春夏冬柚葉


 どたどたとホールのほうから足音が聞こえる。そちらに目を向けると、さきほどのエプロン姿の女性ともう一人、彫りが深く口ひげを生やした中肉中背の男性がリビングに入ってきた。姿勢のよさに自信が現れている。この人が春夏冬輝彦なのだろう。


 エプロン姿の女性が、頭を下げながらそそくさと隣の部屋に入っていく。


「すいません、お待たせしました。私が春夏冬輝彦です。今日は娘、柚葉のためにわざわざ遠いところからお越しいただきありがとうございます」


 やはり春夏冬輝彦であった男性が恭しく頭を下げる。紳士然としているのは外面だけではなく内面も、のようだ。


「いえ、私共の助力で娘さんを悪魔から救うことができるのなら、三時間の道程などなんてことはありません」烏丸さんが財布から名刺を取り出し、輝彦さんに差し出す。「申し遅れました。わたくし『奇怪忌憚』の編集者兼助手の烏丸廉二郎です。そしてこっちが――」


祓魔師ふつましのアルヴェーン莉愛です。今日はよろしくお願いします」


 軽く会釈する輝彦さんの目が、私を熟視する。好奇に満ちた視線。慣れてはいるけれど、あまり気持ちのいいものではない。


「あなたがアルヴェーン莉愛さんですか。本当に若く美しい女性の方なのですね。雑誌の売り上げのための創作かと思っていました」


 すると、ぬっと輝彦さんと私の間に入ってくる烏丸さん。


「失礼。 『花と天使とエクソシズム』に関しては、全てにおいて忠実で脚色なしやっているんですよ。……ここだけの話、ほかはほぼほぼ創作ですけどね。お口チャックですよ」


「は、はぁ」


 烏丸さんの巨体に圧倒されるかのように身じろぎする輝彦さん。

 ところで烏丸さんの言った〝忠実で脚色なし〟というのはさておき、私の苗字は変えてある。普段は父親の姓である〝霧崎〟だけど、『奇怪忌憚』の紙面上では母親の姓であるアルヴェーンにしてもらっていた。ペンネームみたいなものである。


「いや、それにしても素晴らしい家と庭ですな。こちらの家は輸入住宅なんでしょうか?」


「ええ、北欧からの輸入素材を使用していますので。話によれば、この洋館と庭園は共に大正時代にイギリスの建築家であるアイザック・ブルネルが設計したもののようです。元々は別の誰かが代々所有していたのですが、諸事情から手放さなければならなくなったものを、私が一八年前に購入したのです」


「そうでしたか。そう言われればこの洋館、年季が入っていい味が出てます。まるで大正ロマンの過去にタイムスリップしたような不思議な感覚に囚われますね。……しかし、これだけのものを買うとなると相当、いったんじゃないですか? これ」


 人差し指と親指で丸を作って、お金を表す烏丸さん。

 下品な詮索に、こちらまで恥ずかしくなってくる。


「まあ、二億はいっていますね」


「二億っ!? かぁっ、渋沢栄一が二万人っ! ちなみにご職業は?」


 福沢諭吉が混じってる可能性もまだあるけれど、それはさておき烏丸さんの無遠慮な好奇心が留まることを知らない。


「とある総合商社で本部長を務めています。部下が優秀で、いるだけ本部長みたいなものですがね」


「総合商社の本部長っ。だからこその二億ってわけですな。いや、納得、納得。ところで、とある総合商社とは一体――」


 烏丸さんのずけずけを遮るかのように、さきほどのエプロンの女性がリビングに戻ってくる。手には湯飲みの乗ったお盆。「お茶になります。どうぞ」と彼女は湯飲みを机に置くと、またとなりの部屋へと踵を返した。


「彼女は家政婦の内藤美和です。亡くなった妻の代わりに家のことを任せているのですが、よくやってくれています。さて、本題に入りましょうか」


 輝彦さんの顔から、僅かながらの柔らかさまでが消える。

 〝亡くなった妻〟という言葉に対しての相応しい表現ができないまま、話は本題へと進む。本題、すなわち悪魔祓い。


 烏丸さんも居ずまいを正す。


「ええ、そうですね。我々も洋館見学に来たわけではありせん。ではさっそく――」烏丸さんがお茶で喉を湿らす。「今回のご依頼ですが、娘さんである春夏冬柚葉さんが悪魔に憑りつかれており、その悪魔を祓ってほしいということでよろしいですか?」


