「それを決めるのは私ではなく柚葉さんです。だからお願いします」
根津さんはしばらく無言で便箋を眺めたあと、「分かりました」と受け取った。
「それではお帰りください」
根津さんは踵を返して去っていく。
私はふと思い出して、その背中に声を掛けた。
「庭園素敵ですね。薔薇に対する愛情がとても溢れていると思います」
一瞬、立ち止まる根津さん。でもこちらに振り返ることはなかった。
「ふん。あの辛気臭いごま塩おやじは琉翔お坊ちゃんのパシリかよ。それで莉愛、電話番号なんて渡してどうする気だ?」
「もちろん電話を待つんですよ。それまではこちらからアクションを起こすつもりはありません。今は根津さんに言われた通り、ここから立ち去りましょう」
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