第二章 名も無きダンジョン

第54話 地上のゴブリン


「なんて爽やかな旅日和でしょう。新しいダンジョンが私たちを呼んでいるかのようです」


 リゼットは森の道を歩きながら、うっとりと空を見上げる。

 空は旅を祝福するように晴れ渡っていて、雨が訪れそうな気配はない。風も強くなく、絶好の旅日和だ。


「おかしくね? なんでオレこんなとこにいるんだ?」


 仲間の一人であるディーが、リゼットの前を歩きながら首を捻っている。どうにもこうにも納得がいかない、と言わんばかりに。


「もしかして道に迷いましたか?」

「道じゃなくて人生に迷ってる気分だぜ」

「人生の迷子なら教会で相談でしょうか」


 迷える民の悩みを聞くのは、女神教会の役目のひとつだ。

 ディーは振り返り、焦げ茶色の目で呆れたようにリゼットを見てくる。


「お前本気で言ってんの?」

「もちろん本気です」

「そーだよな。お前はそういうやつだよな……そもそも西のダンジョンってどこにあんだよ」


 いまリゼットたちが向かっているのは、ダンジョン領域があったノルンから西に向かう山間の道だ。西に新しいダンジョンができたらしいという噂だけを頼りに、とりあえず西に向かっているという自由な旅である。


「西に向かって行くうちに、詳しい話が聞けるはずだ。ダンジョンの話は噂になりやすいし、どこまでも広がる。心配しなくて大丈夫だ」


 一番前を歩いているレオンハルトが振り返って言う。エメラルドグリーンの瞳が優しく笑い、明るい金髪が風で揺れた。


「そこは心配してねーけどよ。あーあ、どうせなら黄金都市に行って散財してえ……」

「黄金都市? それは、ランドールのことですか?」

「そう。そこそこ」


 ――ランドール。


 享楽都市や黄金都市と呼ばれる娯楽の都。あらゆる欲望を叶える場所と謳われており、一夜で富むものと貧するものが入れ替わるゴールドが飛び交う場所。


 王都と領地、そしてノルンダンジョン領域にしか行ったことがないリゼットだが、話には聞いたことがある。


「散財って何をするんだ?」


 レオンハルトが不思議そうに聞く。


「レオンなら何するよ。金ならいまは山ほどあるから、遊び放題だぜ」

「そうだな……武器防具アイテムの補充と手入れと、情報収集とか」

「真面目だ! クソ真面目!! おい、リゼットは?」

「そうですね……まずは価値の高いものを買い集めて、付加価値をつけて売りましょう」

「それは商売! 増やしてんじゃねーか! お前ら欲ねーのか?!」


 リゼットは首を傾げる。自分ほど欲深い者はいないと思っているからだ。だがずっと欲しかった自由を手に入れ、信頼できる仲間と共に旅ができて、旅の軍資金となるゴールドもある程度持っているいま、これ以上欲しいものが思い当たらない。


