第26話 聖女メルディアナの失踪【Side:メルディアナ】
聖女メルディアナは王都に帰還してすぐに、気分が優れないことを理由に実家であるクラウディス侯爵家に強引に戻った。
そして自室に閉じこもると使用人の中でもわずかな者しか部屋に入ることを許さず、誰にも姿を見せなくなった。
教会の関係者も再三見舞いに訪れて教会で療養することを促したが、メルディアナは一切応じることはなく、姿を見せることもなかった。婚約者の次期公爵にも。
「メルディアナ、私の可愛いメルディアナ」
今日もまた父親である侯爵代行が、愛娘の部屋の前からメルディアナに呼びかける。
「いったいどうしたんだ。ずっと部屋にこもりきりで。皆が心配している。神官たちも待ってくださっている。早く奇跡を見せておやりなさい」
「……お父様」
部屋の中から響いた、久しぶりに聞く愛しい娘の声に侯爵代行は安堵する。
内からわずかに扉を開くと、侯爵代行は喜び勇んで中に入った。
「どうしたんだメルディアナ、こんな暗い部屋で……それにその姿は」
カーテンも開いていない暗い部屋。
メルディアナはそこで全身をヴェールで覆い隠して立っていた。
ヴェールからは髪がわずかに見えるのみで、肌も顔も完全に隠されている。
「お父様はわたしの味方……?」
「もちろん。何があってもお前の味方だ。可愛いメルディアナ」
「……本当に?」
「ああ、お前を必ず守ろう」
「……こんな、姿でも?」
メルディアナはそっとヴェールを外す。手袋をした細い指で。
「うっ……うわああ!」
まるで悪魔でも見たかのように、侯爵代行は怯えながら床に腰を打った。
「メ、メ、メルディアナ……その姿は……」
「……お姉様のせいよ」
「リゼットのせいだと?」
「そう。全部、全部、全部全部全部! お姉様のせい! くそ、あのダークエルフめ……!」
腰が抜けて震えている侯爵代行には目もくれずメルディアナは毒づく。
ダークエルフはメルディアナに言った。
――近くの人間の生命力を、聖女の力に変換できるようにしたんだ。これで祝福が行える……
メルディアナはそれを近くにいる他の人間の生命力を使うと解釈した。そして歓迎した。聖女メルディアナのためにその命を使えるなんて、皆、幸福に思うだろうと。
そう思って結界を張り直し続けた。
王都に帰るまでの間、ずっと。
儀式が滞りなく行われることでメルディアナへの疑惑はなくなり、これからもずっと聖女として順風満帆な日々を送ることができると思っていた。
未来は明るく、幸福しかないはずだった。
――だというのに。
己の身体に現れた変調を見て、メルディアナも理解した。
ダークエルフが施したのは、メルディアナの近くの人間の生命力を奪うのではなく、聖痕の近くの人間――つまり聖痕を宿すメルディアナ自身の生命力を奪っているのだということに。
メルディアナはすぐに自分の全身を覆い隠し、王都に帰ってすぐに侯爵家に逃げ帰った。
このような身体の変化を他の誰にも知られるわけにはいかない。これ以上、力を使うわけにもいかない。
悔やんだ。結界を張り直してしまったことを。力を使ってしまったことを。
時間を巻き戻せるなら戻したい。
「許せない許せない許せない……あのダークエルフ……リゼット……許さない、絶対に許さない……!」
ヴェールを噛みちぎる。怒りは収まらない。ダークエルフを八つ裂きにし、リゼットを殺し、元の姿に戻るまで、メルディアナの怒りは収まらない。
「――お父様、馬車を出して」
「ど、どうするつもりだね」
「ノルンに向かうわ。お姉様を殺せば、わたしが完璧な聖女になれる。懸賞金をかけて、薄汚い冒険者たちに確実に殺させるわ。わたしがこの目で見届けるまで、けっしてやめない」
ノルンダンジョン領域に戻り、リゼットの首に莫大な懸賞金をかける。
冒険者たちはこぞってリゼットの首を取りに行くだろう。
リゼットはもうダンジョンの中にも外にも逃げ場はない。
必ずその死を見届ける――メルディアナはそう決めた。
「お父様。わたしを見捨てたりしないわよね? そんなことをしたら、わたしお父様とダークエルフのこともきっと口にしちゃうわ」
黒魔術は禁術とされている。関わったものは教会により処罰される。
禁術で本来の聖女リゼットから聖痕を引き剥がし、他者に移殖したのが明るみになれば、侯爵家は取り潰しは免れない。実際に行動した侯爵代行やメルディアナは無事では済まない。
侯爵代行がこの窮地から逃れる手段は一つしかない。
リゼットの存在をこの世から消すこと。
メルディアナを完璧な聖女にすること。
「家とお父様のためですもの。お姉様もわかってくれるわ……さあお父様。お姉様を殺しにいきましょう?」
その日、侯爵家に向かっていた教会からの使者たちは、猛スピードで走る黒塗りの馬車とすれ違う。
そしてその日、王都から聖女が姿を消した。
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