レモンティーとカステラ
柚葉さんは私との会話のあと、ベッドで少し休みたいと告げた。
日頃の睡眠不足や悪夢のこともあり疲労がたまっていたのだろう。私は彼女の申し出を受け入れた。輝彦さんや和奏さんはすぐにでも悪魔を祓ってほしいと言っていたけど、最終的には柚葉さんの意思を尊重した。
私は屋外に出る。
烏丸さんのように、あてがわれた一階奥の洋室で休憩しても良かったのだけど、外の空気が吸いたかったのだ。館内が息苦しいわけではないけれど、どちらで時間を潰すかとなったら、庭園の広がる屋外のほうがいいに決まってる。
「本当にきれい」
洋館は傾斜の上に建っていることもあり、ここからの庭園の眺めは壮観の一言だ。もしチェアリングするのだったらこの場所一択だろう。
ふと、庭園で作業をする根津さんが視界に入る。彼は額の汗を袖で拭うと、私の視線に気づいたようにこちらに見向いた。心意の片鱗さえ読み取れない両眼。私はそっと視線を外した。
なんとなく庭園の散策は止めたほうがいい気がして、私は周囲を見渡す。
右のほうに庭園からの道が続いている。私はその道を進んでみることにした。するとすぐに小さな広場のような場所に出くわした。ブランコと鉄棒がある。敷地の中の公園のようだ。元からあったのか、あるいはこちらに引っ越してきた際、子供たちのために輝彦さんが作ったのかもしれない。
公園を一回りして、もと来た道を引き返す。洋館の裏手にもスペースがあるようだ。道が続いているわけじゃないけれど、なんとなく気になってそちらに足を向ける。根津さんの仕事の範疇じゃないのか、雑草が其処ここで自由気ままに繁茂していた。
更に後ろのほうも敷地は広がっている。そちらも手入れはほとんどされていない。正面にある庭園の美しさと比べてしまうと、その陰鬱さが弥が上にも際立ってくる。
特に興味を惹かれるものはない。なのにこの胸のざわめきはなんなのだろう。
「アルヴェーンさん?」
「――っ!」
突然、後ろから声を掛けられて鼓動が跳ねた。
見れば怪訝な表情の内藤さんが立っていた。
「ごめんなさい、急に声かけちゃって。こんなところでどうかしました?」
「いえ、特に用事があったわけではないです」
「そうですか。紅茶とお菓子をご用意しますので、洋室にお戻りいただければと」
私は内藤さんと共に、洋館の中に戻る道を辿る。
途中、庭園のほうを見遣ると根津さんはもういなかった。
◇
「くふぁぁぁぁっ。よし、とりあえずこんなもんでいいだろ」
洋室のソファで大きく伸びをする烏丸さん。目の前の机にはノートパソコン。『奇怪忌憚』の記事である『花と天使とエクソシズム』の執筆をしているらしい。空いた時間の使い方としては悪くないけれど、よく集中できるなと思った。
私はパソコンを覗き見る。
私と烏丸さんがこの春夏冬邸に来て、そこから柚葉さんの痣が発見されるまでの内容が書かれている。お堅くもなく軽薄でもない文体は非常に読みやすく、文字が滑ることもない。
但し、問題はある。
「私の身体的な描写が多くないですか。〝しなやかでほっそりとした指先〟とか〝潤った桃色の唇〟とか〝陶器のようにきめ細やかな肌〟とか。もう必要ないですよね」
「おいおい、これは記事であると同時にノンフィクション小説の体裁をとっているんだぜ。主人公の描写は最初にやっておくのが常識だ。〝アルヴェーン莉愛は美人です〟で済ませるわけにもいかないだろ」
「美人とかどうでもいいです。そもそも今、私が言った描写は以前にも書きましたよね。読者だってまたかよって辟易しているはずです。だからこその〝もう〟なんですけど」
『花と天使とエクソシズム』は一年前から連載している。
「今回の記事から花天を知る読者だっているだろ。そのためだ。ただ、描写をしてほしくないっていうなら一つ条件がある」
「なんですか? その条件って」
烏丸さんの口角が嫌らしく上がる。
「お前の写真を載せる。記事の前の口絵としてな。なんなら巻頭の写真込みの表紙でもいい」
グラビアアイドルか。
「お断りします」
ぴしゃりと拒絶したところで、洋室のドアがノックされる。「はい」と答えると、内藤さんがおずおずといった感じで入室してきた。
「失礼します。紅茶とお菓子のほうをお持ちしました」
彼女はそう言うや否や、手に持っていたそれらをてきぱきとテーブルの上に並べていく。
レモンティーのいい香りが鼻先を撫でる。お菓子はどこか専門店のカステラのようで、とてもおいしそうだ。そういえば時刻は一五時二〇分。丁度、小腹が空いてきたところだ。
「お気遣いいただきありがとうございます。いただきます」
