きれいじゃないと許せない

選ぶ権利があるとはいえ

「先生もういい加減にしてください!」


「君こそ僕を殺したいのか?」


 朝から何をやっているのかと思えば、部屋の真ん中で紙きれの引っ張り合いか。いつものことだがやかましいことこの上ない。あくびをひとつして、いつもの窓際へ歩く。定位置に座ると、午前中の日差しがちょうど良い暖かさでまた眠くなってきた。もうすぐ春だというのに、この2人は毎日毎日同じことの繰り返し。飽きないのか全く。


 珍しく私より早起きのセンセイは、今日も黒い服の女となんやかんやと言い合いだ。毎日机に向かってなにやら人間の絵を描いているのを見ているが、しめきりがどうとかげんこうがどうとか、よくわからないが大事なことらしい。


「これ以上は待てません!もうこれで行かせてください!」


長岡ながおかさん、僕はこんなものを世に出したくはないんだわかってくれ……!」


「わかりません。締め切りより大事なものなんてありません!」


 黒い服の女、もといナガオカが、フシャー!と毛を逆立てる勢いで怒りだした。いや、さっきからずっと怒っているか。ナガオカはこの家に来ると大抵怒っている。何がそんなに気に入らないのかわからないが、センセイに怒っているのだなということはわかる。まだ若い、ように見えるが、苦労しているのだろう。テレビで見る若い女と比べると顔が疲れている。それに、いつもなんだか急いでいる様子だ。かわいそうに。


 センセイがため息をついてナガオカから目をそらした。窓際の私を見て、へらっと笑う。あまりそういう顔をしていては、ナガオカはもっと怒るのでは、と思ったが私のせいではない。窓の光の眩さで目を閉じる。


「……充分きれいですよ先生。大丈夫です」


「僕が大丈夫じゃないんだ。これじゃあ魅力の1ミリも読者に伝えられない……」


「というか毎回こうなるのならいい加減デジタルに移行してくださいよ」


「バカな……。デジタルなんかで僕のあの子への想いを伝えられるわけがない」


 こうして言い合いをしている間にも、2人の間にはお互いが引っ張り合う形で紙きれがあるのだが、2人共離すつもりはないらしい。大人の人間が紙の取り合いって、よくあることなのか?この家ではよくあることだが、他の家ではどうなのか少し興味がある。おそらく実際に見ることは叶わないが。


 ピン、と張ったこの紙きれ、いくつも分かれた小さい四角い枠の中にセンセイの絵が描いてある。絵を描いて対価をもらうというのはこの世界では割とすごいことで、多くは外へ出て動くことで対価を得ている。と、お隣に住むジローが言っていた。ジローによれば、センセイはすごいらしい。


 センセイとは、雨の降る日に出会った。ボサボサ髪に大きなメガネ、へらっと笑った顔。すごい人間には見えないけど、私はセンセイに感謝している。センセイが紙きれに描いている絵で、私はこうして暮らせているのだ。たぶん。


「とにかく、今から1ページ描き直すなんて無理です。もう原稿はこのままいただきます」


「ダメだ」


「ダメじゃないです」


「せめてこの部分、この部分だけ直させてほしい……!」


 はあ、とナガオカのため息が部屋に響くと共に、センセイの「頼む……!」という声が耳をくすぐる。私はセンセイの悲しそうな声が好きではない。一応共に暮らす身として、同居人の平和は保ちたいのだ。何をそんなに悲痛な声で、と2人の間を見ると、ちょうどセンセイの絵がこちらを向いているところであった。ああ、いつもの通りだ。黒と白。あとは少し変わった灰色。


 今日は少し黒が多いか?いや、待て。あれは……。


「お願いだ、この、ここの彼女だけは……」


「えっ、きゃあ!」


 ナガオカに頭を下げるセンセイの背中を蹴り、空中で1回転して紙きれを咥えて着地。ナガオカは私に驚いて手を離し、センセイはなにが起きたかわからないまま紙きれが手からすり抜けた。やはり。これは。


「ミャーコ!」


 この紙きれに描いてあるのは、私だ。レンガ造りの塀の上に座る黒い毛並みの猫。間違いない。左耳の小さな切り込み、これは私が子猫の時につけたキズだ。センセイが私の名を呼んだように、紙きれの中の人間も、なにやら叫んでいる。


 これが、私か?じっと紙きれを見つめる。私なのか、これが。違う。センセイが描く私は、もっと美しく、高潔で、しなやかで、愛嬌があるべきなのだ。こんなものは違う。私ではない。ミャーコと呼ばれるにふさわしくない。ナガオカの悲鳴を聞こえないふりをして、紙きれに爪を立て、ガブリと噛み、引き裂く。


「いやあー!!」


 ナガオカは、私が引き裂いた紙きれだったものを拾って、肉球が……肉球が……と呟きながら床に突っ伏した。流石に申し訳ないという気持ちもなくはないが、美しくない私は私ではない。そんな私を多くの人間が見ることなど、許せない。


「やっぱり君もそうだよなあ!」


 センセイの大きな声に、ビクッと体が反応する。怖くはない。しかし、人間の大きな声というのはいつまで経っても慣れないものだ。固まる私をセンセイは抱き上げ、ぎゅっと顔を近付けた。


「ほら、ミャーコもこんな絵は嫌だって!ミャーコが言うなら、仕方ないよね」


「言ってないですし……」


 ね〜ミャーコ、と私に話しかけるセンセイと、床に手をついたままのナガオカ。たぶんセンセイがいけない。なんとなくわかるけど、私にだって選ぶ権利はあると思うのだ。猫は自分の姿にうるさい。特に飼い猫は、きれいでいなければ。


「僕は君を離さないからね」


 更に近付いてきたセンセイの顔を前足で押して拒絶する。私を離す離さないより先に、ゲンコウとやらをちゃんとしてほしい。ナガオカのためにも。ナガオカの手から離された、紙きれだったものを眺めて、にゃあと鳴いておいた。





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