第50話 ダンジョン現界



「なによ、それ…」


 大地の底から響くような、恨みのこもった低い声。

 床に座り込んでいたメルディアナはよろめきながら立ち上がり、被っていた上着を床に叩きつける。


「いままでわたしのことを崇めていたくせに……利用してきたくせに、なんなのよその態度は……」


 メルディアナは食いしばった歯を軋ませ、リゼットを睨む。


「どうしてあんたばっかり……」

「…………」

「いつもいつも、あんたばっかり! どうしてわたしだけ、こんな姿にならなくちゃいけないのよ! ずるい、ずるいぃ! ずるいずるいずるい!」


 幼子のように癇癪に起こす。


「あんたはずっと幸せだったじゃない! これからはわたしの方が幸せでなくちゃいけないのに、こんなの不公平よ!――返してよ! わたしの力を、美しさを、幸せを! うっ……うああああああん!」


 魂の奥底からの慟哭。

 誰も近づくことはできなかった。


 しかし唯一、メルディアナの叫びに応えるかのように、首の後ろから深い闇が立ち上る。

 ――聖痕を移した場所が。


 ふっと、メルディアナの後ろに人の姿が現れる。まるで闇から生まれたように唐突に。

 褐色の肌と銀色の髪の青年は、メルディアナを後ろから愛しげに抱きしめる。


「素敵だ……なんて欲深いんだメル。その欲深さこそ、僕が見たかったものだ」


 どろどろの蜜飴のような甘い声。

 メルディアナの聖痕を見つめる銀色の瞳。

 そして、長く尖った耳。


 リゼットには見覚えがあった。

 リゼットからメルディアナに聖痕を移したときに、その場にいた――


「黒魔術師……!」



【鑑定】ダークエルフ。女神に忠誠を誓わなかった古代種。



 ダークエルフはメルディアナの顎をうっとりとなぞる。


「さあ欲しがれ。我らが父祖である巨人の力を。そうすれば全部君のものだ。力も若さも美しさも、愛も」

「う、ああ……ああああああッ!!」


 風が吹く。

 閉じられた室内にも関わらず、激しい風がメルディアナに向かって。嵐のような風が吹く。


 外から悲鳴が聞こえてくる。ひとつだけではない。いくつも。

 祭壇奥のステンドグラスが割れる。

 降り注ぐ色とりどりのガラスの欠片をレオンハルトの魔力防壁が防ぐ。


 そして割れたステンドグラスの向こう側から、二羽のハーピーが、高らかに笑いながら飛び込んでくる。

 女性の頭を持つ巨大な鳥が。


 突然のモンスター襲来に聖堂内が騒然となる。


「フリーズアロー!」


 リゼットはとっさに魔法を使ってハーピーを撃ち落とす。

 死んだモンスターがすぐ側に落ちてきて、クラウディス侯爵代行はそのまま失神し、ベルン次期公爵はどこかへ逃げ出した。


 いつの間にか風が止んでいたとき、メルディアナと黒魔術師の姿は消えていた。


「いったいどこへ……」

「それよりなんだよいまの! モンスターがなんでこんなとこに!」


 ディーが皆が抱いている疑問を叫び、外からは悲鳴と喧騒が絶えず響いている。

 聖堂内に駆け込んできた修道者の一人が叫ぶ。


「大変です! ダンジョンからモンスターが次々と湧き出しています!」





 修道者を後ろから突き飛ばすように、緑色のスライムが中に入ってくる。

 モンスターに慣れていない人々が悲鳴を上げて逃げ惑う。

 レオンハルトは真正面からスライムに肉薄し、剣で薙ぎ払う。


「モンスターを外で迎え撃つ。戦えないものは教会内に。教会騎士は中を守ってくれ」


 外から教会内に次々と入ってくるスライムや大ガエルを倒しながらレオンハルトがよく通る声で指示を出す。


「わかりました! フリーズアロー!」


 リゼットは複数の氷の矢を出して、モンスターの数を減らしながらレオンハルトを追いかける。


 スキル【敵味方識別】を使っているためモンスター以外には魔法は当たらないとはいえ、建物外での魔法の使用は制約が多い。


 下手に燃え上がれば火事となる。


 火の女神の毛髪から憎々しげな声が響く。


『ふん。ダークエルフめ。あの娘の渇望を利用して、ダンジョンを地上へ引きずり出したか。このままではダンジョン内のモンスターが無尽蔵に溢れ出すぞ』





 教会から外に出ると、ストーンゴーレムやコカトリスが道を闊歩している光景が広がっていた


 冒険者や戦えるものはモンスターと戦っているが、モンスターの数があまりにも多すぎる。


 空にはハーピーが飛び、冒険者ギルドの屋根には翼を持つ小型の竜が何匹も止まっている。

 弱いモンスターも強いモンスターも、誰かに命じられているかのように、等しく街を、人を襲っていた。


 ダンジョンがあった方角を見れば、巨大な塔が出現していた。

 まるで骨が集まったかのような白くボコボコとした塔が。

 モンスターはそこから溢れ出している。


 ――塔ではない。地上に現れたダンジョンだ。


「ダンジョンが地上に……」


 火の女神ルルドゥが言ったとおりに。


 しかしリゼットの見たダンジョンはもっと広大だった。いくつもの世界が広がっていた。

 あれではあの世界の広さは入らない。

 ダンジョンの中は本当に異世界なのだろう。


『実際の大きさはあんなものだ。さあどうする。聖遺物の使い手よ』


 ダンジョンから溢れ出してくるモンスターを見つめる。


「本気でこれだけの量のモンスター相手にするのかよ、クソ。オレは役に立たねーぞ」


 ディーが悪態をつく。

 確かにこれだけのモンスターを相手にするのは分が悪すぎる。一か所で戦っている間に別の場所で被害が出るだろう。


「ルルドゥ。ひとつだけお願いを聞いてください」


 リゼットは手に持っている火の女神の毛髪に声をかける。


『言ってみよ』

「これからもこの土地に新たな聖女が生まれ、女神の祝福が訪れるように、私を聖女ではないものにしてください。それが交換条件です」


 聖女は土地に、国に、教会に縛られる。

 そんな束縛をリゼットは望まない。


 もっと自由に羽ばたきたい。たとえダンジョンの奥底で命を落とすことになっても。


 聖女の力はもっと、民と国を慈しむ心を持つ存在に託す方がいい。誇りと使命感を持ってやり遂げられる存在に。


『案ずるな。母神はいつでも我らを見守って下さっている』

「ありがとうございます」


 それはなんの担保にもならない返答だったが、言質は取った。


 リゼットが聖遺物を受け入れると決意した瞬間、聖遺物が激しく燃え上がり神聖な炎となる。

 あたたかな炎はリゼットを包み込み、リゼットの身体の中に消えた。


 魔力の高まりを感じる。火の魔法が強化されたのを感じる。

 いままで以上に女神の力を感じる。

 目が熱い。リゼットの髪が赤く燃えている。


 リゼットは気を強く持った。

 力に支配されてはいけない。


(私がこの力を支配する)


【火魔法(神級)】【敵味方識別】【魔法座標補正】


「アルティメットブレイズ!!」


 女神の炎を呼ぶ。

 天に座する母神を。

 地に降りた女神を。

 その炎を。


 刹那、天が割れて白い火矢が地上へ降り注ぐ。

 無数の白い炎は地上のモンスターを貫き、その身体を瞬時に焼き尽くす。


 地上へ這い出てきていたモンスターたちすべてを。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る