 春夏冬柚葉。一七歳。地元の高校に通っているけど、悪魔憑きになってからは休みがち、という情報までは知っていた。


「その通りです。下の娘である柚葉に憑りついた悪魔をどうか祓っていただきたい。どうか、どうかよろしくお願いします」


 深々と頭を下げる輝彦さん。


「その柚葉さんは、今どこに?」


「二階の自分の部屋にいます。呼びましょうか?」


「いえ。もし差し支えなければ、柚葉さんの部屋に行ってもよろしいでしょうか」


 私が伝えると、輝彦さんは僅かの逡巡ののち、「ええ、構いません」と答えた。


 烏丸さんが私に目配せをする。

 頷く私。言いたいことはもちろん分かっていた。


 リビングからホールへ移動して階段を上る。

 踏板には赤いじゅうたん、手すりを支える子柱も意匠が凝っていて、正に億越えの洋館に相応しい階段といった感じだ。


 二階へ上がり、絵画の飾られた突き当りの壁を左へ。「柚葉、入るよ」とそのさきにあるドアをノックする輝彦さん。返事を待たずに彼はドアを開けて中に入る。私達も促されるようにして入室した。


 可愛らしいラグカーペットの敷かれた10帖ほどの広い部屋。

 部屋の角には半円形の曲線状に張り出した出窓、リビング同様のボウウインドウだ。そのすぐ横にアンティーク調の木製ベッドがある。そこには二人の女性がいた。一人はベッドに横になっていて、もう一人はベッドの横に座っている。椅子に腰かけている女性がこちらを見向いた。


 私より幾つか歳が下と思われる黄色いワンピースを着用した女性。二十歳くらいだろうか。ふんわりとしたボブカットの中の整った顔。そこにある切れ長の瞳が私達を認めると、「その人達が?」と輝彦さんに問いかけた。


「そうだ。柚葉に憑りついた悪魔を祓うためにきてくれたんだ。こちらが――」


 刹那、ワンピースの女性がこちらに走ってきて、烏丸さんの手を握った。


「おっ?」

 

 たじろぎ、背を反る烏丸さん。


「お願いします、柚葉の中から悪魔を追い払ってくださいっ。お願いします、手伝えることはなんでもしますから、だからお願いしますっ」


 前のめりになって懇願するワンピースの女性。


「あー、悪い。俺はただの編集者兼助手でそういった能力はない。それを頼むんなら、祓魔師ふつましであるこっちだな」


 気まずそうな烏丸さんが親指を私に向ける。勘違いと知ったワンピースの女性が「あ、ごめんなさい」と烏丸さんの手を振り払うと、今度は私の手を両手で包み込んだ。


「お願いします、エクソシストさん。柚葉の中にいる悪魔をどうか追い払ってください、お願いしますっ。苦しんでる柚葉があまりにも可哀そうだから。柚葉はなんにも悪くないから、だから……」


和奏わかな、やめなさい。アルヴェーンさんが困っているだろう。言われなくてもこの人なら、きっとなんとかしてくれる。柚葉は……寝てるのか?」


 和奏と呼ばれた女性が、目元の涙を指で拭う。


「うん。さっきまで起きてたんだけど、今は寝ちゃってる」


「そうか。少しタイミングが悪かったな」輝彦さんが会話の対象を私達に切り替える。「非常に申し訳ないのですが、柚葉との話はもう少し後でもよろしいでしょうか。しばらくしたら起こしますので」


「ええ、構いませんよ。柚葉さんが起きるまでは庭園の散策でもしてようかと思います」


「そうしてもらえると助かります。一階、奥の洋室には小説や漫画なども置いてありますのでご自由にお読みください」


 ビジネスホテルはとってある。帰るのは明日、あるいは明後日。時間ならあるので、急いでことを進めなくてもいいだろう。、長丁場になる可能性もあるけれどそのときは更に連泊すればいい。


「お父さん。私なら大丈夫です。起きてますから」


 ベッドのほうから声。横になっている柚葉さんが発したようだ。

 柚葉さんが上半身を起こす。長い黒髪が窓からの陽光で眩い白銀を放つ。パジャマ越しからでも分かる線の細さと白い肌が、微笑を浮かべる顔に儚さを灯した。


「柚葉。寝ていたんじゃないのか?」


「うん。寝てた。だけどお姉ちゃんの声で起きちゃった」


「あ、私ったら声、大きかったもんね。ごめんね、柚葉」


 和奏さんが両手を合わせて、柚葉さんに謝る。


「ううん、いいの。――それで、私に話があるんですよね。いいですよ。でもたくさん人がいると恥ずかしいから、エクソシストの方だけがいいです」


 柚葉さんの申し出を受けて、私以外の人間が部屋から出ていく。

 残った私を見て、柚葉さんがほっとしたように笑みをこぼす。


「良かった。もう一人のおじさんじゃなくて。あ、失礼ですよね。ごめんなさい」


「ふふ、別に大丈夫ですよ。だって烏丸さんは本当におじさんなんですから」


 烏丸さんは三七歳。世間一般では充分におじさんである。

 

 柚葉さんがベッドから起き上がると、両手を前にしておじぎをする。


「春夏冬柚葉と言います。今日はよろしくお願いします」


「祓魔師のアルヴェーン莉愛です。こちらこそよろしくね。柚葉さん」

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