花屋と編集者

 

 植物達が元気な季節が好きだ。

 寒い時期に眠っていた木々が目を覚まし、花壇やプランターで草花が次々とつぼみをほころばせる、そんな季節が。彩色豊な花は私の心に幸せと安らぎを与えてくれて、いつまでもこの季節が続いてくれればいいのに、と思ってしまう。


 そんな私が花屋で働くのは必然で、今日も店長が市場で仕入れてきた花の水揚げ作業から始まった。そのあとは、花の鮮度を保つための水換え、花器の洗浄、花の茎を切るお手入れ。お客様の興味をそそる店舗ディスプレイや、花束やアレンジなどの商品製作。もちろん、花を買いに来るお客様への丁寧な接客も滞りなく。


 店長には、ちょっと頑張りすぎじゃないと言われるけど、私は全然苦ではない。むしろこの充実感は、にも、必要なリフレッシュでもあった。


霧崎きりさきさん、この時間帯はお客さんも少ないから、少し休んでいてもいいわよ」


 害虫駆除をしていると、その店長が話しかけてきた。


 お店は駅前のロータリーに隣接しているのだけど、今は平日の一五時。これから帰宅ラッシュの時間がくるまでは、店長の言った通り客足はまばらなままだろう。


「はい。ありがとうございます。でも大丈夫です。全然疲れていないですから」


「そう、無理しないようにね。ところで霧崎さん、このブーケ、どう? 結婚祝いで旦那さんから奥さんに渡すらしいのだけど、ここをこうしたほうがいいってある?」


 店長の作ったブーケは相変わらず見惚れる出来だ。私がアドヴァイスするなどおこがましくて、即座に「ないですないです。だって完璧ですもの。きっと素敵な結婚記念日になると思います」と答えた。


「そうかしら。そうなったら嬉しいわね」


 店長は嬉しそうに相好を崩すと、店の奥に引き返していく。

 いつも穏やかで人当たりのよい店長が笑顔だと、こちらまで幸せな気持ちになってくる。すでに自立した三人の子供がいるとの話だけど、きっと皆、素敵な家庭を築いていくのだろうなと容易に想像がついた。


 そのとき、誰かが店に入ってくる気配がした。


「花言葉が〝呪い〟の花、あるか?」


 振り返らずとも分かる。

 野太い声で、そんな花をご所望な変わり者はこの世に一人しかいない。


「いらっしゃいませ。クロユリがそうですかね。なんなら〝恨み〟が花言葉のオトギリソウもいかがでしょうか」


 私は振り返りながら、そう返す。

 思った通り、そこには烏丸廉二郎れんじろうその人がいた。


 肩幅もあり、一九〇強と上背もある彼はそこに立っているだけで、壁のような威圧感がある。しかも通常時の顔が強面だから尚更、見知らぬ他人にとっては近寄りがたい存在だ。その筋の者と思ってしまうのも、安易とはいえ決して間違った偏見ではない。


「おう、久しぶり。ところでオトギリソウか。そういやそんなゲームが昔あったな。サウンドノベルとして世に出たホラーゲームなんだが、あれは傑作だった。ピンクのしおりっていうのがあってな、それをなんとか出したくて妙なテンションで徹夜したのもいい思い出だ」


「そうなんですか」知らないゲームの話はさておき。「今日はどうしたんですか。まさか本当に花を買いにきたんですか」


「まさかって失礼だな。俺だって花を買うときはある。まあ、今日は違うがな。用件が二つあって、会う必要があるから取材のついでに寄ったってわけだ」


 烏丸さんの仕事はオカルト雑誌『奇怪忌譚きかいきたん』の編集者だ。ネットであらゆる情報が手に入るこのご時世に、ホラー一択の月刊誌として、それなりの売り上げを上げているらしい。不定期の別冊にならないのは俺のおかげだと烏丸さんはことあるごとに豪語するけれど、彼の取材力を考えればあながち嘘ではないだろう。


