Cパート
私は藤田刑事とともに真一を守りながら犯人の方に近づいた。そして壁際に姿を隠すと藤田刑事が祐介に話しかけた。
「おーい! 戸部。山内さんを連れてきた」
「山内です。あなたに話したくてここに来た」
真一が話しかけた。すると祐介が叫んだ。
「山内だけ来い!」
「話ならここでできるだろう」
藤田刑事がそう言ったが、戸部は猟銃を人質の方に向けた。
「早く来るんだ。そうでないと人質をここから突き落とす!」
真一が一人で祐介と対峙する・・・それはまるで死にに行くようなものだ。だが真一は藤田刑事に言った。
「行かせてください。そうしないとみんなが危ない」
「しかし犯人はあなたを殺そうとしているのですよ!」
「かまいません。本当のことを彼に伝えたいのです」
真一は真剣な目でそう言った。だが藤田刑事はそれを許そうとしない。すると真一は思い切った行動に出た。私たちの制止を振り切って壁際を離れ、前に出て行ってしまったのだ。こうなってはもう止めようがない。真一は祐介のそばまでゆっくり歩いて行き、やがて止まった。祐介は真一に猟銃を向けて言った。
「あの冬山で何があったんだ? お前たちは嘘をついている! 本当のことを話すんだ!」
「わかった。話そう。よく聞いてほしい・・・」
すると人質になっている4人が声を上げた。
「話さないで。私たちも話さないから」
「真一! やめるんだ!」
「お前が苦しむだけだ!」
「そうだ。いまさらそんなことを話しても・・・」
それを聞いて祐介は怒鳴った。
「うるさい! やはり何か隠しているんだな! 里子はただ滑落したんじゃないんだな! 言え!」
祐介は猟銃を真一に突き付けた。
「みんな、もういいんだ。僕の心は決まったんだ・・・」
真一はその時のことを話し始めた。
「僕たちは滑りやすい雪山の登山だったため、滑落を防ぐ目的で2人1組、ロープでつないで登っていた。僕は里子さんと組になり、最後方を歩いていた。それは頂上を目指しているときだった。いきなり足元が崩れて滑落しそうになった。だが何とかピッケルを差し込んで下まで落ちるのを防ぎ、里子さんをしっかり受け止めた。それで何とか危機を脱したと思った。だがその時、僕の前方にいた4人も滑落したのが見えた。何とかロープ1本つながっていたおかげで下まで落ちなかったが、4人とも宙ぶらりんとなっていた。彼らはいつロープが外れて下まで落ちてもおかしくない状態だった・・・」
真一の話を祐介はじっと聞いていた。
「僕は里子さんをそこに残し、4人の救出に向かった。そこでロープを使って何とか4人を引き上げることができた。しかし・・・」
真一はうつむいた。
「里子さんのところに戻るとそこに彼女の姿はなかった。雪の様子からその場所からさらに滑落して下まで落ちたようだった・・・」
真一がそこまで話すと祐介が狂ったようにわめいた。
「お前が・・・お前が里子を殺したんだ! 里子がいた場所は安全ではなかったんだ! いやお前が里子を放り出したんだ。多分、里子は『はなさないで』と懇願していたはずだ。それをお前は・・・」
祐介は両手でぐっと猟銃を握りしめていた。
するとそこに隙があったと思ったのだろうか、人質になっていた大塚が思い切って祐介に体をぶつけて猟銃を押さえた。
「みんな、逃げろ!」
大塚が叫ぶと残りの3人の人質はそこから走って逃げた。私は壁際から飛び出して、彼らを安全なところまで誘導した。そして藤田刑事はもみ合っている2人の方に向かった。
祐介と大塚は猟銃を取り合っているうちに、猟銃は飛んでいき、そのはずみで祐介は柵を超えた。彼はそこから転落したかのように見えた。
だがそうならなかった。真一がとっさに手をのばして祐介の腕をつかんでいた。祐介は思わず声を上げた。
「お、お前・・・どうして・・・」
「早く僕の腕をつかむんだ。はなさないで・・・」
真一は祐介を引き上げていった。駆けつけた藤田刑事もそれを手伝い、祐介をやっと柵の内側まで引き上げることができた。真一も祐介も「はぁ、はぁ」と息を切らせていた。