「ではディーは何をするのですか?」

「そりゃあギャンブルとか、酒とか……」

「まあ。ディーはギャンブルが強いんですね!」

「いや、強いとは……」


 もごもごと言葉を濁す。

 レオンハルトが苦笑する。


「あっという間に1000万ゴールドが消えそうだな」

「ぐっ……」

「金なんて、消えるときはすぐに消える。放蕩するより堅実に使った方がいい」

「……共同名義の元仲間に、銀行の金ほとんど引き出されてるヤツが言うと、重みが違うぜ」

「その話はしないでくれ……ん?」


 レオンハルトが不意に足を止める。


「ふたりとも、こっちに」


 真剣な声で呼ばれて木立ちの切れ目から指差された方を見る。

 山の下の方で、何らかの生物が集団で獣道を移動しているのが見えた。


 ヒューマンやエルフにしては随分小柄だ。

 ドワーフと比べたら細く、リリパットと比べると鈍重。


「ゴブリンの集団だ」

「ゴブリン……」


 目を凝らすと、木々の緑と同化しそうな緑色の肌と高い鷲鼻が見える。



【鑑定】ゴブリン。身体が小さく凶悪なモンスター。手先が器用で様々な道具をつくる。



 手には体格にあった小柄な――だが扱いやすく殺傷力の高そうな武器を持ち、小型の馬に乗った個体もいる。

 まるでいまからどこかに戦を仕掛けそうな勢いだ。


「どこかのダンジョンから出てきたゴブリンが、地上に適応したんだろうな」

「ゴブリンとかザコだろ?」

「油断は禁物だ。一瞬の油断が命取りになる」


 モンスターは凶悪だ。特殊な能力を持っていることもあるし、罠を仕掛けてくることもある。

 どんな歴戦の勇士でも一瞬の油断で殺されることがある。


「それに単体ならともかく、集団で行動しているとなると事態は良くない」


 リゼットはレオンハルトを見上げる。

 その横顔は危機感が溢れていた。


「ゴブリンは賢い。人間と同等の知能があるとされている」

「まあ、そうなのですね……」

「ただ、その性質は邪悪だ。それが集団となると尚更たちが悪い。おそらくやつらは、付近の集落を襲うつもりだろう」

「おいおい……あいつらの向かう先に家……いや、村があるぞ」

「行きましょう!」


 リゼットは即断した。

 知ったからには看過できない。


 リゼットはユニコーンの角杖を手に取ると、先端を村のあるという方角に向けた。


【魔力操作】【土魔法(初級)】


「道を!」


 リゼットの魔法に呼応して、木々が曲がり、草が押しのけられ、森が左右に割れて道が生まれる。


(なんて威力……【聖遺物の使い手】スキルのおかげでしょうか……)


「ダンジョン領域外でこれだけの威力が……」


 レオンハルトは息を飲み、ディーも驚きで声を失っていたが、一番驚いていたのはリゼットだった。魔法やスキルはダンジョン領域の外では威力が大幅に減衰するはずなのに、領域内と同じ威力を保っている。

 だがすぐに自分を取り戻す。戸惑っている時間はない。


「最短距離で行きましょう」





 山の中にひっそりと存在する、どこにでもありそうな村。

 いまその場所にはゴブリンの一団が押し寄せていた。


 先回りはできなかったが、戦闘や略奪が始まる前に到着することはできた。


「少し様子を見よう」


 レオンハルトの判断に従い、森に隠れながら様子を見る。

 少しでもゴブリンが村人を傷つけようとしたら、すぐに魔法を使おうと準備しながら。


 ゴブリンの数は二十ほど。

 小型の馬に乗っているのは指揮官か。


 ゴブリンたちの前には村人と思われる男性が三人。戦うような気配はなく、かといって対等な交渉するような様子もない。

 男たちの背後には食料と思わしきものが積まれている。あらかじめ準備されていたようで、そしてそれをゴブリンたちが運び出そうとしている。


 そして、十歳くらいの少女がひとり、食料の山の隣にいた。恐怖を感じながらも硬直して動けない様子で、じっと下を見つめていた。


 リゼットは短く息を飲んだ。

 ゴブリンの内の二体が、少女の手首をつかんだ。そのまま無理やり引っ張って、村から連れ出そうとしていた。


 そして誰もそれを止めようとしない。その様子はまるで、少女を生贄に捧げようとしているかのようだ――……


「フリーズアロー!」


 リゼットは反射的に立ち上がり、魔法を放っていた。

 氷の矢がゴブリンに刺さり、その場所の周囲を凍り付かせる。


「こっのイノシシ……」

「ディー、覚悟を決めろ」


 ディーが潜めた声で叫び、レオンハルトが剣を抜く。

 氷の矢を受けたゴブリンは倒れ、周囲のゴブリンがこちらに気づく。


 リゼットは真正面からその殺気を受け止めた。


【先制行動】【水魔法(上級)】【敵味方識別】


「フリーズストーム!」


 氷雪の嵐がゴブリンたちを取り囲む。


 ――一匹も逃がさない。その覚悟でリゼットは魔力を操り、ゴブリンを包囲する。

 ゴブリンは次々に凍てつき、寒さに耐えきれずに倒れていく。


 隠れていたゴブリンが、木の上からリゼットに飛び掛かってくる。レオンハルトが剣で斬る。

 逃げようとするゴブリンをディーの投げナイフが仕留める。


 しんとした森の静寂が戻ってくる。


「終わりました?」

「ああ、終わりだ」


 レオンハルトが言い、ディーも頷く。

 ゴブリンを全滅させたのを確認し、リゼットは村の中へ向かった。

 地面に座り込む、ゴブリンに連れ攫われかけていた少女の元へ。


「もう大丈夫です。怪我はありませんか?」


 声をかけ、手を差し伸べる。

 よほど怖い思いをしたのだろう。身体は震えていて、リゼットと目を合わせようとしない。


「――お、お前たち、なんてことをしてくれたんだ!」


 怒りと恐怖に引きつった男の声が、リゼットの背中に向けられた。




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