対話と疑念
ソファに座るのは柚葉さん一人。対面するソファには私と烏丸さん。輝彦さんと和奏さんは暖炉の傍、琉翔さんは窓を背にして立っていた。すると、内藤さんと一緒に根津さんがリビングに入ってくる。家族でない彼ら二人も観察を許可されたようだ。
「これから行うことは悪魔との対話です。そのためには柚葉さんの中にいる悪魔をこちら側に呼び出す必要があります。ちなみにご家族の中で、その悪魔との対話に臨んだ方はいらっしゃいますか?」
春夏冬家の三人がそれぞれを窺うように視線を交える。すると和奏さんがおずおずと手を上げた。
「対話じゃないですけど、柚葉の中からでていけって何度か言ったことあります」
「それなら俺も。それに父さんだってあるだろ。それが何か問題なのか」
憮然とした琉翔さんの睨め付けるような視線。
「いえ。その程度なら問題ありません。一般の方が悪魔との会話を本気で試み、それに悪魔が応じた場合、精神を浸食される恐れがあります。なので念のために訊きました」
「ふん。自分は特別だと言わんばかりだな。俺はまだあんたを認めたわけじゃない。御託はいいから早く始めたらどうだ」
「ちょっとお兄ちゃんっ」と和奏さんに
琉翔さんの言った通り、私の祓魔師の能力は特別なのかもしれない。でもその特別には大いなる責任が伴っていることを彼は知らない。
「あー、皆さん。今から莉愛が悪魔との対話を行いますが、そこからの一部始終を私のほうで撮影させてもらうことをご了承ください」烏丸さんがスマートフォンを皆に見せる。「悪魔の存在の確固たる証拠になりますのでね」
憑りつかれていたらの話だけどな。
最後は、私にだけ聞こえる小声。
私は軽く咳払いすると、再び柚葉さんに向き合った。
「では、始めますね。柚葉さんは極力、私の目を見るようにお願いします」
「は、はい。がんばり、ます」
柚葉さんの緊張がこちらまで伝わってくる。そこには悪魔に体と心の自由を奪われるという恐怖があるのは間違いない。でもそれでいい。恐怖の感情は悪魔にとって付け入る隙。風通しのよくなった穴倉で私の声は容易に悪魔に届くだろう。敵対する相手なら、なおさら。
私は首から下げている十字架のネックレスを柚葉さんに向けた。
「春夏冬柚葉の中にいる者よ。父と子と精霊の御名において、お前に問う。彼女に不安と苦痛と恐怖を与えるお前は何者だ? 答えなさい。お前は何者だ?」
目をぱちくりさせる柚葉さん。私の口調の変化にも動揺しているかもしれない。でも言われた通り、目は私に合わせたままだ。
「もう一度、問う。春夏冬柚葉の魂に手を伸ばし、触れ弄び、あわよくば奪わんとするお前は何者だ? 答えなさい。お前は何者だ?」
柚葉さんの瞳が細かく揺動する。刹那ピタリと止まり、こちらを凝視する。それはまるで射抜くかのように。
「なぜ答えない? 声も出せないほどに階級が低いのかしら? 声が出せないなら頷いてみせなさい。お前は悪魔か否か、どっちだ?」
「俺をぶじょくするなよ、女」
柚葉さんの可憐な顔が醜く歪む。汚い言葉が彼女の口から、彼女の声で吐き出される。
「お前が春夏冬柚葉に憑りついた悪魔ね。サタンの僕である悪魔で間違いないか?」
「そうだ。お前はなんだ女? 神父ではないな」
「ええ、神父ではないわ。でも神父同様に祓魔を許された者。お前の名前はなんという?」
「くはは。ばかめ、言うと思うか? 名前を。祓わせない。この女は俺のモノだ」
「春夏冬柚葉はそんなことは望んでいない。私に祓われ地上の深淵に追いやられたくなければ、今すぐ彼女の体から消え去りなさい」
「この女が望んだことじゃないが、もう遅い。この女は俺のモノ。お前こそ帰るがいい。アルヴェーン莉愛」
「お前が春夏冬柚葉の中にいる以上、私は帰らない。イエス・キリストの御名において、必ずお前を祓うとここに宣言する」
「やってみろ。お前ごときに俺は祓えない。俺の力は強大だ。くははははっ」
ガクンと頭を垂れる柚葉さん。
悪魔が主導権を柚葉さんに返上した、ということだろう。どうやらこれ以上の対話は望めないようだ。私は対話が終わった旨を皆に伝える。すると和奏さんが柚葉さんに駆け寄り、肩に手を掛けた。
