第49話 聖女
「聖女メルディアナ様……」
教会騎士であるダグラスが聖女の名前を呼ぶ。
メルディアナはヴェールを脱ぐことなく、神官たちに向けて声を発した。
「何をしているのです。冒険者がダンジョンから得たものの権利は冒険者のもの。そしてそれが女神の聖遺物なのでしたら、教会が保有する以外ありえません。さあ、早く用意なさい」
命令されてリゼット担当神官以外の二人の神官が奥に下がる。
(……まさか本当に1億ゴールドで買うつもりなのかしら)
ダンジョン脱出前の話し合いで、聖遺物とドラゴン素材を売って、リゼットとディーの罰金を払って残りを山分けすることになっている。
さすがに取り分が大きすぎるとリゼットは主張したが多数決で押し切られた。
皆への分配金を増やすために少しでも高く売るつもりだったが、まさか価格交渉もなしでそのまま通るとは。
所詮は教会のゴールド、メルディアナのゴールドでも侯爵家のゴールドでもないからどうでもいいということだろうか。
「おめでとうございます、お姉様。これで自由の身ですのね。信じていました」
メルディアナの真意は見えない。
ヴェールのせいだけではなく。
「お姉様、聖遺物を近くで見させていただいてもよろしいかしら」
「ええ、もちろん」
リゼットは燃える毛髪をメルディアナに差し出した。
手袋をしたメルディアナの指先が、炎に触れる。
「――熱っ、熱いぃ!!」
炎が手袋に引火し、それは瞬く間にヴェールを伝って、炎がメルディアナを包み込む。
「水よ!」
悲鳴を上げて床に転がるメルディアナに向けて、リゼットは水魔法を唱える。
すぐに大量の水がメルディアナの上から降り注ぎ、炎は消えた。
「す、すぐに回復術を――」
ヒルデがメルディアナの火傷を癒そうと駆け寄る。
「いやぁ! 見ないで!」
悲痛な叫びが響く。
ヴェールが焼け落ちて見えた姿は、リゼットが知っているものとは変わっていた。
美しい緑髪は色褪せて艶がなくなり、身体は枯れ枝のように細く、肌には深い皺が刻まれていた。
それは老婆の姿だった。
「メ、メルディアナ? その姿はいったい……?」
ベルン次期公爵は顔を引きつらせながら、しかしなんとか落ち着こうとしながら、老婆の姿となったメルディアナに心配の声をかける。
ヒルデの回復術によりメルディアナの火傷はすぐに治療される。
メルディアナはわなわな震えながら、父であるクラウディス侯爵代行から上着を借りて顔を隠した。
「……お姉様……ひどい……」
弱々しい声で、ぽつりと。
「なんだって!? リゼットの仕業なのか?」
リゼットは知らない。
メルディアナがそんな姿になっていたことも。
その理由もまったく心当たりがない。
メルディアナはそれ以上語らず、儚くすすり泣く。
ベルン次期公爵は怒りに燃える目でリゼットを睨んだ。
「リゼット、君はなんて愚かなことを……自分の妹をこのような姿にするなんて……神罰が下るぞ!」
「いえ、私には心当たりがありません」
「嘘をつくな! メルディアナが泣いているんだぞ!」
大仰に身振り手振りを加えてリゼットを糾弾する。
いくら否定しても彼がリゼットを信じることはないだろう。
「……なんなんだあいつ」
声を潜めてディーが聞いてくる。
「……公爵家の跡取りで、私の元婚約者で、妹の現婚約者です」
声を潜めてこっそり答える。
「ふんっ、どうせ聖遺物と言っているそれも偽物だろう。聖女であるメルディアナを傷つけるものが女神の聖遺物なわけがない!」
喚き立てる。
向こうはリゼットの言うことなど一切聞く気はない。
リゼットも小さくため息をついてしまう。
やはり地上には面倒事しかない。
力がすべてのシンプルなダンジョン生活が早くも懐かしいと思った。
その時、レオンハルトが前に出る。
「――女神はリゼットを認め、その身体の一部をリゼットに下賜された。証人は俺たちだ。偽物などという妄言は控えてもらおう」
「どこの馬の骨ともわからぬ冒険者ごときが口を挟むな!」
「俺はレオンハルト・ヴィルフリート。ヴィル国の第二王子だ」
(レオン――?)
