第6話 聖女メルディアナの愉悦【Side:メルディアナ】
――時は少し巻き戻る。
罪人リゼットをダンジョン領域に送り込んだ帰り道、聖女メルディアナはいままでになく上機嫌だった。
王族並みに豪華な馬車には厚いクッションが敷かれ、路からの衝撃も疲れもすべて受け止めてくれる。
馬車はこれから王都に向かう。道中で結界を張り直す儀式を行いながら。
(ああ、やっとお姉様がいなくなった! なんて清々しいのかしら!)
声には出さずに喜びをかみしめる。
(あんな恐ろしい場所で生きなければならないなんて、可哀そうなお姉様)
メルディアナも教会も慈悲深い。ダンジョンに潜れだなんて強制はしない。
ダンジョンの外で卑しい冒険者相手に身体を売って稼げばいいと思っていた。そして身も心も壊れてしまえばいいと。
リゼットはそれだけの罪を犯したのだ。
(お姉様はわたしの欲しいものを全部持っていた……お姉様ばかりずるいもの。これは当然の罰よ。わたしが家に来るまで、わたしを差し置いてひとりだけ贅沢をしていた罰。自業自得というものね)
メルディアナの母はクラウディス侯爵家で働くメイドだった。しかし女当主の入り婿との間に子を宿し、屋敷を逃げ出してそれからは酒場で働きながら女手一つでメルディアナを育ててくれた。
侯爵家の女当主が亡くなって、侯爵代行となった父親がスラムまでメルディアナを迎えに来てくれた。
しかしその直前に母も亡くなっていた。
母は最後まで父を信じていたというのに、父は間に合わなかった。
メルディアナは侯爵家に引き取られたが、侯爵家の血を一滴も引いていないメルディアナに対する風当りはお世辞にも良いものではなかった。
そんなメルディアナに、当主代理である父と、姉のリゼットは優しく接してくれた。
――メルディアナはそれが許せなかった。
ねだれば何でも与えてくれる父と姉。
それはメルディアナを弱い存在として認識しているからだ。歯牙にもかけない存在だからこそ、ペットのようにかわいがることができるのだ。
特にリゼットに対しては恨みが深かった。
同じ父親を持つのにどうして姉はすべてを持っていて、自分は今まで放置されていたのか。
そうして決めたのだ。姉のものをすべて奪ってやろうと。
その手伝いは父がしてくれた。凡庸な父だがメルディアナへの愛は深かった。母への罪滅ぼしでもあったのかもしれない。
メルディアナは笑った。いまこの瞬間が、メルディアナにとって幸福の絶頂だった。
聖女一行はノルンと王都の間にある教会に立ち寄る。儀式と休憩を行なうために。
祝福の儀式は聖女であるメルディアナにしかできない神聖なものだ。
聖女が休憩する貴賓室へ世話係たちと共に移動しながら、メルディアナは思う。
(ド田舎の教会ね……こんな土地見捨ててしまえばいいのに)
王都周辺と豊かな土地だけ守れば十分なのに、とメルディアナは思う。そうなれば巡礼なんて面倒なことを減らせるのに、と。
「長旅でお疲れでしょう。こちらで疲れを癒してください」
「ありがとうございます」
貴賓室に入り、聖女の案内役のひとりである教会騎士に微笑みかけると、教会騎士の頬がわずかに紅潮する。
メルディアナは自分の美貌を良く知っていた。表情や所作の機微から生み出される効果も。
だからといって誰も彼もに愛想を振りまいたりしない。権力者と美形にだけだ。この教会騎士は見目が麗しい。
「それにしても聖女様が直々に罪人の護送に付き添われるとは」
「ええ……たしかに怖かったですが……あの方はわたしの家族だったのですもの。最後まで見届けるのがわたしの務めです」
「なんとお優しい……聖女様を傷つけた大罪人にさえそのようなご慈悲をお与えになるとは」
メルディアナは儚げに微笑む。
「安心ください。聖女様を傷つける者はもうダンジョン領域の中。二度と出ては来られませんよ」
「そうですね……でも……わたし、怖いのです。もしかしたらお姉様がわたしに復讐を考えているかもしれないと思うと……」
「それは……」
「わかってはいるんです。お姉様はもうあの場所から出ては来られないって……でも……お姉様はキリングベアーよりも怖い御方。何か恐ろしい魔術や人を使って、わたしを殺しにくるかもしれないと思うと……」
「聖女様……」
「ごめんなさい……」
うつむいて目元を拭うと、騎士だけではなく世話係たちも動揺する。この世で最も高貴で儚い聖女という存在に。
「ご安心ください、聖女様。すべてお任せください。このダグラス、必ずや聖女様をお守りいたしましょう」
強い決意を聞いてメルディアナは微笑んだ。これでこの教会騎士も積極的にリゼットの排除に動いてくれる。
メルディアナが望めば何もかも思い通りになる。当然だった。聖女はこの世界の頂点に立つ存在なのだから。
(お姉様、自業自得なのよ。わたしに現れるはずだった聖痕を横取りしたのだから。わたしは返してもらっただけ)
聖女の証である聖痕が現れたのは、メルディアナではなくリゼットだった。
メルディアナは激怒した。メルディアナではなくリゼットが聖女になるなんておかしいと。
そしてことが公になる前に、黒魔術師のダークエルフに聖痕の移植術を行なわせた。
(わたしは間違ったことを正しただけ。これは正義の行いなのよ。女神の間違いを正して差し上げたのだから)
この大地は、呪いで満ちている。
大地から湧き出す呪いを、女神の結界で封じ込めているからこそ、この世界は成り立っている。
しかし結界は傷つき綻びることがあり、そのせいで結界が弱まることがある。その結界を張り直すのが聖女の仕事だ。
聖女のいない国や土地は呪いで滅びる。
王族よりも貴重で尊い存在――それが聖女だ。
今回のメルディアナの旅も、罪人の護送よりも結界の張り直しが本来の目的だ。
女神の力を身体に下ろし、その力を祝福として大地に下ろすのは、聖女のみが可能な奇跡の力だ。
教会に着いた翌日、メルディアナは聖堂の女神像の前で、いつものように聖女の力を使おうとした。
女神の力を下ろそうとしたのだが、祈りのポーズを取っていくら念じても、一向に女神の力が下りてくる気配がなかった。
メルディアナは訝しむ。
いつもは聖痕から力が湧いてくるのにまったく何も起こらない。いつまで経っても何も起こらないことに周囲も動揺し始める。声には出さないものの。
「今日は調子が悪いみたい」
メルディアナは女神像の前から離れる。
その言葉に聖堂に詰めていた神官や騎士たちも驚愕し、動揺した。その無様な様子がメルディアナの怒りに火を着けた。
「なんですかその顔は。不敬な! 祝福がないのはあなたたちの祈りが足りないからでしょう!」
メルディアナは憤慨し、叫んだ。
(イライラする――わたし以外みんな無能なくせに、わたしが悪いみたいに!)
メルディアナは怒って聖堂から出ていく。
こんな土地滅びてしまえばいい――そう強く思いながら。
どうして女神の力が下りてこなかったのか――その理由を深くは考えなかった。この土地の人々が不信心だから女神に見捨てられたとしか思わなかった。
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