「柚葉っ、柚葉、大丈夫っ?」
「お、お姉ちゃん……? うん、大丈夫」
失った意識を今取り戻したかのように、顔を上げる柚葉さん。そこには、先ほど私に見せた敵意に満ちたものではなく、可憐で儚げな表情があった。
「柚葉さん。あなたの中にいる悪魔との対話はついさきほど終わりました」
「そうですか。ちゃんと話すことはできましたか?」
「ええ。体調はどうですか? 一時的でも自我を完全に悪魔に乗っ取られたのです。一旦、ベッドでお休みになられた方がいいと思います」
「え? あの……」
「アルヴェーンさんの言った通りだよ、柚葉。私が連れていってあげる」
惑う柚葉さんの手を取り、和奏さんがリビングから出ていく。私は内藤さんからどうぞと出された水で喉を潤す。コップをテーブルに置くと、烏丸さんが親指を上げた。しっかり撮れたということなのだろう。何か言いたげだけど、聞かなくても心中を察することはできた。
「さきのは柚葉とは思えなかった。本当に悪魔を呼び出して対話したっていうのか」
その目で目撃したものの、未だ信じきれない琉翔さん。
「あいつの中に悪魔がいるのは分かっていましたが、こうやって表に出てくると、今のは現実だったのかと疑いたくなる自分がいますね」
輝彦さんもまた同様に。
内藤さんも、そして表情からは伺い知れない根津さんも同じ気持ちなのかもしれない。
「悪魔との対話は総じて、憑りつかれた人間の自我を乗っ取った形で行われます。よって本来の人間性とは関係なく悪魔の素が表に出るので、驚かれるのも無理もありません」
悪魔との対話、及び悪魔祓いは実際のところ、映画の演出とさほど変わらない。寧ろ、〝事実は小説よりも奇なり〟を地で行くことだってある。だからこそ現実か虚構かを見極めなければならない。私にはその責任がある。
「分かった。それで次はどうする? 悪魔を祓う前にほかにまだやることがあるのか? 俺としては早く、あんたがうらぶれた役者ではなく本物だってことを認めたいのだがな」
琉翔さんの挑発めいたものを聞いたそのとき、柚葉さんを介抱した和奏さんが再びリビングに入ってくる。
頃合いだ。〝識別〟の最終段階に入る。私はソファから立ち上がると、皆と向き合った。察した烏丸さんも腰を上げて私の隣に並んだ。
「ええ、悪魔祓いの前に確認しておくことがあります。さきほど悪魔との対話を試みた際に発露した疑念。この疑念についてのお考えを皆さんに聞きたいと思っています」
「疑念とは一体?」
輝彦さんが首を傾げる。
私は逡巡する。でもそれは束の間。〝病気が原因〟という可能性同様にこちらも排除しておかねばならない。
「はい。その疑念とは、悪魔憑きが柚葉さんの虚偽ではないかということです。悪魔との対話では柚葉さんは自分の声そのものでした。声質を変えてはいましたが、声自体は変わっていません。通常、悪魔の声は非常に耳に触る不協和音のように聞こえます。しかし柚葉さんの場合は、あまりにも彼女の声そのものでした。
そして次に柚葉さんの表情です。あたかも悪魔が表に出たかのような変容を見せてくれましたが、人間に可能な範囲の域を出ていません。悪魔が表に出た場合、少なくとも目になんらかの異常が発生します。でも柚葉さんにはそれが全くなかった。声の件を考慮すれば、悪魔ではなく柚葉さんが自ら表情を変えていたと考えるのが妥当でしょう。
最後は彼女の体の痣です。最初は第三者による虐待も考えましたが、嫌がる彼女を相手に、ああもきれいに文字として読ませる痣を作るのは至難の業しょう。そもそも虐待が事実だった場合、私達を呼んだことの説明がつきません。でも自分でならどうでしょうか。棒状の物を強く押し付け、その痛みを我慢さえできれば不可能ではないと思います。
以上三つの観点から、今回の悪魔憑きの件は柚葉さんの虚偽の可能性があります。もしかしたら、虚偽性障害に分類されるミュンヒハウゼン症候群かもしれません。この私の疑念を皆さんはどうお考えですか?」
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