第13話 海の王者クラーケン


 海水エリアのボスと思われるクラーケンは、身体の巨大さにもかかわらず非常に動きが速かった。自由自在に動き回る太い足に捕らわれれば、水中に引きずり込まれる。

 そうなればすぐに溺死か、食べられて死ぬだろう。


 そしてクラーケンは定期的に黒い液体――イカ墨を吐くので、辺りは既に一面真っ黒だ。しかも足場となっている氷の上に墨が張り付くせいで、滑りやすくなっている。


 リゼットは足場の氷を更に強固にする。氷を割られたり引っくり返されれば水の中――そこはクラーケンの独壇場だ。


 クラーケンの足や墨による攻撃は、レオンハルトの魔力防壁――【聖盾】でいまのところはすべて弾き返されていた。


「早く逃げろ!」


 クラーケンの敵意はいま完全にレオンハルトに向けられている。

 レオンハルトは剣を抜きクラーケンの足を斬ろうとするが、剣は強靭な体表に弾かれて氷の上に落ちた。

 リゼットは背中のユニコーンの角杖を手に取った。


(まずは動きを止める)


 こうも動き回られては全体攻撃魔法しか当たらない。全体攻撃魔法はこの大物には出力不足だ。

 杖の先をクラーケンに向ける。


【水魔法(中級)】【魔力操作】


「凍れ!」


 辺り一面ではなく、クラーケンの周囲のみを、深く、強固に凍らせる。

 クラーケンが氷漬けとなり、氷塊と化して動きが止まる。しかしまだ死んではいない。表面を凍らせただけだ。このままではすぐにまた氷を破るだろう。その前に――


【火魔法(中級)】【魔力操作】


「フレイムランス!」


 炎の槍を作り出し、クラーケンの目を表面の氷もろとも貫く。

 クラーケンの体内に魔力の炎が入った手応えを感じた。

 ――その魔力を変質させる。


「フレイムバースト!」


 中に入った魔法の炎に更に魔力を注ぎ込み、別の魔法に変換する。

 眼球の奥で起こった爆発は、さすがのクラーケンにも効いたようだ。すべての動きが止まり、透き通っていた全身が一瞬で白くなる。


「勝った……?」


 レオンハルトが信じられなさそうに呟く。

 リゼットはその間に氷原の端に落ちていた剣を拾い、レオンハルトのところへ戻った。


「はい」


 剣を持ち主に渡す。


「守っていただいてありがとうございます。おかげで冷静になれました」

「……君は……」


 レオンハルトは呆然とリゼットを見ながら、はっと息を飲んで剣を受け取った。


「それでは食べましょうか」

「……何を」

「もちろんクラーケンを」

「絶対やめておいた方がいい。クラーケンによく似ているダイオウイカは、臭くて食べられたものじゃないと漁師が言っていた」

「まあ、こんな巨大なイカが地上にもいるなんて驚きです。いつか見てみたいですわね」

「…………」

「それともレオンさんは半魚人の方がいいですか?」

「クラーケン! クラーケンがいい!」





 海水を器に入れ、ユニコーンの杖の先で触れる。イカ墨やら海藻やら何やらで濁っていた水がきれいになる。

 その水で、切り分けたクラーケンの身を洗う。

 包丁でさらに一口大に切り、第一層にいたときにつくったウゴキヤマイモの粉をまとわせる。深めのフライパンに入ったユニコーンの馬油を溶かしたものの中にそれを入れて、揚げる。油がはねないように小さな結界をつくって。

 キツネ色に変われば油から取り出し、皿に並べる。


「完成です! クラーケンのフリッター! では早速いただきます!」

「いただきます……」


 サクサクと軽い衣の中に、真っ白なもっちりとしたクラーケンの身が詰まっている。軽く濃厚な食感と、油と塩味と甘みが口の中で溶けて、幸福感に満たされていく。


「おいしい……いくらでも食べられそうです」


 調理中ずっと世界の終わりのような表情をしていたレオンハルトも、リゼットのとろけるような表情を見て意を決したようにクラーケンを食べる。

 噛んでいくうちに、強張っていた顔がほぐれていく。


「まったく臭みがない……外海じゃないからか……?」


 不思議そうにクラーケンのフリッターを見つめて、もうひとつ食べる。


「こんなにおいしいものを食べたのは久しぶりだ」

「ふふ、おいしいものを食べるとほっとしますね」

「ああ、本当に……これは?」

「そちらはウォーターリーパーを揚げたものです」

「いや、うん……そう……」


 警戒しながらも食べる。


「白身魚だ」


 ウォーターリーパーは上品な白身魚の味がする。やや繊維質でありながらも口の中で軽くほどけていく。カエル肉に少し似ているとリゼットは思った。


「そういえばレオンさん、胃の方は大丈夫ですか?」

「ありがとう。回復魔法をかけたから大丈夫だろう」

「回復魔法も使えるんですか? すごい!」


 リゼットは心底感動した。


「とってもお強いですし、あの防壁もすごいですし、回復魔法も使えるなんて。さすがドラゴンに挑むだけあります」

「すごくなんてない」


 レオンハルトは水面に浮かぶクラーケンの姿を見ながら言う。


「俺の力は防御寄りだ。ひとりではドラゴンどころかクラーケンだってきっと倒せない。あの場所まで行けたのは仲間がいたからで……」


 押し黙る。

 深いため息をつき、頭を抱えて。

 少しの間そうしていたかと思うと、皿を置いて立ち上がる。そして壁沿いに並べてある二人の死体の方へ歩いていく。


 回復術士の女性の横に片膝をつき、手を首の傷に当てる。レオンハルトが何かを呟くと流れ出ていた血が傷口から体内へ戻り、傷がふさがり、青い肌に赤みが差していく。

 呼吸が始まり、人形のようだった顔がわずかに動き、固く閉じられていた瞼が開かれる。


 ――死んだ人間が生き返るなんて、ダンジョン領域以外ではありえない。


(これが蘇生魔法)


 その奇跡的な光景にリゼットは息を飲んで見入った。


(女神の支配が、ダンジョン内では弱まっているのかしら)


 光が戻った瞳はレオンハルトの顔を見て安心したように緩み、しかしすぐまた硬直する。


「ギュンターの蘇生を頼む」

「――は、はい」


 回復術士は急いで起き上がり、蘇生魔法を唱える。ほどなく戦士も息を吹き返す。


「う……ウォーターリーパーのやろ、う……?」


 悪態をつきながら生き返った戦士は、レオンハルトの姿を見て顔を伏せる。

 三人の間に気まずさと緊張感が漂う。


「おはようございます。とりあえず、一緒にご飯を食べませんか?」


 リゼットの緊張感のない提案が、ダンジョンの中に響いた。




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