第41話 第六層のドラゴン
倒れたトレントの内側――崩れかけている樹皮の奥の空洞に、階段がひっそりと存在していた。
下へ向かう階段を降りた先には、岩肌がむき出しの洞窟があった。
――第六層。深淵。
岩肌には光る苔が生えているため洞窟内はランプを必要としないほど明るい。
「ここにドラゴンがいるんですね……」
呟きが洞窟内に反響する。
恐ろしいほどに静かだった。モンスターの気配もない。コウモリやスライムなどの洞窟にはつきものの下級モンスターもいない。まるでモンスターもこの場所を避けているかのように。
胸を圧迫するような威圧感だけが広がっていた。
レオンハルトとディーも緊張しているのか、口数が少ない。
一本道をひたすら進む。
やがて突き当りに大きな扉が現れる。地下に埋もれた神殿のような、シンプルでありながら荘厳な石の扉が。
扉には彫刻が施されている。水の流れのような曲線と円の彫刻が。
「こいつは魔力を通すタイプだな」
「では私が」
ディーの見立てに従い、扉に両手を当て、魔力を流し込む。
封印が開く手応えがあった。
そのままゆっくり扉を押すと、リゼットの力でも重厚な扉は難なく開いていく。
そして――
神殿のような石造りの大広間にいたのは、二つの頭を持つドラゴンだった。
緑の頑強そうなウロコに覆われた大きな身体に、二本の長い首と赤い頭と白い頭。
パタン……
「閉じるなよ!」
「いきなり目の前にいるんですもの!」
激しく脈を打つ胸を押さえて涙目で叫ぶ。
あまりにも突然の登場に動悸が止まらない。
「とりあえず落ち着いて。作戦をおさらいしておこう」
レオンハルトの提案に賛成し、扉の前で対ドラゴンの作戦会議を行う。
「最初に炎と吹雪のブレスが来るだろう」
「物騒な挨拶だぜ……」
「一度吐けば次の充填には時間がかかる。吐く前には予備動作があるから、ブレスのタイミングはわかる。ブレスは俺が防ぐから、あまり離れないようにしてくれ」
レオンハルトは一度このドラゴンと対峙している。その時は準備不足を悟って撤退したと言っていたが、ブレスが【聖盾】のスキルで防げるのは実証済みらしい。
「あと、尾の攻撃も強力だから尾の範囲には入らないように」
頷く。
ドラゴンは巨体なので動作はやや遅いため、気をつけていれば背後に回ることはないだろう。
「強敵だが、攻撃は物理も魔法も効く。体力はあるがある程度弱らせると自己回復に入る。最大火力を叩き込むタイミングはそこだ。――リゼット」
「はい」
「状況を見て、どちらかの頭を集中的に潰してほしい。君の魔法なら通る」
「わかりました。任せてください。全力で成し遂げます!」
ここまで来ればリゼットも自分の魔法には自信があった。信じて頼ってもらえるのなら、あとは全力でドラゴンにぶつけるだけだ。
「ディーは様子を見て、渡したアイテム類を使ってくれ」
「了解」
答えつつもディーの顔色は優れない。
「なあ……本当にあんなやつに勝てるのか?」
ドラゴンはあらゆるモンスター――否、あらゆる生命の中で至高の存在だ。
高い知性と強大な力、強靭な身体。
個の人間ではその力には敵わない。
ドラゴンに勝利できるのは、勇者や英雄という選ばれた人間だけだ。
「このダンジョンのドラゴンを倒したパーティはまだないらしい」
「私たちが最初ということですね」
「そういうこと」
――個の人間では勝てなくても。
仲間と力を合わせれば勝機はある。
リゼットが笑うと、レオンハルトも笑う。
ディーは仕方なさそうにため息をついた。
「まっ、せっかくここまで来たんだから行くか」
リゼットはもう一度扉を開ける。
ドラゴンの待つ場所へと、足を踏み入れた。
――ドラゴン。
深淵の神殿を思わせる空間で、何かを守るように存在する二つ頭のドラゴンが、寝そべっていた身体を起こす。
四つの足で床を踏みしめて巨体を支え、空を飛べそうな翼を広げ、咆哮する。二つの叫びがダンジョンを揺るがし、威嚇するように叩きつけられた太い尾が地面を揺らす。
二つの長い首が揺れ、二つの口から炎のブレスと氷のブレスが同時に吐き出された。
レオンハルトの魔力防壁――【聖盾】が発動する。
二つのブレス――炎と氷のブレスは相反する属性にもかかわらず互いを相殺させることなく、むしろ双方の威力を増幅させて、【聖盾】の上に降りかかる。
ブレスは、いままですべての攻撃を防いできた魔力防壁にヒビを入れた。
(割れる――)
リゼットはとっさに結界を張り、魔力防壁を強化しようとする。
しかし、結界もろとも【聖盾】は割れた。
炎の海と氷の嵐が混ざりながら迫りくる。
リゼットは魔法を使おうとした。
火魔法と水魔法。両方を同時に使って中和させ、相殺しようとした。
だが――間に合わない。
そのときリゼットは初めて死と直面した。
レオンハルトの身体が燃える。
ディーの身体が氷と化す。
『身代わりの心臓』は持ち主の死に反応し、その身体を脱出の光で包み込む。
弾けるような光が天に向かう。流星のように激しく輝いて。
ふたつの脱出の光を見送って、リゼットは正気を取り戻した。部屋の壁にもたれ、座り込んだ状態で。
(生きている……)
リゼットは生きている。
とっさの判断でスキルポイントで結界を強化し、範囲が狭いが強固な結界を張って自分を守った。自分だけを。
死にたくないと、生きたいと思ったから。
苦笑する。
炎の海がまだ燃えている中、立ち上がる。
(次のブレスは防げる……? 尾撃は?)
ドラゴンとふたりきり。一対一。
状況は絶望的。
しかしドラゴンは目線も意識も払ってこず、侵入者が消えたとみて休息に戻ろうとしている。
リゼットは気づいた。ドラゴンがこちらを見失っていることに。
結界がリゼットの姿と気配を遮断しているからだ。ドラゴンからすればここにはもう誰も存在しない。
選択肢はふたつ。
――脱出を試みる。
――戦う。
「…………」
リゼットは天を仰ぐ。
高い天井を見上げ、微笑む。
視線を下ろし、ドラゴンを見つめる。美しい最上の生き物に、手を伸ばした。
「ドラゴンさん、私と朝までダンスをしましょうか」
朝も昼もない地の底で。
リゼットはユニコーンの角杖を握った。
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