春夏冬邸


 ※


 母が死んだのは、自分のせいだと柚葉ゆずはは知っている。

 

 母は柚葉の妊娠中に癌を患い、治療に専念する必要があった。にもかかわらず妊娠を優先して治療を怠ったせいで、柚葉を出産してから一週間後にこの世を去ったのだ。


 柚葉は、母は事故で亡くなったと父から聞いていた。兄や姉も最初の頃はその父の嘘に従っていた。でもある日、姉がふとしたきっかけで柚葉に真実を告げた。まるで自分の罪を認めてと言わんばかりの剣幕で。


 柚葉はそこで合点がいった。今まで兄姉の態度に温かみを感じなかった原因はそれなのだと。そのときに沸いた母への罪悪感は未だに柚葉の中に沈殿している。


 自分のせいで母は死んだ。なら、兄と姉の一線を引いたような余所余所しさも受け入れるべきだ。それが自分の贖罪。当然の罰。そうであるべきだと思っていた。


 ――あの日、悪魔に憑りつかれるまでは。



 ◇



 長野県の山のふもとにその家はあった。周辺に家屋は見当たらない。空気は澄んでいて、野鳥の鳴き声が聞こえるほどに穏やかな時が流れている。こんな場所でチェアリングをしたら気持ちいいだろうな、と私は思った。


 それにしても。


「どでっけぇ洋館に広大な洋風庭園か。グーグルアースで調べてたときにマジかよって思ったが……マジかよ」


 トヨタのSUVから降りてきた烏丸さんが、感嘆の声を上げる。


「そうですね。まるでヨーロッパの豪邸にやってきたかのよう。左右対称シンメトリでシンプルな外観なので、洋館はルネサンス様式のようですね。あの幾何学的な植え込みを配した庭園は、おそらくフランス式ですね。……それにしても花がきれい」


 私は門扉もんぴに近づき、中を覗き見る。


 見たところ薔薇園のようだ。薔薇にはとても多くの種類があるけれど、この庭園には少なくとも三〇種類はあると思われた。

 気持ちが高揚してくる。まさかもう一つの仕事をしにきて、こんなにも鮮やかな薔薇を見れるとは思ってもみなかった。


春夏冬あきない邸に何か?」


 背後から声を掛けられる。

 振り向くと、帽子をかぶりカーキ色の長袖長ズボンを着用した年配の男性が立っていた。その右手には鎌。若干の警戒心から私は一歩、烏丸さんのほうへ寄った。


「ああ、すいません。私とこいつは依頼人である春夏冬輝彦てるひこ氏に呼ばれてやってきた者です。その春夏冬輝彦氏に会いたいのですが、ご在宅かどうか分かりますかね?」


 烏丸さんがにこやかな表情で応じる。

 年配の男性は数秒の沈黙のあとおもむろに帽子を取ると、短髪のごま塩頭を下げた。


「失礼しました。旦那様のお客様でしたか。私は庭師の根津ねずと申します。中へどうぞ。門扉に鍵は掛かっておりません。庭園をまっすぐ進んでいただいたあと家の右側にお回りください。そちらに玄関がございます。ノッカーでノックすれば、中にいる者が対応してくれるはずです」


 根津と名乗った男性は、機械的で且つ抑揚のない声でそう述べた。

 私と烏丸さんは会釈すると、門扉を開けて中へ入る。少し進んで振り返ると根津さんが微動だにせず、こちらを凝視していた。


「あの根津って庭師、社交性に問題ありだな。愛想がなさすぎる。ああ、だから庭師なのか」


「それ、ちょっと失礼です。……でもちょっと不気味だなとは思いました」


「不気味って、そっちのほうが失礼だろ」


「でも、もしこの庭園の管理を根津さんがしているなら、見方は一八〇度変ってきますね」


 庭園に咲き乱れる薔薇の数々。

 その中には、初心者向けのフラワーカーペットローズから上級者向けのブルーヘブンやアッシュ・ウエンズデイまでが、綺麗な花冠かかんを見せている。植物への愛がなければ、ここまでの管理はできないだろう。


 私は薔薇を視覚と嗅覚で楽しみながら、階段を上り洋館へ。

 アーチ状のポーチを抜けて頑強そうな木製のドアに辿り着くと、真鍮のドアノッカーでノックする。――誰も応答しない。


「俺がぶんなぐれば誰か気づくか?」などと烏丸さんが握り拳をつくったところで、中から女性の声で「はい どちら様でしょうか?」


「おっと、こんにちは。私、月刊『奇怪忌憚』の編集者の烏丸廉二郎と申します。今日は春夏冬輝彦氏の依頼でやってきました」


「依頼……? ああ、依頼っ。柚葉ちゃんの件ですよね?」


「はい。春夏冬柚葉さんに憑りついた悪魔を祓うためにやってきました」


 まるでトイレのトラブル対応でやってきた業者のように、サラっと答える烏丸さん。その様があまりにも自然過ぎて、私のほうが滑稽に思ってしまうほどだ。


 ややあってドアが開く。そこにはエプロン姿の女性。まん丸な輪郭の中の恵比須顔が、えも言えぬ安心感を与える。年齢は五〇代後半から六〇代前半くらいだろうか。


「良かった。本当に来ださったのですね。あ、中にお入りください。洋館ですが、ここで靴をお脱ぎください。今、旦那様を呼んできますので、奥のリビングでお待ちください」


 それだけ言い残すと、エプロン姿の女性は慌ただしくすぐそばの階段を上っていってしまった。


 私と烏丸さんは目を合わす。

 烏丸さんが肩をすくめた。


「旦那様って言ったな。家政婦か」


「かもしれませんね。――お邪魔します」


「お邪魔しますよっと」


 言われた通り靴を脱いで、室内に入る。床は一面、ニスを塗ったばかりのように艶のあるフローリング。ここはおそらくホールだろう。リビングはこの先か。両開きのドアが開いているので通り抜けた。


 その部屋はとにかく広かった。おそらく二〇帖は超えている。こちらの床にはペルシア絨毯が敷かれていて、その上には茶色い皮のソファが鎮座していた。頭上には豪奢なシャンデリア。左方には、湾曲した形状が特徴的な大きなボウウインドウ。右には壁と一体化した暖炉があり、その横には西洋騎士の鎧、手前には安楽椅子が置かれていた。


「こいつはすげぇ。外観だけじゃなく中もしっかり洋風にこだわっているな。どれ、ソファの座り心地はどうだ」


 烏丸さんが荷物を床に置くと、飛び乗るようにしてソファに座る。


「おお、これはっ。編集部の硬くてすぐにケツが痛くなるのソファとは雲泥の差だ。それこそまるで雲の椅子に座っているかのようだ」


「雲の椅子に座ったことないくせに。とういうより人の家なのですから、もう少し慎ましく振舞ってください」


「慎ましくだぁ? 俺の見た目にそれを求めるなよ。さて次は安楽椅子だ」


 子供のようにはしゃぐ烏丸さんが安楽椅子に座り、ぎーこぎーこと前後させる。

 壊れやしないかととても不安だ。すると一頻り安楽椅子を楽しんだ烏丸さんが、今度は西洋騎士の鎧に興味を示した。


「これまたカッコいい西洋甲冑だな。全身を金属で覆うぴっかぴかの鎧ってなるとプレートアーマーか。リアルなサイズのようだが、俺にはちぃとばかりきついかもな」


 それはあなたが大きすぎるからですよと、突っ込むべきなのだろうか。

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