「いえいえ。紅茶もカステラもまだありますので、その際はお申し付けください。……あの……」
内藤さんが一拍置いてから幾分、硬い表情で続けた。
「差し出がましいようですが、柚葉ちゃんのこと、宜しくお願いします。あの子はとてもいい子です。悪魔に憑りつかれるような悪いことは何一つしてはいません。だから本当に、よろしくお願いします」
内藤さんが深々と頭を下げる。
柚葉さんはまだ悪魔憑きと確定したわけではない。よって返答に窮する私だったのだけど、
「ええ、お任せください。こいつはですね。こう見えてバチカン直属のエクソシストに並ぶ悪魔祓いの能力を持っているんですよ。今までこいつに祓えなかった悪魔はいないので、まあ安心してもらっていいですよ。な?」
烏丸さんがニカッと笑って首肯を求める。
私は困惑する。今までといっても私が一人で祓った悪魔は片手で数えるほどだからだ。とりあえずこの場を乗り切るにはこれが最適解だろうと思い、「できる限りがんばります」と述べるに留めた。
「そういえば内藤さん。つかぬことをお聞きしますが、輝彦さんの奥さんはいつ亡くなられたんですかね」
「奥様でらっしゃいますか?」
「ええ」
カステラを豪快に口に放り投げる烏丸さん。
その視線の先には壁に飾られた家族写真と思われるもの。かなり古い写真なのだろう。輝彦さんも、そのとなりの奥さんと思われる女性も若い。二人の子供は正に幼子だった。
二人――。少女のほうが和奏さん。では少年のほうはそのお兄さんだろうか。柚葉さんとの会話の中で、彼女が兄の存在をほのめかしていたけれど、多分そうなのだろう。壁の写真を撮ったとき、柚葉さんはまだこの世に生を受けていなかったようだ。
重い口を開くような内藤さん。
「奥様、加奈絵さんは一七年前にお亡くなりになられました。柚葉ちゃんを生んで一週間後に癌で。癌の治療よりも妊娠を優先したからだと聞いております。わたくしからはこれ以上は……」
洋館を購入したその一年後に亡くなったようだ。
「はあ、そうでしたか。いや、すいません。内藤さんに聞くことじゃなかったですね。ところでこのカステラ最高ですね。おかわりお願いしてもいいですか?」
見れば、この短い時間でカステラが残り一切れになっていた。内藤さんが「まあ」と驚き、足早に洋室を去っていく。ちなみに私はまだカステラに触れてもいない。おかわりが来たら全部食べてやろうかと本気で思った。
「ということは、内藤さんって家政婦になって一七年くらいなんですかね」
「ん? そうなんじゃないか。亡くなった奥さんの代わりに家事を補助って考えればな。ところで今回の花天のサブタイトルなんだが――」
「俺はそんな奴らは認めないっ」
突然、男の人の怒号がリビングの方から聞こえる。私と烏丸さんは顔を見合わせると、リビングに移動した。
リビングには先ほどカステラの補充に向かった内藤さん、それに和奏さんと輝彦さん、そしてもう一人男性がいた。
スーツを着用して四角フレームの眼鏡を掛けた、面長で短髪の男性。怒気を露わにしたその顔は、対峙する輝彦さん……ではなくさきほどの家族写真で見た加奈絵さん、そして少年に似ている。柚葉さんのお兄さんに違いない。
スーツの男性が私達に気づく。
「あんた達か? 父さんが依頼したエクソシストとやらは」
その口調と横柄な態度から、私達に対して嫌悪感を抱いているのがありありと見て取れる。これは間違いなく、依頼が〝烏丸さんのルートゆえの弊害〟だろう。
「はい。私が
「で、私が『奇怪忌憚』の編集者兼助手の烏丸廉二郎です。以後、お見知りおきを」
「『奇怪忌憚』ッ」吐き捨てるかのようなスーツの男性が首を横に振る。そして眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。「本当にあのくだらない雑誌の編集者に柚葉の悪魔祓いを頼んだのか。大方、エクソシストのほうは売れない役者か何かなんだろう」
「おい、
「そうだよ、お兄ちゃん。そんな言いかたってないと思う」
しかし、二人の横やりを琉翔さんは意に介さない。
「謝る? それはこの人達が偽物じゃなかったらの話だろ。――くそ。エクソシストに悪魔祓いを頼んだからと聞いて会社を早退して駆けつけてみれば、まさかあんなしょうもない雑誌経由で頼んでいたとはな」
「くだらない、しょうもない……だと」
烏丸さんが最後のカステラを口に入れ、咀嚼する。
ごくりと飲み込むと、その壁のような体を琉翔さんの前で立ちはだかるようにした。
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