第52話 聖貨の支払い


「こんにちはー。ダンジョンクリアおめでと! さすがだねー、あっという間に解決しちゃったねー」


 ダンジョン跡地にやってきた錬金術師ラニアル・マドールは、尖った耳をかつてダンジョンのあった場所――灰の残る方向へ一度だけ向ける。


「ホント、バカなやつ」


 ぽつりと、独り言をこぼす。少し悲しげに。

 リゼットにはそれがあのダークエルフに向けられたもののように聞こえた。


「彼のことをご存じなのですか」

「エルフは長生きだからねー。大抵は知り合いさ」


 エルフはかなりの長命種だ。

 世界がいまの姿になる前から生きている個体も多いという。具体的な年齢がわからないほど古くから。


 ラニアルも見た目は少女だが、いったいどれぐらいの時を生きているのかは見当もつかない。


「ダンジョンを育て、モンスターを育て、世界を育て、モンスターを地上に放つのがダンジョンの主の使命みたいだけれど、失敗しちゃったみたいだねー。いろいろ頑張ってたみたいだけどさっ」


 ラニアルは軽く笑い飛ばす。


「ところで聞こえたよ。ドラゴン素材一式とかあるの? なら6000万で買うよー」


 錬金術師の提案を受けて、早速ダンジョンから持ち帰ったドラゴン素材一式を売る。

 白大金貨で6000万ゴールドを受け取り、聖貨の支払いのため教会に向かった。





「いえ、受け取れません」


 一人で教会の担当神官の元に訪れたリゼットに、担当神官はきっぱりとそう言って受け取りを拒否する。


「そんなことをおっしゃらないでください」

「そもそも私達は貴女様に謝らなければなりません。聖女である貴女様に非道な仕打ちと数々の無礼を――」

「いえそれは仕方なかったことですから」


 聖痕という確かな証がメルディアナにあった以上、教会がメルディアナを聖女と認定するのは当然のことだ。


「しかし……」


 神官は頑なだ。

 ここはリゼットが折れることにした。


「ではこれで貸し借りなしということで。過去のことはともかく、未来のことを考えましょう」


 聖堂隅を見る。

 そこには気を失って眠ったままのメルディアナとクラウディス侯爵代行が並んで寝かされていた。


 メルディアナの姿は元には戻らなかったが、命には別状がなく、体内機能にはほぼ老化や損傷はないとのことだ。


(教皇にお任せしてしまいたいところですが)


 このまま放置して去れば二人は処刑されるだろう。教会には死刑はないが、重い罰を受ける可能性は高い。特にメルディアナは。


 かと言って恩情を出せば、女神の聖遺物の使い手であるリゼットの身内として、傲慢に振る舞ったり、権力者に利用されたりするかもしれない。それも見過ごせない。


 リゼットは過去のことはもうどうでもよかった。過去の父やメルディアナの仕打ちも。元婚約者の仕打ちも。


 むしろ失ったもの以上のものを、このダンジョン領域で得ることができたから。


 それでも生まれ育った家の名前は守りたい。母や祖父祖母、先祖、一族の名誉は守りたい。


「私の意志を聞いてくださるのなら。身分剥奪の上で、教会で下働きから始めさせてあげてください」

「修道者にということですか……なるほど、わかりました。必ずやそのとおりに」

「はい。しっかりと働かせてあげてください」


 教会の権力は王より上だ。

 これで二人は教会に監視されながら保護されることとなるだろう。


 クラウディス家は侯爵代行を失うことになるが、後のことは親戚がなんとかしてくれるはずだ。


 聖女と貴族として贅沢に過ごしてきた二人には耐え難い日々が待っているかもしれないが。


(人間なんとかなるものです。命さえあれば)





「うっ……」


 かすかなうめき声が聞こえて、リゼットはメルディアナを見る。


「どうしてお姉様ばかり……」


 意識を取り戻したのではなく、ただのうわ言だった。


「…………」


 そしてリゼットはようやくわかった。

 この妹はずっと囚われているのだと。


「私ばかり見ているからです」


 おそらく最初に会ったときから。

 リゼット本人ではなく、幻影を見ていた。

 すべてに恵まれた裕福な姉の幻影を、羨み、憎んだ。


「これからは自分自身を見つめてください」


 その手に持つものを。

 その胸の中に秘めたものを。

 自分自身を。


 再び気絶したメルディアナにこの言葉が届いたかはわからない。

 聞こえていたとしても受け入れてはもらえないだろう。

 それでもいつか、幻影から解き放たれて自由になってほしいと思った。


 それには教会での修道は最適な環境だろう。





「教会の方の被害はどれくらい出ているのでしょう」

「ご安心ください。聖女様の奇跡と、冒険者の方や騎士が善戦してくださったため、街にも被害はさほど出ていません。怪我人の治療も進んでいるようです」

「それは良かったです」


 あれだけのモンスターが現れても、ほとんど被害がなかったことにこの街と冒険者の強さを実感する。


 ダンジョンがなくなったことでこの街は廃れていくかもしれないが、もしかしたらすぐに別の生き方や産業を見つけるのかもしれない。


 人間は強い。

 変化していける強さがある。


「私は聖女ではなくなりましたが、この国にはまた新しく聖女が誕生していますのでご心配なく。それでは失礼します」

「聖女様――」


 リゼットは首を横に振り、微笑む。


「私はもう聖女ではありません。ただの冒険者。そしてモンスター料理愛好家です!」

「も、モンスター料理……??」

「機会があればぜひ一度お試しください。きっと世界が変わりますから!」


 リゼットは一礼し、教会から出て仲間の元に戻った。

 これでもうリゼットは自由だ。


 外の光は目が眩むほどに輝いていた。


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