「なんの取材ですか?」


 と私が聞くと、烏丸さんは待ってましたとばかりに一歩前に出る。


「ネットでチョイスした、とあるシャッター街だ。シャッター街ってのは知ってるな?」


「シャッターを下ろした店が目立つ、衰退して活気のなくなった商店街ですよね」


「そうだ。そのとあるシャッター街はもはや廃村ならず廃商店街って感じで、どの店も営業なんてしちゃいなかった。近くにできたショッピングモールに全て客を持っていかれたんだろうな。悲しきかな、時代の流れってやつだ。だが店主達にしてみれば、ショッピングモールさえできなければっていう恨みつらみもあっただろう。そして、そういう坩堝るつぼと化した負の感情は、この世ならざるモノを呼び寄せることがある」


 ああ、この流れは。


「この世ならざるモノってなんですか。どうせ視ていなんですよね、そんなモノは」


「ふん、お前の言った通り視ちゃいないし、感じてもいねえよ。シャッターが下りているだけのクソ侘しい場所だっただけだ。だがしかし、そういった怪異が起こりうるという想定のもと、実際に起きたと脚色して記事にすることはできる」


「つまり、いつものでっちあげですね」


「でっちあげって言うな。創作と言え。何度言ったら分かる」


『奇怪忌譚』がムックに格下げしない理由は、烏丸さんの巧な創作術によるものもある。イマジネーションによって生成された絵空事を、あたかも事実かのように書き上げる彼の筆致は読者を夢中にさせるには充分過ぎた。


 不思議なのは創作であるにもかかわらず、自分も目撃しましたという人間が多く現れることだ。そういった人間がSNSで体験談を投稿し、拡散され話題となったのも一度や二度ではない。いつかは都市伝説にしてやると鼻息が荒い烏丸さんだけど、それこそ絵空事の域を超えてきそうな気がしている。


「はい、創作ですね。その怪異が都市伝説になることを祈っていますね。――ところで用件ってなんですか。二つあるみたいですけど」


 おお、そうだったと烏丸さんがジャケットの内ポケットから白い封書を取り出す。受け取る私。裏を見ると送り主は〝神田蒼汰〟となっていた。


「蒼汰君……」


 二ヵ月前に祓魔ふつまの対象だった八歳の少年だ。

 彼の可愛らしい顔が鮮明によみがえってくる。


「編集部宛てになっていたから読んじまったが、それは莉愛に向けたものだ。お前の家の住所が分からないからこっちに出したんだろう」


 私は封書の中から便箋を取り出し、拙くも一生懸命書いたと思われる文字を追った。



 りあちゃんへ。


 こんにちは、ひさしぶりです。神田そうたです。あのときはぼくをあくまから助けてくれてありがとうございました。ほんとうにすごくこわくて、しんじゃうかとおもったけど、りあちゃんが助けてくれてすごいうれしかったです。ありがとうございました。

 あれからぼくはずっと元気です。たいちょうもいいし、べんきょうもスポーツもがんばってます。りあちゃんは元気ですか? それとお花ありがとうございました。これからぼくはサッカーせんしゅになるゆめにむかってがんばっていきます。だからりあちゃんもがんばってください。


 神田そうたより。



 便箋のほかに一枚の写真が入っている。見ると笑顔の蒼汰君が、私がプレゼントした極楽鳥花ストレイチアと一緒に映っていた。


 ストレイチアの花言葉の一つに、〝輝かしい未来〟というのがある。蒼汰君からサッカー選手になりたい夢があるというのを聞いて、すぐに浮かんだのがこの花だった。


 私は心が暖かになるのを覚えながら便箋と写真を封書に戻す。


「蒼汰君、元気そうで良かったです」


「そうだな。悪魔が去ってくれて本当に良かった。小さい子供が苦しんでいる姿ほど辛いものはないからな」烏丸さんが一つ咳払いをする。「で、もう一つの要件なんだが……」


「また別の悪魔祓いですね」


「ああ、ご明察の通りだ。今回の件なんだが――……」


 蒼汰君のように誰かを救えるなら、迷うこともない。

 私は花屋であると同時に、悪魔を祓える祓魔師エクソシストでもあるのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る