第55話 馬肉のシチュー
ゴブリンと向き合っていた男性の内のひとりが、怒りと怯えが混ざった表情でリゼットに詰め寄ってくる。
「お父さん……」
少女が真っ青な顔で涙を流しながら男を父と呼ぶ。男は顔を真っ青にして頭を抱えた。
「おとなしく渡しておけばよかったんだ……」
「それは本気でおっしゃっているんですか?」
「お前たちに何がわかる! また、報復される……!」
「村長……」
男のひとりが彼を村長と呼ぶ。
「自分の娘と食料をおとなしく渡すつもりだったのか……それはゴブリンの要求なのか?」
レオンハルトの静かな問いに、村長と呼ばれた男は握りしめた拳を震わせながら頷く。
「そうだ……人質を、寄こせと……」
「どうしてそんな理不尽な要求に従うんです」
リゼットは少女を村長から庇うように立ち、睨む。
腹が立って仕方がなかった。怒りでどうにかなりそうだったが、レオンハルトに肩を軽く叩かれる。
「詳しく話してもらえないか?」
「……半年ほど前に、この村にゴブリンがやってきて、家畜や農作物を奪われた……それが何度か続いたとき、たまたま居合わせた冒険者たちがゴブリンたちを倒してくれた」
村長は重い声で続ける。
「これでやっと平和になるかと思ったら、冒険者たちが出て行った後にゴブリンの集団がやってきて、報復された……そのとき言われたんだ。ゴブリンを殺したら、同じだけ人間を殺すと」
「ゴブリンが喋ったのですか?」
驚きで思わず声を上げる。
「いまはそこじゃねーだろ」
「かなり知能が高いゴブリンのようだな……ゴブリンロードかもしれない」
「ゴブリンロード……」
ゴブリンにも様々な種類がいるらしい。
村長は続ける。
「やつらに手を出せばその後、必ず集団で報復に来る。殺して、略奪し、家に火をかけ……そして……クソッ! お前たちのせいで――!」
悲痛な叫びが響く。長い間、恐怖と鬱屈に支配されてきた苦しみを、怒りのままに吐き出す。
――狡猾で邪悪。
レオンハルトから聞いたゴブリンの特性を思い出す。
ゴブリンたちはそうやって恐怖でこの村を支配しているのだ。だからこの村は貧しい。
よく見れば皆痩せていて、着ているものも質素だ。家も傷んできている。あちこちに暴力による破壊の跡がある。
「これからまた報復が来るのなら、おとなしく受け入れる気なのか?」
レオンハルトが問う。
「…………」
村人たちは沈黙する。それ以外の選択肢がないかのように。
「この土地を捨て、逃げるのもいいだろう。その間の護衛ぐらいはしよう。――だが、それでいいのか?」
レオンハルトが再び問う。
口調は落ち着いているものの、怒っているのはレオンハルトも同じだった。
「ゴブリンから逃げるのも、ゴブリンに支配されて生きるのも――ここで立ち上がり、人としての尊厳を取り戻すのも、そちらの自由だ。俺たちにできるのは戦うことだけ。あなたたちが立ち上がらないのなら、それも無意味だ」
「…………」
村長は重く口を閉ざす。彼にもわかっているはずだ。
現状でいいはずがないことに。もう後戻りはできないことに。
「……いいわけがない……」
振り絞るような呟きは、小さくとも強く響いた。村長は顔を上げる。怒りで赤くなった顔を。
「――悔しくないわけがない! ああ、そうだ! こんな生活耐えられるか! どうしておれたちがゴブリンごときに、すべてを、フィアを、奪われなきゃならないんだ!!」
「ならやることはひとつだ。覚悟を決めろ」
◆ ◆ ◆
「お腹が空いていては戦えません」
リゼットは村の広場で料理を始める。村長の娘であるフィアに手伝ってもらいながら。
メインの食材はゴブリンが乗ってきていた小型の馬だ。氷雪の嵐に巻き込まれて凍り付いたそれを解凍し、肉にしていく。
小型とはいえ馬は馬。一頭分の肉の量は多い。かなりの量の料理ができそうだ。食べ切れそうにない分は村に進呈した。いまごろそれぞれの家で料理されているころだろう。
肉と引き換えにもらった野菜と小麦粉、牛乳を合わせてシチューにする。特に新鮮な野菜はダンジョン内では摂取しにくいのでたくさん入れた。
