第15話 聖女メルディアナの誤算【Side:メルディアナ】
――時は少し遡る。
儀式に失敗したあと、メルディアナは教会内の部屋に閉じこもった。誰一人中には入れず、荒れ狂う激情のまま、室内のものを手当り次第に壁に投げつける。
何故。どうして。どうして失敗してしまったのか。どうして聖女としての力が弱まっているのか。
メルディアナは唇を噛んだ。このままでは大地への祝福を――結界の張り直しを行えそうにもない。
そうなれば、聖女ではいられなくなるかもしれない。
(この土地の人間の信心が足りないから、女神が呆れているのだわ。自業自得よ――わたしのせいじゃない!)
メルディアナは悪くない。悪いのはこの土地の人間。自分以外のすべて。そう、メルディアナに恥をかかせた女神さえいまは許しがたい。
「どうしてわたしだけがこんな……こんなこと許せない!」
「可哀想に」
メルディアナの他には誰もいないはずの部屋に、男の声がやさしく響く。メルディアナは弾かれたように振り返る。
乱れた緑髪の揺れる先に、黒いローブを着た長身の人物が立っていた。
激昂して赤くなっていたメルディアナの顔が、さぁっと青ざめる。
「あなた……いまさら何をしに……誰かに見られる前に出ていって!」
メルディアナが命じてもダークエルフは出ていく素振りを見せず、頭に被っていたフードを外して笑った。褐色の肌と銀色の髪、そして銀色の瞳が妖艶に輝いた。
整った顔立ちは作り物のように美しい。長く尖った耳はエルフの特徴で、褐色の肌はダークエルフの証だ。
「つれないな、僕達は共犯者なのに」
「適当なことを言わないで。早く消えてよ。あなたのような穢らわしい存在と繋がりがあると知られたら、どうなるか……」
ダークエルフの褐色の肌は女神の炎に焼かれたからだと言われている。そんなものと聖女が個人的に繋がっているなど、醜聞でしかない。
「そんな顔をしないでよ。僕はメルを助けに来たんだ」
「……なんとかできるの?」
「何故聖女の力が使えなかったのか、わかるかい?」
「わかっているのなら早くなんとかしなさいよ!」
ダークエルフは喉の奥で愉快そうに笑う。
「まあ話を聞いて。君が女神の力を使えなかったのは、力の源が地下に潜っているからだ」
「どういうこと」
「――君のお姉様のせい、ということ」
「……なんですって」
メルディアナが耳を傾ける姿勢を示したことで、ダークエルフは満足げに微笑み、メルディアナに歩み寄る。
「僕が君に移したのは、力の出口だけ」
そっと耳元で囁く。
「力の源はいまだお姉様の方にある」
「どういうこと? 聖女の力をわたしに移したのではないの」
「ごめんね。聖女というのは生まれつきだから。魂のかたちを完全に作り変えることはできない。だから力の出口だけをメルに移した。いままでそれでなんの問題もなかっただろ?」
銀色の瞳があやしく輝いた。
「でもお姉様がダンジョンの中に潜ってしまったから、聖女様は祝福を行えなくなって困っている。あそこは別の世界だからね」
ダークエルフはにこやかに微笑む。
「いまの聖女様は水のない枯井戸で水を汲もうと必死になっている状態なんだよ」
「そんなの聞いていない……」
「ごめんね。なにせ予想外でね。君のお姉様を生かしていたことも、お姉様がダンジョン内で元気にしていることも」
メルディアナは奥歯を噛んだ。
「お姉様……お姉様はどれだけわたしの邪魔をすれば気が済むの」
「だいじょうぶだよ。お姉様が死ねば聖女の力のすべてが聖痕を通ってメルへ流れるから。君は真の聖女となるわけだ」
「なら話は早いわ。お姉様を殺さないと」
それしかない。
教会には死罪がないからといって処分を甘くし過ぎた。長く苦しむ姿を楽しみたいと思うのではなかった。拷問死にでもさせて殺しておくべきだった。
「教会と王国騎士団に命じてお姉様を殺させるわ。このままでは大地に呪いが満ちてしまうと言えば動くでしょう……」
「メル、それは止めておいた方がいい」
メルディアナはムッと頬を膨らませた。
「どうして。あなたはわたしの味方でしょう」
「もちろん僕はメルの味方だけど、でも知ってるかい? この国では力を失った聖女は消されるんだ。大事なのは聖女よりも女神の力だからさ」
「――嘘よ。聖女を害するなんて女神が許すはずがないわ」
「そうだね。そうだったらよかったね」
ダークエルフは含みのある笑い方をする。その態度はメルディアナを不快にさせる。
「これは忠告。お姉様を消すのなら、君の力が弱まったことは周囲に知られないようにした方がいい」
ダークエルフの言うことには一理あった。
たとえ一瞬のことだとしても、メルディアナが完璧ではなくなっていることを誰かに知られるわけにはいかない。
「……教会騎士に秘密裏に消させるわ。彼らは自分の頭でものを考えないもの。聖女のわたしが言えば疑わずに行動するわ」
ちょうどこの教会にも騎士がいる。メルディアナに忠実な騎士が。あの騎士を軽く煽ればリゼットを殺して来てくれるはずだ。
「それがいい。さてそれよりも、いまはこちらの問題を何とかしないとね。さあ、聖痕を出して」
ダークエルフに促され、メルディアナは渋々と胸元を開き、肩を出した。ダークエルフに背中を向け、長い髪を肩の前に流す。うなじの下の部分に、痣のような赤い紋様がある。
聖痕だ。
ダークエルフの指先が、聖痕に触れる。誰にも決して触れさせてはならない聖なる証に、指が。
「うっ……」
熱い衝撃が走り、思わず声を上げる。
「はい終わり」
「何をしたの……?」
「近くの人間の生命力を、聖女の力に変換できるようにしたんだ。これで祝福が行える」
「あら、気が利くじゃない」
「誰かを犠牲にすることになるけれど、いいかな? 聖女様」
「わたしのために尽くせるのだから、その者も光栄に思うことでしょう」
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