レオンハルトの名乗りに、ベルン次期公爵があんぐりと口を開ける。
クラウディス侯爵代行も息を詰まらせ、座り込んでいたメルディアナも顔を上げた。
「あ、はい。竜の血を浴びた英雄の末裔ですねー。スキルに王族の証の【竜の血(覚醒)】もありますから、立派な王位継承権を持つ王子様です」
エルフの錬金術師ラニアルがにこにこと鑑定結果を告げる。
「俺たちの証言で足りないのなら、教会騎士も証人だ」
「はい。教会騎士ダグラス、女神に誓って事実を述べます」
ダグラスがリゼットに――リゼットが持つ女神の聖遺物に敬礼をする。
「火の女神はリゼット様を女神の使徒に命じ、聖遺物を託されました。私はダンジョンの第六層でそのやり取りのすべてを見ておりました」
「う……ぐ……だが、それが本物だというのなら、どうして女神の娘であるメルディアナを傷つけるのだ」
「その聖女が偽物だからだろう」
多くの観衆が薄っすらと抱いていた疑念を、レオンハルトはあっさりと口にする。
さすがにリゼットも慌てた。ディーも冷や汗を垂らしている。
「お、おいおい……教会とやり合う気かよ……」
「間違いが力ずくで通されようとしているのなら、それは悪だ」
――悪。
(……レオンは戦おうとしている。私は……)
レオンハルトは己が許せないものと戦おうとしている。
いままでリゼットが諦め、正面から向き合ってこなかったものに。
「いくら他国の王族と言えど、聖女への侮辱は許さん!! この不届き者たちを捕らえろ!!」
ベルン次期公爵の命令には誰も従わない。
そもそも彼に教会内での命令権はない。
レオンハルトは前に一歩踏み出す。
「メルディアナ。あなたは真の聖女であるリゼットから聖痕を奪って聖女を騙った上に、無実の罪でリゼットをダンジョン送りにし、更には懸賞金までかけて命を奪おうとした」
「そ、そん、な……」
「違うというのなら、あなたこそが聖女であるという証拠を見せてほしい」
冷静な声と表情で語りかける。
威厳さえ感じられる佇まい。
静かな圧に、メルディアナは言葉を詰まらせ顔を伏せた。
――沈黙。
時が止まったかのような長い沈黙。
周囲の視線はメルディアナに集中する。それは疑惑の目だった。
(メルディアナ、あなたは……)
この地上の壊れそうな結界を見れば、いまにも溢れ出しそうな大地の呪いを見ていれば、メルディアナが聖女の仕事を果たしていないことは明白だった。
果たしていないのか。果たせないのか。
そのことがメルディアナへの疑惑を深めているのだろう。
(私は、前に進む)
もう逃げない。
リゼットは心を決めて、うつむいたままのメルディアナを見つめた。
顔を上げ、聖堂のステンドグラスを見上げる。そこに描かれた女神の姿を。
火の女神ルルドゥが言ったように、リゼットがまだ聖女ならば――
リゼットは天井を仰ぐ。その先の空を見つめる。
その視線に答えるかのように、リゼットの胸の奥に光が灯る。かつて聖痕が現れた場所に。
教会の屋根を貫いて降ってきた光がリゼットを包み込む。
力が降りてくる。
力が湧いてくる。
(祝福を――)
世界を守る女神の祝福を。
(この大地に、祝福と安らぎを――)
リゼットは瞼を下ろし、力に導かれるままに、結界魔法を展開する。広域結界魔法を。
壊れかけていた大地の結界を修復しながら、更にその周囲まで結界を広げていく。
水面に水滴が落ちるように、この場所を中心に広く、広く――
瞼を開くと地面からきらきらと光が浮かび上がっていくのが見えた。
リゼットによる結界の修復は成功した。
これで当分の間この地の周囲に呪いが噴き出すことはないだろう。
「聖女様……」
「……やはり真の聖女様は――」
神官や教会騎士たちからの崇拝の眼差しがリゼットに向けられている。
そして口々にリゼットを聖女と呼んだ。
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