藤田刑事は祐介に手錠をはめて連行しようとした。その時、祐介は真一に言った。
「俺を助けたと思っていい気になるな! 俺の恨みは消えない。お前は里子をはなして死に追いやったんだからな!」
真一は祐介の方を向こうともせず、まるで独り言のようにつぶやいた。
「あの時、僕は里子さんをはなさずに安全なところまで連れていくべきだった。しかし・・・仲間が4人、下まで滑落しそうになっていた。すると里子さんがしがみついている手をはなした。『はなさないで! 危ないから』僕は言ったが、彼女は首を横に振った。『私は大丈夫。だから助けに行ってきて』と。僕はそこに彼女を置き去りにした。それで・・・」
真一の目には涙が光っていた。それを聞いて祐介は
「里子が・・・里子がそう言ったんだな・・・ううう・・・」
と言ってむせび泣いていた。祐介の心の中で優しかった妹の姿が浮かんでいたのかもしれない。彼は泣いたまま連行されていった。後に残った真一はただため息をついていた・・・。
事件は解決した。人質も犯人も無事だった。これも真一のおかげだと・・・私はそう思っていた。だがあることに気づいた。真一の姿がどこにもない・・・
「まさか・・・」
私は悪い予感がして屋上を探した。すると彼はぼうっと空を仰いでいた。柵の外で・・・。彼の体は柵を越えていたのだ。そして足元にはぬいだ靴が並べられていた。彼はここから飛び降りて死のうとしている。
(止めなければ・・・)
私は彼に近づいて声をかけた。
「山内さん! 早まらないでください!」
「刑事さん。来ないでください。僕は選択を誤って里子さんを死なせてしまった・・・」
真一の目からは涙が流れていた。
「でもあなたがそうしなければ4人の方が亡くなっていたかもしれなかったのよ!」
「でも僕のせいで里子さんが死んだのは確かです」
真一は後ろ手に柵をつかんでいた。その手をはなせば30メートル下に落下する。
「やめなさい! こんなことをしてどうなるの!」
私は彼に向かって大声を上げていた。彼は私の方を振り返った。
「僕は許されないことをした・・・」
彼は柵を手から放そうとしていた。
「はなさないで! その手をはなさないで!」
私は必死に叫んだ。だが彼は正面に向き直ると柵から手を放した。すると彼の体は強い風にあおられ、その足はコンクリートの床から離れていった・・・。そしてその体は吸い込まれるかのように落ちて行った。
私はすぐに1階に下りて外に出た。真一はアスファルトの道路の上で倒れていた。その体の下から血だまりが広がっていく。その傍らにはポケットから飛び出したと思われる遺書が落ちていた。
「どうして・・・」
私は思わず声を漏らした。真一は間違ったことをしたわけではない。それなのに・・・。私は呆然として立ち尽くしていた。すると後ろから、
「日比野」
と呼ぶ声がした。振り返ると荒木警部が厳しい顔で立っていた。
「警部・・・」
「彼は耐えきれなかったのだ。だから死を求めてここに来た・・・」
荒木警部は話した。
「彼は冬山で4人を助けた代わりに、戸部里子を死に追いやってしまった。これはトロッコ問題と同じだ。暴走するトロッコの線路の先には5人の作業員がいる。このまま進めば轢いてしまう。レバーを引けば線路が切り替わりその5人は助かるが、切り替えた先にいる1人の作業員が犠牲になる・・・。この命題には正解はない。どちらを選んでも苦しみを抱えることになる。彼は自分の判断に苦しんだに違いない。その苦悩の果てにこの結論に至ってしまった・・・」
荒木警部はそう言って遺体に手を合わせた。私は倒れている真一の顔を見た。その表情は肩の荷を下ろしたかのように安らかだった。あれほど苦悩していたはずなのに・・・。
トロッコの選択 広之新 @hironosin
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