第37話 告白


 リゼットに聖女の証である聖痕があったことを、誰かに話す日が来るとは思ってもみなかった。

 言葉を失うふたりの前で、リゼットは話を続ける。


「聖痕は黒魔術師によって妹に移殖されました。その妹がこの国の当代の聖女、メルディアナです」


 リゼットは自分の胸にそっと手を当てる。

 かつて聖痕が現れた場所を。その聖痕はいまはメルディアナの首の後ろにある。


「……私は聖女を侮辱したという罪で、5000万ゴールドの罰金を負わされダンジョン送りにされて、いまここにいます」


 短い話を終えたあとに待っていたのは、胸が苦しくなるほどの沈黙だった。

 ふたりの反応が怖くて顔を上げられない。


「リゼット」


 恐る恐る顔を上げると、レオンハルトのエメラルドの瞳と目があった。


「何か理由があってダンジョンに来たんだろうとは思っていた。話を聞いて納得したよ。話してくれてありがとう」


 レオンハルトの雰囲気はいつもと変わらない。落ち着いた穏やかな表情だった。

 ディーは両手で耳を押さえてうずくまっていた。


「引かないんじゃなかったのか」

「お前らの理由が重すぎなんだ! 王族だの聖女だの……はぁ……お前らも苦労してたんだな」


 肘をついて同情するようにレオンハルトとリゼットを交互に見る。

 ふたりとも変わらない。リゼットの告白を聞いても、何も態度が変わっていない。

 そのことにほっとして、涙が出そうになった。


「それにしても、どうして君の妹はそこまでして聖女になったんだ?」

「…………」


 ――お姉様ばかり、ずるいわ。


 メルディアナの責めるような目を思い出す。


「昔から私のものを何でも欲しがった妹です。聖女という地位も欲しくなったのでしょう」

「そんなことで……?」

「いやぁ、身近な人間の持ってるものは羨ましく見えるもんだぞ」


 リゼット自身は聖女の地位には執着はなかった。聖女は名誉ある役目だが、しがらみも多い。大地に結界を施す重要性はよくわかっていたが、聖女となれば自由はなくなる。


 だから聖痕を奪われたとき、痛みはあったが同時に喜びもあった。

 その時に思ったのだ。


 ――ああ本当に私は聖女失格だ。

 ――メルディアナが聖女になって良かった。


「……黒魔術を使って聖痕を奪ったとなれば、関係者は全員、女神教会に捕らえられる」

「うえっ。そんなにヤバい話なのか?」

「黒魔術は前時代の古代種が、大地の巨人の力を使って行使する術だ。大地の呪いを強め、結界の弱体化を早めると言われている」


 レオンハルトの説明に、ディーは辟易した表情になる。


「難しい話だなぁおい」

「まあとにかく禁術だ」


 ――そう。聖女交代の問題があるとすれば一つだけ。黒魔術が使われたこと、その一点にある。


 父や妹はどこで聖痕を移す方法を知ったのか。

 どこで黒魔術士を見つけたのか。

 聖女の役割をリゼットから奪うためだけに、どうして禁忌まで犯したのか。

 リゼットは何も知らない。


 ただあの黒魔術師の目だけはよく覚えている。

 この世界のすべてを憎むかのような、銀色の瞳。


「リゼット、君はどうしたい」

「――えっ……?」


 レオンハルトがリゼットの前に膝をつく。

 エメラルドの瞳がまっすぐにリゼットを見つめる。


「すべてを取り戻したいのか、聖女に戻りたいのか、復讐をしたいのか、それとも他に何か」

「…………」

「君の気持ちを聞かせてほしい」

「私は……」


 リゼットはわからなかった。本当の気持ちが。望みが。これからどうしたいのか。

 そんなことは考えたことがなかった。


 これから何がしたいのか。

 どう生きていきたいのか。


 かつての日々を取り戻したいのか。

 復讐をしたいのか。


 ――どちらも違う。


「私は……ドラゴンステーキを食べたい」





 部屋が静まり返る。


「……お前いま冗談言うところじゃないぞ」

「冗談ではありませんっ。ドラゴンを討伐して、ステーキを食べたいんです!」

「え、本気? やべえ」


 取り乱すのはみっともないこと。

 いつでも優雅でいなければならない。

 そう躾けられてきたのに、止まらない。

 一度堰を切って溢れ出した感情は止まらない。


「私は……地上に、妹に、父に、何もかもに嫌気が差してダンジョンに籠もりました。逃げたかったんです。誰もいないところに逃げたかった……」


 地上にいれば確実にトラブルに巻き込まれる。聖貨を稼ぐために、不本意な仕事に就かされる可能性もあった。


 だからダンジョンに逃げた。

 憧れの地でもあったダンジョンに。


「でも――でも、ダンジョンの恵みをおいしくいただいているうちに、レオンと会ってドラゴンのお話を聞いて……」


 いつの間にか溢れていた涙が零れ落ちる。


「ドラゴンステーキを食べたいと思ったんです」

「…………」


 ダンジョンの奥にいる最強のドラゴンと戦い、勝利して、ドラゴンステーキを皆で食べたいと。


「それが、私のやりたいことです」


 ダンジョンで見つけた、やりたいこと。


 最初は単なる興味だった。だがいつしかそれは、前に進むための動機になっていた。目標になっていた。

 子どもじみたわがままかもしれない。いびつな欲求かもしれない。

 だがこれこそが本当の気持ちだ。


「――決まりだ」


 リゼットの前に膝をついていたレオンハルトが立ち上がる。


「俺はリゼットの望みを叶える。ディーはどうする?」


 ディーは座ったままレオンハルトをじっと睨んだ。


「ドラゴン殺って、ステーキ食べて、その後はどうするんだよ」

「ドラゴンの素材を売ればまとまった額になるはずだ。それを聖貨として納めれば、賞金首の取り下げぐらいできるだろう」

「無謀だ無謀。お前らは強いがオレは戦力外だ。回復役もいねえし。二人でドラゴン倒すだなんてのはバカの考えだ」

「回復と蘇生は使える」

「レオンは盾の仕事があるだろーが」


 大きくため息をつき、背中を曲げて膝に両肘をついて視線をそらす。


「……死ににいくようなもんだ。誰も辿り着けないところで死んじまったら、本当に死ぬ」


 ダンジョン領域では死んでも蘇生魔法で復活できる。

 しかし復活することなく骨となり灰となれば、ダンジョンの一部となる。

 それは本当の死だ。


「オレは早々と脱出して出頭するのをオススメするね。賞金首狙いの奴らに捕まったらタダじゃすまねーぞ」

「賞金をかけた相手はおそらく女神教会か聖女だろう。おとなしく表に出たところで助かるとは思えない」


 ディーもその考えは否定できないらしく黙る。


「だがダンジョンの奥には、現状を打破する何かがあるかもしれない」

「一攫千金狙いかよ」


 失笑するディーに、レオンハルトは不敵に笑い返す。


「ダンジョンに挑む理由としては真っ当すぎるだろう?」



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