「リゼットさんは冒険者なんですか?」
あとは煮込むだけという段階になって、フィアが純真な瞳で聞いてくる。
「はい、そうです」
「とてもキレイで、あんなに強いのに……なのにどうして冒険者をしているんですか?」
リゼットは微笑んだ。
身だしなみを褒められるのは嬉しい。強さを認めてもらえるのも嬉しい。だが強さを手に入れたのは冒険者になってからだ。
いまはもう手に入れた強さで、冒険者以外のものにもなれるのかもしれない。だがリゼットはまだそれを望まない。
「自由が好きだからです」
「自由……?」
フィアは不思議そうに聞き返す。
「自分のことを自分で決める。行く道も、未来も。それが自由です。フィアさん、あなたも自由なのですよ」
フィアは目を瞬かせる。戸惑いに表情が陰った。
「わたしにはそんなこと……」
「できます」
リゼットは鍋の底をかき混ぜながら断言する。
「あなたがそれを望めば、どこまでだって羽ばたけます」
フィアは怯えるように首を振る。まだ幼い彼女には、親に逆らうことにも、村を捨てることにも、自分ひとりで飛び出すことにも抵抗があるのだろう。
だがそれは今日までのことだ。
「大丈夫です。悪いゴブリンは私たちが全部倒しますから」
そうすればもうゴブリンに怯えることはない。――自分さえあのとき我慢してゴブリンのところに行っていれば、なんて思うこともなくなる。そのためにもゴブリンは殲滅しないといけない。
「約束します。だから、それができたら、どうか笑ってくださいね」
シチューの味見をする。とろとろのあたたかいそれは、塩加減も火の通り具合も充分だった。野菜と肉から旨味が染み出して、リゼットは頬を緩ませる。
「――うん、おいしい。フィアさんもいかがですか?」
「あの……このお肉……ゴブリンが乗っていた馬ですよね……?」
「はい。馬にもお肉にも罪はありません」
解体時には浄化魔法もしてある。
フィアは恐る恐るリゼットから皿を受け取った。
「……おいしい」
自然と溢れ出した笑顔と呟きに、リゼットはますます決意を固めた。
夕陽が山の向こうに落ちるころ、レオンハルトとディーが戦闘準備から戻ってくる。
リゼットはフィアを家に帰し、村の広場の篝火の中でシチューを器に盛り、馬肉のステーキを焼いた。
「この馬肉、甘味が強いな」
「くーっ、普通にうまい!」
レオンハルトの顔がほころび、ディーがやけに感動している。二人に喜んでもらえて、リゼットも嬉しくなる。そして自分も白い湯気の立つシチューを食べる。
「いただきます」
馬肉と野菜の甘味が絡まり合って、身体がじんわりとあたたまっていく。
「おいしい……」
空ではもうすぐ太陽が完全に沈もうとしていた。
――太陽は母神の一の眼、月は母神の二の眼だとされている。そうやって大地を常に見守っているのだと。
「ゴブリンはやってくるでしょうか」
「村に行った部隊が戻らなければ、必ず様子を見にくるだろう。できるだけ早いうちに。俺ならそうする」
「そうですね。心配になりますものね」
仲間が戻ってこなければ様子を見に行く。もちろん最大限に警戒して。
「村長から聞いた話では、報復にやって来るのは必ず夜だそうだ。ゴブリンは夜目も効くからな……」
「ザコだと思ってたけど割とやっかいなもんだな……あー、うまかった。んじゃオレ、そろそろ行くわ」
ディーは食べ終わるとすぐに立ち上がり、村の入口の方へと消えていく。
その影はすぐに夜闇に隠された。
食事が終わるとリゼットは残ったシチューの粗熱を取り、防水仕様の袋に入れて凍らせ、アイテム鞄の中に入れる。保存食にするために。
ふと、レオンハルトの表情がわずかに変わった。意識が村の外――森に向けられる。
(来ました)
村と森の境にある影の溜まりで灰色の目が光る。
ひとつふたつではなく何十も。
森の奥から何かの叫び声が響く。
理解できない言語だが、それは確かに言葉だった。仲間と意思を疎通させるための号令。
――ゴブリン。
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